脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか(3)心の問題 [障害者として生きる]
「病苦その2 心の問題」
今回は「病苦その2 心の問題」です。人生の終盤で最も大事なのが、この心の持ち方であると考えています。
後遺障害がもたらすネガティブな心情
脳卒中で重い後遺症が残ると精神的にも苦しいものです。鬱とまでいかないまでも日常ネガティブな心情に陥りがちです。
仕事や人間関係を無くしたことの喪失感や、元の暮らしに戻れない絶望感があります。
また人生の失敗者とみなされることや、治療・介護側の若い人たちに、歪んだ不自由な身体により、人としてまでも軽く見られてしまうこともあります。
さらに障害により日常動作そのものがストレスの塊ですし、慢性期になると、長期間懸命にリハビリをしても、目に見える効果が得られる訳ではありません。
脳卒中の再発、拘縮から寝たきり等将来への不安もぬぐえません。
生々しい苦い記憶が蘇(よみが)る
”生々しい記憶と、頼りない現実の狭間を、人は生きていくものらしい”
これは、私の敬愛する作家、乙川優三郎氏の言葉ですが、過去の記憶が生々しく蘇ってくることは、多くの人が晩年になっても経験されるのではないでしょうか。
しかも楽しい思い出が蘇って来るのではなく殆どが悲惨な記憶です。中にはトラウマとなっていて、激しいフラッシュバック(※1)が起こり、感情的に、ひどく不安定になる場合もあります。
私も10代の終わりに屈辱的な体験があり、それは年数が経てば記憶の隅に押しやられるといった類のものではありません。
脳卒中後遺症により、行動範囲が制限されたり、仕事を引退し、時間的な余裕が出来ると、生々しい苦い記憶が、たびたび蘇(よみが)るのです。
まさに、脳卒中の病苦と苦い記憶の二重苦です。
そんな気持ちに襲われたある日、気分を変えようと本棚の奥を探っていると一冊の本が目に止まりました。それが「青空としての私」(山下良道著)です。数年前に1度読んでいたのですが、今一つピンとくるものがなく特に印象に残りませんでした。仏教というものにある種の不信感を持っていたこともその理由です。
しかし今回は強い啓示を受けました。
次回、具体的な方法についてお話します。
※1フラッシュバック
フラッシュバックという用語は過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出され、かつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに使われます。
脳卒中後に鬱になる方は、約30%と言われています。
こころの在り方は、ボクもずっと追い続けているテーマです。
by ピストン (2020-06-06 23:59)
人生終盤になっても、心が苦しいまま。そんな暮らしはうんざりです。お金も人にも恵まれているのにそんな人がいます。
哲学的な思考ではなく、心身を整える方法、こころを解放する方向を目指したいなあ~と思ってます。
by meganesaru707 (2020-06-07 05:00)