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転んでもただでは起きたくない・・・(その3) 関西人夫婦の場合 [脳卒中で廃業から、老後資金作り]

s-bpO7fryGR7ExcGF1483921680_1483921763-w (2).jpg我妻キツネサルも生粋の関西人です。若いころは宝塚歌劇の「追っかけ」の一方、寸暇を惜しんで吉本新喜劇にも通ったそうです。


私は脳出血の翌年心筋梗塞を発病し血管を広げるステントを埋め込む手術をしました。心臓外科医に「3度発作を起こして生きていた人を私は見たことありません」と言われました。すると後1度ないし2度です。
 
その時に、障害者枠で就職するかどうか経済的な面から夫婦二人で検討した時の会話です。

(キツネ妻)「まあ(就職しなくっても)大丈夫や!あと隠し子2人くらいやったらなんとかなるやろ」
       「せやからもう仕事はせんといて。お父さん死んでしまうわ」
 
(メガネ夫)「わかった。仕事はやめる」
      「せやけどわし、そんな気持ちの良いことした覚えないんやけど」
 
(キツネ妻)「そうか、そら残念やったなあ~。」

これで大体(金額まで)通じているのです。さらに会話は続きます。

(メガネ夫)なんでそれを病気の前に教えてくれへんかったんや。そしたらもう一花咲かせたたのに
(キツ妻)今からじゃもう無理やなあ。ワッハッハ~~
 
皆さんは、「何というアホな夫婦や」と驚き呆れられるでしょうが、私達夫婦にとっては、普通の会話なんです。何しろ夫婦とも小学生のころから土曜日午後、熱中したテレビは吉本新喜劇だったのです。
我々の子供時代(昭和30~40年代)、関西の多くの子供が熱中したのは「阪神」、「歌劇」、「喜劇(吉本新喜劇)」の中のどれかだったように思います。
 
深刻なことも笑いに変えってしまうのが関西人の特性でもあります。
 
■またまた脱線してすみません。今日の本題はこちらでした。
 
実は私、60歳になったら仕事を引退するつもりでいました。そのため年金がもらえるまでの期間若干の収入を得るためネット販売すべく様々な実験・準備をしていました。ほぼ全て女房がやっていたのですが、これを3年で月数万~10万円程度の純益が出るまで女房が育てました。
 
これが私達を助けてくれました。おかず代程度のお金でも、毎日、別収入があると気持ちに落ち着きが得られます。パートで時間を切り売りするのではなく、自力で小さな芽を育てようとした「がめつさ」が生きました。これなら一日2~3時間で、なおかつ夜中、明け方等都合のいい時にできますので、介護との両立も容易でした。


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