脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか(5)補足しつつ、まとめます [障害者として生きる]
「脳卒中の病苦からどうやって解放されるか」について、これまで4回にわたって述べてきましたが、補足しつつ一度まとめておきたい思います。
脳卒中後遺障害の病苦には大きく三つに分けられます。一つ目は身体の問題、二つ目は心の問題。三つ目は経済的な問題です。今回はここで身体の問題と心の問題を取り上げました。
身体と心の問題から、四つの課題がある
身体と心の問題
身体の問題の中には、2つの大きな問題があります。一つが「陽性徴候」と呼ばれるものです。これは、回復期、慢性期に反射の亢進、痙性、拘縮、クローヌスなどが現れる症状であり、筋緊張が大きな原因と言えます。
もう一つな感覚麻痺から生じる問題です。体の各部位の皮膚感覚、位置感覚や方向性、動きなどが感じ取れないことから生じる問題です。
認知運動療法に関する多くの本を出されている理学療法士の宮本省三氏によれば、脳卒中片麻痺の運動障害は「中枢神経系の階層構造における下位レベル(脊髄、脳幹レベル)の異常な反射活動を、上位レベル(大脳皮質)の認知機能によって制御する能力を向上させることによってのみ随意運動は回復するのである。」ということです。
二つ目が心の問題です。発病により仕事を失ったり人間関係を失ったりすることによる喪失感や絶望感による鬱症状。退院後の日常動作が障害により思うように行かず絶えずストレスがかかる。
また苦い記憶がフラッシュバックすること、将来への不安等の妄想に苦しめられるといった問題です。
四つの課題
つまり、脳卒中後遺障害の病苦から脱するためには四つの課題があるということです。
第一が、筋緊張を防ぐために、身体の力を抜くことです。
その力を抜いた状態のまま動きにつなぐ。これが、日本式の歩行(なんば歩行)、古武術、能などの芸道にも通じているのです。この力を抜く方法が腹式呼吸法です。
第二が、感覚を向上させ脳の認知過程を活性化することです。
瞑想とは観ることです。身体等を観る力を高めるることで認知能力の向上を目指します。
第三が、障害による日常動作のストレスから解放されることです。
上手く行かないもどかしさ、怒りなどの負の感情に対して「気づき」によるストレスからの開放です。
第四が、苦い記憶、将来への不安等の妄想から脱却することです。
瞑想の真髄は、「莫妄想(まくもうそう)」すなわち妄想することなかれです。
マインドフルネス瞑想はアメリカ流
このような四つの課題から、私はマインドフルネス瞑想に注目しました。これら課題に対する対応策を持っていると思われたからです。
ところで、皆さんの中で、瞑想という言葉が入ることから「宗教」かという誤解があるかもしれませんが、マインドフルネス瞑想というものは、アメリカのアップル社、 Google 社が社員研修で取り入れたり、また病院等で心理療法として治療で使われたことにより話題となっていたのです。それが日本に入ってきた訳です。
もちろん瞑想ですから、元来お釈迦様を祖とするアジアの僧侶達の座禅による修行方法として使われていたものです。
ですが、キリスト教徒の地アメリカでの社員研修や治療に使われたことにより当然宗教的な側面は消え去っています。
このメソッドに日本人の先進的な僧侶の方々や精神科医の方が、いち早く取り組まれたのです。
これが脳卒中片麻痺のリハビリにどれだけ役に立つのか、病苦から解放されて希望繋ぐことができるのか、まだ入り口にたったばかりの私には、確信めいたものはありませんが期待値は膨らんでいます。
とにかく時間をかけ自ら様々に体験し、試してみるつもりです 。
それじゃ~また
脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか(4)マインドフルネス瞑想 [障害者として生きる]
病苦から解放されるためのマインドフルネス瞑想
この本で何が書かれているのかと言うと、これまでの仏教のお寺には、人々の心の悩みや苦しみを癒し救う具体的な技術がなかった。 そしてそれを実現するが小乗仏教、大乗仏教に次ぐ「仏教3.0」であると定義し、その実現の為に、具体的にマインドフルネス瞑想によるメソッドを提言しています。
なお、マインドフルネスとは、心身を整えるトレーニングのことで、アップルやグーグルが社員研修に取り入れ話題になりました。また心療内科の現場でも徐々に用いられているそうです。
これらには宗教的な側面は全くありませんが、禅の瞑想と通じ合う面が多くあります。
マインドフルネスと禅瞑想の統合を目指されているのが著者の山下良道師です。
具体的には、ワンダルマ・メソッドと言う座禅による瞑想です。主に3つのパートがあります。
パート1.体の微細な感覚を観る瞑想
パート2.慈悲の瞑想
パート3.呼吸を観る瞑想
さらにこれに加えて、室内と室外で行う次のパートがあります。
パート4.歩く瞑想
これら瞑想の実践を通して、次々と心に浮かんでくる苦い思いから人を解放しようという試みです。
これらのパートは、私が脳卒中後遺障害のリハビリで取り組もうとしていた方法と奇妙に一致するのです。
それは主に、筋緊張を緩めるため呼吸法により体の力を抜くこと。脳の認知過程を活性化させるため、身体各部位の感覚を取り戻すことです。
さらに、心を整え精神的な苦しみからも、解放されるというのです。
何の準備も費用もかかるわけではありませんので、私も取り組んでみることにしました。ただし、脳卒中後遺障害の病苦からの解放というのが目的ですので、呼吸法にしても座った状態で行うのか、ヨガのようにポーズを伴いながら行うのか、あるいは太極拳や武術、システマのように動きの中で行うのかいろいろな方法を試してみたい思います。特に歩行中の呼吸を重視して取り組んでいきたいと思います。
障害の程度によっては、真向法も行えると思いますが、私の場合は、身体的に難しかったです。
まだほんの入り口ですが、かなり長期間に亘る取り組みとなる気がしています。
参考までに、私がパート2の慈悲の瞑想(念じる瞑想)で、最後に唱える文言を記しておきます。
(脳卒中後遺障害を持つ)同病の方が、幸せでありますように
(脳卒中後遺障害を持つ)同病の方が、全ての苦しみから解放されますように
皆さんも、よろしければ数回念じて下さい。病苦からの解放に同病者同士の繋がりは大きな力を持ちます。
それでは、私は修行・メソッドを続けます。これ結構楽しいのです。
瞑想は、万一寝たきりになったとしても大丈夫です。ベッドで瞑想し、心を自由に青空に遊ばせたいと思います。
それじゃ~また
脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか(3)心の問題 [障害者として生きる]
「病苦その2 心の問題」
今回は「病苦その2 心の問題」です。人生の終盤で最も大事なのが、この心の持ち方であると考えています。
後遺障害がもたらすネガティブな心情
脳卒中で重い後遺症が残ると精神的にも苦しいものです。鬱とまでいかないまでも日常ネガティブな心情に陥りがちです。
仕事や人間関係を無くしたことの喪失感や、元の暮らしに戻れない絶望感があります。
また人生の失敗者とみなされることや、治療・介護側の若い人たちに、歪んだ不自由な身体により、人としてまでも軽く見られてしまうこともあります。
さらに障害により日常動作そのものがストレスの塊ですし、慢性期になると、長期間懸命にリハビリをしても、目に見える効果が得られる訳ではありません。
脳卒中の再発、拘縮から寝たきり等将来への不安もぬぐえません。
生々しい苦い記憶が蘇(よみが)る
”生々しい記憶と、頼りない現実の狭間を、人は生きていくものらしい”
これは、私の敬愛する作家、乙川優三郎氏の言葉ですが、過去の記憶が生々しく蘇ってくることは、多くの人が晩年になっても経験されるのではないでしょうか。
しかも楽しい思い出が蘇って来るのではなく殆どが悲惨な記憶です。中にはトラウマとなっていて、激しいフラッシュバック(※1)が起こり、感情的に、ひどく不安定になる場合もあります。
私も10代の終わりに屈辱的な体験があり、それは年数が経てば記憶の隅に押しやられるといった類のものではありません。
脳卒中後遺症により、行動範囲が制限されたり、仕事を引退し、時間的な余裕が出来ると、生々しい苦い記憶が、たびたび蘇(よみが)るのです。
まさに、脳卒中の病苦と苦い記憶の二重苦です。
そんな気持ちに襲われたある日、気分を変えようと本棚の奥を探っていると一冊の本が目に止まりました。それが「青空としての私」(山下良道著)です。数年前に1度読んでいたのですが、今一つピンとくるものがなく特に印象に残りませんでした。仏教というものにある種の不信感を持っていたこともその理由です。
しかし今回は強い啓示を受けました。
次回、具体的な方法についてお話します。
※1フラッシュバック
フラッシュバックという用語は過去に起こった記憶で、その記憶が無意識に思い出され、かつそれが現実に起こっているかのような感覚が非常に激しいときに使われます。
脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか(2) [障害者として生きる]
前回の『病苦その1「身体の問題」』の続きです。
身体認知力を高める
認知運動療法に関する多くの本を出されている理学療法士の宮本省三先生は次のよう主張されています。
「片麻痺は脊髄レベルのおける伸張反射の亢進を必ず伴う痙性麻痺でありその病態は感覚運動系の反射制御障害である。
この異常な筋緊張を患者自身が制御できなければ運動麻痺は回復しない。」
「つまり中枢神経系の階層構造における下位レベル(脊髄、脳幹レベル)の異常な反射活動を、上位レベル(大脳皮質)の認知機能によって制御する能力を向上させることによってのみ随意運動は回復するのである。」
脳のなかの身体―認知運動療法の挑戦 (講談社現代新書 1929)
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脳卒中後遺障害の中でもう一つの大きな問題が感覚麻痺です。麻痺側の手足の位置や方向、動きを認知できにくくなっているのです。この認知機能の向上、運動イメージの想起が非常に重要となってきます。
やみくもに身体を動かすことでは、機能回復は成し遂げられないと言うことです。
理論としては本当に良く分かります。そこで、私も素人ながら一人で出来そうな事に取り組んでみたのですが、今一つピンときませんでした。やはり、この療法はセラピストと二人三脚でやることが必要だと感じました。
私の周辺では、認知運動療法を受けられた方がおられません。聞こえてくるのは治療側の話ばかりです。患者側からその効果を聞くことが出来ず、その理論と治療の正しさが確認出来ないでいます。もしご何らか体験された方おられましたら感想等、是非お教え下さい。
参考として、以前当ブログでご紹介させていただいた漫画家の藤田貴史さんの『リハビリテーションレポート「認知運動療法日記」』を下記に上げておきます。
『「認知運動療法日記」』(2)
認知運動療法日記(3)
認知運動療法」日記の最終回
「認知運動療法」日記~ボクは日々、変容する身体 (リハビリテーション・レポート)
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「年齢による衰え」
義理の父は70歳の時に脳梗塞を発病したが、幸い障害の程度はは軽く、1月ほどで装具なしで、杖をついて歩くことが出来ました。上肢も弱弱しいながら手で物をつかむことができました。
現在88歳になっていますが、歩行の衰えが著しいのです。買い物などはシニアカーに乗って移動しています
しかし室内では、足の動きが衰えあちこちに手すりを置いています。
年齢による衰えは誰も避けることができません。特に脳卒中後遺障害を持つ者には厳しいような気がします。ですから病苦に対応する心の持ち方という問題も、これから非常に大切になってくると思うのです 。
次回は「病苦その2 心の問題」にアプローチします。人生の終盤で最も大事なのが、心の持ち方であると私は考えます。
それじゃ~また
脳卒中後遺症の病苦からどうやって解放されるか (1) [障害者として生きる]
皆さんお久しぶりです。一休みのつもりが、 気がつけば、あっという間に半年が経ってしまいました(苦笑)
その間、「脳と身体動作」、「武術」、「脱力ストレッチ」等の書籍を読み、一部損傷した脳であれこれ考えていました。もちろん試行錯誤の自主リハビリも継続しています。
そして最近、「脳卒中後遺症の病苦から、どうやって解放されるか」というテーマの ある種方法論の入り口に立った気がするのです。
今回それを4回に分けて、簡単に記しておこうと思います。
私は今春、脳卒中で倒れてから10年が経過しました 。自分なりに懸命に自主リハビリに取り組んできました。室内では装具、杖無しで、物を持って何とか移動できるようになりました。しかし、手首や指は病後ピクリとも動いたことがありません。
障害者手帳をもらえる程、後遺障害が重いと、元の状態に回復するのは非常に困難であると感じます。
ですが、あきらめて何もしなければ、あっという間に身体は硬直し腕はひん曲がり、寝たきり状態になってしまう。
慢性期の重度障害者は、こんな希望が見えないなさけない状態に追い込まれます。
この病苦から、どうやって解放され、希望をつなぐことができるのか、これが大きなテーマです。
所で、脳卒中後遺障害の病苦には、大きく分けて三つにあると思います。
一つ目は「身体の問題」 、二つ目が「心の問題」、 そして三つ目が「経済的な問題」です。 今回はこの「身体」と「心」の問題について取り上げます。
◆.病苦その1「身体の問題」
身体の麻痺が順調に回復すれば、脳卒中後遺症の病苦といったものは比較的感じなくてすみますが、重度の後遺障害になるとそうはいきません。この後遺症は頑張れば頑張るほどよくなるといった単純で生易しいものではないからです 。
自宅リハビリは陽性徴候との戦い
著名なリハビリ医である太田仁史先生は、『脳卒中のリハビリは「陽性徴候」との戦いである』と述べらます。
「陽性徴候」とは、反射の亢進、痙性、拘縮、クローヌス、共同運動、連合運動といった慢性期の我々を悩ます代表的な症状です。もう一方の「陰性徴候」とは筋力の低下のことをいいます。
さらに「自宅リハビリ訓練とはこの新たに出現してくる陽性徴候との戦いであるといっても言い過ぎではない」
「この戦いは一生続きます。ケアの手を休め訓練を怠ればたちまち手足に惨めな変形をきたす」と続けられます。
機能回復の前には、まず「陽性徴候」という機能低下と戦わなければならないいという事です。
私も10年リハビリを続けてきて、過緊張がもたらす「陽性徴候」といったものに悩まされ続けました。
麻痺した手足を動かそうと頑張れば頑張るほど、筋緊張が高まり、陽性反応が強化され一層動きにくさがもたらされてしまうのです。
そこで私が目を付けたのが、力を入れず動作する日本古来の動作方法です。これは筋力を頼りとした西欧式の動作方法とは明らかに異なるものです。中国も含め東洋式動作方法と呼べるものです。
腹式呼吸法を取り入れる
この東洋式の動作を研究をする事が、今の私の課題となった訳ですけれども、その中で「呼吸法」というものに注目しました。いわゆる「腹式呼吸」というものです。
武術などでもこの腹式呼吸が重要視されますし、私自身、長くスポーツをやってきて過度な緊張をゆるめる為に腹式呼吸が非常に有効であることを体験的に知ってもいました。
最近流行の体幹トレーニングには「ドローイン」といって腹式呼吸を使いインナーマッスルを鍛える方法が使われています。
このように腹式呼吸と動作を組み合わせることは「陽性徴候」を引き下げる意味でも非常に重要であると思います。
長くなりましたので続きは次回とします。