田舎で暮らす片麻痺障害者、立ちはだかる村の掟(おきて) [障害者として生きる]
■片麻痺障害者に立ちはだかる村の掟おきて
私は脳卒中で倒れたことを機に、田舎の実家暮らしになりました。
このムラは兼業とはいえ農業中心ですので、それに対応する厳しい掟(おきて)があります。
例えば、農業用のため池や農水路は自治会の大切な共有財産です。その管理のため、日役(ひやく)という共同作業の役務(えきむ)があります。他にも自治会が山林や墓地も所有していますので、これらも管理する必要があります。
他にも自宅周辺、所有する田畑の管理もしっかりやっておかないと、隣から苦情が来ます。
特に害虫対策の草刈りなど、厳しい目で村のおばあちゃんたちが常に監視しています。
多忙な一人暮らしの高校野球監督など、いつも激しいバッシングをあびています。
ここの老婆たちは、あっけにとられる程辛辣で、私の母も「あんたが甘やかすから、息子が脳卒中になった」と直に言われました。
私は、身体の不自由さには同情はされますが、役務(えきむ)は免除されません。それがムラの掟です。それは、90才を超える高齢者でも同様です。
自分ができなければ、人に頼むか、半日で3000~4000円の弁償金を出さなければならないのです。この日役が多い月では4回、つまり毎日曜日です。
同じ自治会内では、多くの血族・親戚がいるケースが多いのです。だから万一の場合は近くの親戚が助けてくれます。
しかし、我が家は、父の代で、ここに移り住みましたので、親戚は全くいません。
親戚も少なく、わずかな年金で、つつましやかに暮らす高齢者も少数いますが、その場合は、「都会に住む親族に頼みなさい」と正面切って言われるのです。
「50年住まないと一人前と認めない」村の掟の中で、幼いころ、私はよそ者として、いじめられました。しかし、子供社会の中では徐々に受け入れられ、小学校も高学年になると、立派な村のガキ大将になっていました(笑)
脳卒中の後の私は、草一本も引けない役立たずのどうしようもない人間です。女房も都会暮らしが長く、農作業の経験はありません。
■遠くの親戚より近くの他人
しかし幼馴染達が私を助けてくれるのです。私の知らないところで相談して私の家の前の草を交代で刈ってくれたりしています。
また手間のかかる田畑の草刈りなどの管理は、リハビリ散歩で知り合った人が、やってくれるようになりました。
日役には、それまで農作業など一度もしたことのなかった女房が、代わりに出てくれるようになりました。
これらすべてに、本当に感謝です。
また幼馴染の手による土地のコメや野菜をいつでも手に入れられます。生まれた土地のものは本当においしく感じるものです。
あんなこんなで、頻繁に友人・知人我が家に来てくれ、話相手にもなってくれます。
それで、つくづく感じるのは遠くの親戚より、近くの他人(友人・知人)です。この人たちがいなければ、わたしの田舎暮らしは成り立たせることが出来ません。
SNSでの交流も楽しいのですが、リアルなこの人たちを何より大切に考えています。
人に助けていただくことは迷惑かけることでもあります。が、村の掟、身体の不自由さ故に、心からありがとうの感謝の気持ちが生まれます。そのことが互いの思いやりを生み、豊かな交流となる。まさに「災い転じて福となす」の感があります。
脳卒中で仕事など失いましたが、人との交流という面ではより豊かになったことだけは間違いありません。
それじゃ~また
まさに、「持つべきものは」ですね(^-^)
by ふるたによしひさ (2021-01-16 23:18)
ホントそうです。病気になって初めて、幼馴染たちのありがたみを痛感しましたし、同病の方や家族、リハビリ散歩で知り合った方々等これまでの暮らしでは接点のなかた方々と知り合いになれる。ありがたいことです。
by meganesaru707 (2021-01-17 03:09)