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人間50過ぎて、初めてそいつがどんな奴だったのかわかる

粗にして野だが卑ではない

 

  石田禮助

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脳卒中で倒れた後、多くの人が見舞いに来てくれました。中には高校卒業以来の再会となった人もいて、素直に嬉しかったです。


60才を過ぎてからは、停年で幼馴染たちが田舎に戻ってきました。


そこでつくづく思ったのが人間ってのは、50才過ぎてみないと 分からないということです。そいつが結局どんな奴だったのか、この年で初めてわかる気がするのです。


若い頃言っていたこと、やっていたことと全然別物になっている奴もいます。


若い頃はいつ逮捕されてもおかしくなかった「やんちゃ」が、逮捕する側に回っていて、それもそこそこの地位について停年退職している。「そこまで裏切るか!?」と、今だ逮捕される側にとどまっている私は思ってしまう(笑)


仕事でうつ病になって早期退職余儀なくされたのに「台湾で新幹線をつくったのは、どこの会社でしょうか?」と元職の大手ゼネコンを持ち出し自慢する奴。「お前を退職に追い込んだのは、どこの会社でしょうか?」とこちらも質問したくなる(笑)


文武両道でしかも人気者だった中学の元生徒会長、中学教師となり障害者学級の担当を長く続け、そのせいで、うつ病になりながらも、なんとか最後まで務めた。


他の教師になった同級生が教頭や校長になっているのにヒラのまま停年。奥さんの両親を介護するため単身九州に移り住んだ。ちなみに奥さんは、現役の特別支援学校の先生で一緒に戻れない。


毎日義理の父母のシモの世話をし、近くの中学校で頼まれて陸上部のコーチとなり、さらに勉強の苦手な部員に、部活後、教え始めた。


いつも野菜くれる幼馴染は、勉強が出来たせいで、生育環境から著しくことなる環境に長く身を置いていた。定年後、地元に戻って、ついに小学生以来となる百姓にカンバックし、みるみる元気を取り戻した。


「じゃ~お前はどうなんだ」と言われれば、世間的には輝かしい実りを手に入れていないが、青春時代に言っていたこと、やっていたことを、少なくとも裏切ってはいない気がする。


おかげで、3人の我が子から言わせると、私は「人生の反面教師」らしい(笑)。

が、そのことで、一定の役割は果たせたようです。

 

 

石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

石田禮助の生涯 「粗にして野だが卑ではない」 (文春文庫)

  • 作者: 城山 三郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1992/06/10
  • メディア: 文庫

それじゃ~また

 
【同病の三本松のおじさんの一言】

確かに人生50年を境にして人の社会での立つ位置みたいな方向性は定まってくるようです。才覚と運命に翻弄されながら、しかしその時期が嵐のように過ぎ去ると、日常の暮らしの中でいっぱいの酒を楽しみに淡々と、生真面目に、一生懸命おくる生活に魅力を感じるようになってきました。


【返信】

社会矛盾と戦うと高校の時宣言した男が、単なる利権屋になっていました。部屋に入ってくるなり悪臭がして驚きました。

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