リハビリの結果と責任 [お勧め本]
著者の池ノ上さんは49歳で交通事故で四肢麻痺になられました。事故前は自ら設立した会社を3社経営されていた方です。
この本の存在は、アマゾンでリハビリ関連本を検索し始めた頃から知っていました。ただどうしても読む気になれなかったのです。なぜなら、私が今まで受けてきたリハビリを「結果と責任」という視点で振り返れば、話しにならないレベルであることは自明だからです。情けない思いで気分が沈み込むのも嫌だなあという気が正直あったのです。
まして著者の池ノ上さんはいくつかの会社を設立し経営なさって来た方です。そんな方が、リハビリを民間企業と同じように「結果と責任」で評価すれば、どんな辛辣な批判が飛び出すのかこれは火を見るより明らかです。
そんな思いで先延ばし、していたのですが、ブログで「お勧め本」の記事を書き始めたのをきっかけに読んでみることにしました。いつものように印象深い記述を抽出し、わかりやすい様に多少書き換えました。
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■当初はリハビリのスタッフと言えば、我々患者からすればドクターの存在と同様に、ある種「絶対的」に近い存在だと信じていた。しかし、ずっとリハビリを続けてきて、それは必ずしもそうではないのかもしれないと思い始めた。いま自分が感じているのは、私が生きてきた世界とはだいぶ違うのではないかということを実感している。
■もっと言うなら患者に対して、もう少しきめの細かい管理が必要なのではないか。例えば患者や患者の家族を含めたお互いが掲げたハードルの高さを確認し合うこととか、リハビリの進捗状況を確認する際、どこかに落とし穴はないか?など警戒感とか疑問とかを頭に置いておくのである。企業では即金銭的損失につながるからこれは当然である。
■でもここのリハビリスタッフの方はそんな意識はお持ちじゃないのかもしれないね。歩行訓練しない理由を論理的に説明してもらうわけでもないしね。
■一番重要な会社で言うところの結果に対しての収支報告。いよいよ患者さんが退院するとき患者さんもしくはそのご家族が満足できるような気持ちで退院できるかできたかどうか。それは次の責任という段にすごく関わってくると思う。
■でも病院では、あまりそれを感じなかった。何かスタッフの方も淡々とされていて・・。時間が来ました。退院ですっていう感じがした。企業と違って結果が数字になって現れない。だからこそ責任の意識がより必要になってくるんじゃないのかな 。
■どの病院もリハビリ室は広いし設備も整っている。リハビリスタッフも大勢いらっしゃる。なのに、なぜこんなにスタッフの方達との一体感が感じられないのかね。私は感じているのは、スタッフの方々に情熱を感じないのよ。
■直してくれる気があるのだろうかと、疑ってしまいたくなる。 どこかビジネスライクで、商売ならビジネスライクも大いに結構なのだけれど、人間相手にねこんなものかねえ。仕事をする条件の中で「情熱」を除くことはできないと思うのだけど「情熱」とか「ヤル気」とかそんなの感じない。
■私はこれまで経過した病院でのリハビリも含めリハビリと言うトレーニングにとても失望していました。そのリハビリの世界もまた私たちが闘ってきた世界もどちらもメカニズムは同じと思うのですが・・・。スキルで満足している人は多分一生スキルだけで終わるのでしょう。また一方で業をマネジメントまで考える人は、業に対し幅の広い可能性を大いに感じる興味あるものと捉えられているのではないでしょうか。
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皆さんはどうお感じになりましたか?
私は、リハビリの受け手は、「リハビリの結果と責任」を問うのをあきらめてはいけないと、あらためて感じました。
我々はどこまで回復するのか、限界も感じながらのつらいリハビリですが、それでも「結果と責任」を問う姿勢がなければ、リハビリは、毎回、単に時間消費、時間が来れば、はいさようならで終わらされてしまう。またセラピストに質問しても、専門用語ではぐらかされて、それでおしまい。
やはりセラピストに「リハビリの結果と責任」を問うべきなのです。そうでなければ、新たに脳卒中片麻痺になって、人生かけて真剣にリハビリに取り組む人が、また同じような目に合わされてしまいます。
セラピストからの「リハビリ計画書」の説明をしっかり受け、成果があったのかどうか、なければその理由を聞く姿勢を持つべきなのです。そんなことをあらためて感じさせてくれる本の内容でした。
私もまだまだ「吠え」続けます。
それじゃ~また。
タグ:片麻痺治療
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