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「障害受容!?」ほっといてんか! [障害者として生きる]

 

今回のテーマは「障害受容」です。


私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。


1.障害受容に至る過程

通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。

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「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きました。




次に、池ノ上寛太さん著の「リハビリの結果と責任」よりこの問題を改めて考えてみたいと思います。以下に抜粋します。


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私がお願いすると医師は早速資料を持ってきました。冊子を開くとそこには障害の受容に関する各分野の先生方の意見が「記事」として記載されていました。


傷害を負い心の整理も覚悟もできないまま、苦しみのスパイラルから抜け出せず苦しむ障害者の心理の移り変わりが見事なまでに見抜かれていました。


2.精神病理学による3つの次元

読み進んで行くと私はある記事に目を止めさせられました。それはピラミッド状の図で三分野に等分に区切ってありました。

 

一番底辺部が身体的次元で、真ん中が心理・社会的次元、最上は実存的次元とありました。初めて聞く難しい言葉です、が解説を読んでいくと最上の部分に到達して初めて障害の受容ができた状態に相当するのであろうと結ばれていました。


(1)身体的(生物的)次元

一番底辺の部分は面積も大きくつまりこの段階で自分が負った障害で身体の機能が失われたことを激しく悔やみ、絶望感に満ち溢れ、そのことにほとんどの時間が費やされてしまう悲壮な時間帯で、多くの人が多くの時間を悶々とした日々として送っている。


(2)心理・社会的次元

次の次元で初めて社会環境に目が移り、社会に対する不満や怒りなどを感じ、同時に自分が少し何かが出来だし、それに喜びを感じたりする。


(3)実存的次元

そして最上部の実存的次元では、障害を負った自分の役割や自分の将来についての展望を語れるようになる。そんなニュアンスのことが書かれてありました。


私は何度もその資料を読み返しました。そして読み返しているうちに人間という摩訶不思議な生き物の中にあって、きっとまだ他の大事なものに目を向けていかなければいけないだろうとずっと私が思い続けてきた疑念への大きなヒントを、そこからもらえたかのように思い始めていました。


そしてさらに資料にあった実存的次元の先にはまた違う次元があるのではないか。そしてそれは描いた展望を具体的に現実化し、さらにその質を高めることにより成し得るような気がしています 。

 



リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

  • 作者: 池ノ上 寛太
  • 出版社/メーカー: 三輪書店
  • 発売日: 2009/10/14
  • メディア: 単行本




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 私(メガネサル)は「障害受容」について次のように考えます。


まず第一に、それが過度に「個人の心の強さ、弱さの」の面から議論されてはならないと言う事です。

障害者それぞれに病気に至った状況も、年令も障害の種類も程度も、経済的状況も違うのです。それを今の「障害受容」の程度といった心理状態だけをとらえて「個人の心の強さ、弱さの」の問題に全て置き換えないことが大切です。まして障害者本人への批判材料に使うなどあってはならないことです。


二番目は心理的変化を引き起こす大きな要因は「時間」と私は考えます。

このピラミッドの中を行きつ戻りつしながら、ある程度の時間が経てば、たいがいの人は「障害受容」できてきます。逆に哲学者でも回復期に「障害受容」は容易ではないでしょう(笑)

この病気になったら「障害受容は時間が味方である」と本人も家族もゆったり構えておけばいいのです。


三番目は「機能回復」ばかり目が行っていた状況からの「変わり目」を経て「障害受容」がなされて行くと思います。

身体機能的リハビリから生活リハビリへの「変わり目」、病院リハビリから家庭での自主リハビリへの「変わり目」、そこから家族や友人知人たちとの人間関係の復活があり「障害受容」がなされていくと思います。さらに、そこからが池ノ上さんが述べられている具体的な「新たな生きがい」などの人間性の回復の道が開かれるのでしょう。

 

何れにせよ「障害受容」の問題は、心理状態に過度に目がいくと、かえって本質や解決への道筋が見えにくくなってしまう気がします。

 

それじゃ~また 

 


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