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お金奮戦記(その4)関西ドケチ女房が女神に見えた [脳卒中で廃業から、老後資金作り]


この泥が あればこそ咲け 蓮の花(蕪村)


 女房のひそやかな収入

 

女房には一人暮らしをしている父親がいた。3年前に、脳梗塞を発病し不自由な生活を送っていた。


子供は女房一人だけ。自分の子供が中学生になって多少時間的余裕ができた時、女房はパートに出たいと言ってきた。多分父親の老後のためのお金を稼ぐつもりだったのだ。


私はパートの様な時間を切り売りする仕事でなく、ノウハウが溜まっていくような仕事の方がいいと伝えた。

 


それで女房はインターネット販売を始めたのだ。倒れた後で知ったが、これが月収10~15万円程度になっていたのだ。

 


これが私の病後生活を支えてくれた。私の5分の1程度になった事業収入に女房のネット収入、他に知人の会社の非常勤役員報酬もわずかにあった。これで、生活費が何とか賄えたのだ。




女房と子供名義の預金

 

思えば、30代の中頃、私が独立開業したことにより、私たちは貧窮生活を送ることになった。女房は妊婦検診にも行けず怒られたそうである。

 


その後事業が軌道に乗り始めた頃に、また運悪く阪神淡路大震災。

住んでいた家が半倒壊、受注量も3割程度にまで落ち込んだ。

 


このような暮らしの中で、私は毎月の生活費を必要最低限しか渡すことができなかった。

その代わり年に2~3度、資金に余裕がある時は、ボーナス代わりに50~100万のお金を渡していた。

 


十数年間、そんな臨時収入を、女房はほとんど使わずに、女房と3人の子供名義(笑)で預金していたのだ。


私は震災以降、単身赴任生活となり、そんなことは全く知らなかった。

 

これで子供たちの教育費は全てまかなえる。

 

これには、教師になりたかったのに、経済的な理由で、大学進学出来なかった女房の強い思いがあったと思う。

 

 

 

人生、何がどこで役に立つか、逆転するか分からない。


割引食品ばかり買う関西ドケチ女房が、女神に見えた。

 

それじゃ~また

 

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