▼NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」が再放送されており、私も女房も楽しみに見ている。
「ガロ」は水木しげるさんと関わりの深い雑誌である。水木さんと編集長の長井勝一さんとは、売れない頃からの長い付き合である。
▼高校を卒業した頃、「漫画には小説や詩と同じように大人が読むものもある」ということを教えてくれたのが、漫画雑誌「ガロ」でした。 つげ義春さんの「紅い花」,永島慎二さんの「フーテン」夢中になって読みました。 ▼編集長であった長井勝一さんの「まんが美術館」が塩釜にあると知って訪ねました |
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ガロは紙質が悪いこともあり、なんだか下手に見えた作品も、生原稿を見るとやはりスゴイ!プロもどきは生き残っていけない厳しい世界だと、実感させられた。 作家の息遣いを感じる生原稿はやはりいい。 |
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▼仙台の先にある塩釜という街、初めて訪れた者には何とも走りにくい街でした。
交差点も、右斜め上、左斜め上にも別れていてカーナビを拡大にしてもよくわからない。何度も迷いました。 しかし神戸ナンバーのよそ者の車を、地元の車は親切に横から何度も入れてくれました。 親切なドライバーが多い!そんな印象を持ちました。
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
幼少の頃杉浦茂(猿飛佐助)氏に初めてギャグ漫画の超ばかばかしさに触れ、私の性格に今も多少残っている軽重不惑さにおおいに影響を与えました。その後、赤胴鈴之助、月光仮面、怪傑ハリマオ、鉄人28号、に夢中なり巨人の星、おそ松くんになると散髪屋さんで見て、しばらくしてからカムイ伝のリアリズム溢れる革命的時代漫画に感銘を受けました。それらの多くの漫画が我が人生のよき伴走車だったと思っています。
【返信】 やはり、白戸三平「カムイ伝」ですか、全共闘世代に10年遅れて来た世代ですので、時代の空気感じることができず、単なる農民が出てくる忍者漫画くらいにしか思いませんでした、残念です。
でも暮らしに、漫画と音楽が共にあった時代は一緒ですねえ。
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越前加賀は、日本の歴史上、類まれな地域である。それは庶民による自治共和国が100年も続いた歴史を持つからである。 この旅で、白山市鳥越の一向一揆歴史館を訪れることを楽しみにしていた。 この地は「百姓の持ちたる自治共和国」が大抵抗の末に、最後に滅んだ所である(1582年) 滅ぼしたのは織田信長である。 信長との戦いは、石山本願寺(後に大阪城)、金沢御堂(後の金沢城)と二つの大拠点が陥落し、大勢は決していたが、鳥越は、なお最後まで徹底抗戦した地である。陥落後は、周辺の集落に人が全くいなくなるほど残虐な殺戮(さつりく)を受けた。浄土宗門徒は武士の世を揺るがす危険集団とみなされたのだ。 その100年前、本願寺門徒による一向一揆で守護大名を打ち破って百姓の持ちたる国が誕生した。百姓による自治共和国である。 百姓とは、中心となった農民(定住民)だけでなく漁民、行商や運搬に携わる人々、山で暮らす狩猟民、木地師などの非定住民も含まれていた。つまり被支配者層の庶民である。
「一切衆生・平等往生」という平等思想が国の基盤になっており、信者同士は身分に関係なく「御同朋(おんどうほう)」で、少人数の講(こう)を通じ強い連帯意識を持っていた。
これは従来の貴族のための宗教とは大いに異なっていた。 |
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一向一揆の際に掲げられた六字名号の旗
【真宗大谷派 普照山 乗円寺所蔵】 |
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旗印は、全ての人は、職業、身分、性別に関係なく「南無阿弥陀仏」を唱えることで極楽往生するという親鸞の教えである。
だが、豊かな米作地帯でもあったこの地は、権力者に常に狙われ、防衛の為の戦いが続いた。 資料館で、戦火で真っ黒に焦げた当時の兵糧米を見た時は、胸にこみ上げるものがあった。 |
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それじゃ~また | |
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【同病の三本松のおじさんの一言】 古代の城郭のような写真は、白山市鳥越にある一向宗最後の拠点となった城郭ですか?。いいですね~行ってみたくなりました。
【返信】 そうです。ここで、織田信長の命を受けた柴田勝家に、例のごとく徹頭徹尾情け容赦なく壊滅させられます。信長と秀吉、英雄と称賛されますが、戦国大名の中でも特に異様な人間性の二人を、とても称える気にはなれません。
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私が小学生の頃、テレビが爆発的に普及しました。東京オリンピックが開かれるからです。 期待に胸膨らませた東京オリンピック陸上競技では、惨敗つづきでシュンとなりました。 ただ一人、最終種目のマラソンで、円谷選手がメダルを取ったのです。歓喜しました。 円谷選手は首を傾け本当に苦しそうに走るのです。アベベに次いで、競技場に戻ってきた円谷選手は、そこで一人の白人選手に抜かれましたが、何とか銅メダルを獲得しました。 私もこれに大いに刺激を受けて、「円谷選手のようにオリンピックに出る」と人生初の目標を立て、毎朝走るようになりました。円谷選手は私のヒーローでした。 何年か後、あの円谷選手が自殺したという衝撃のニュースが飛び込んできました。
「なぜ?」という疑問は脹らみましたが、それでも毎朝一人で走ることは止めませんでした。 家族に宛てた遺書を知ったのはそれから10年も後です。 |
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父上様 母上様 とろろ美味しゅうございました
敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました
勝美兄姉上様、ぶどう酒、リンゴ美味しゅうございました
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父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません
何卒お許し下さい
気が安まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません
幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました 何者かに成るということは、こんなにも苦しいかと涙が止まりませんでした。
それにしても、今読み返しても、この純真さには、心が痛みます。 |
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40年後、ようやく訪問した「円谷幸吉記念館」。何と数日後に「円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が開催予定で、のぼりが旗めいていました。
地元(福島県須賀川市)とはいえ、円谷さん冠マラソン大会が今も続いているなんて、本当にうれしいことです。 |
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また、この町の「円谷ランナーズ」からは、2020年東京オリンピック一万m代表の相澤晃選手も輩出しました。生きていれば、円谷さんどんなに喜んだことでしょう。 |
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それじゃ~また | |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
今の時代の男性が、持ち合わせていないような古武士然とした風貌、グランド内でもう少しのところでスッと抜かれた悔しいオリンピック、そしてしばらくたってからの悲しい自殺、何だか愛おしい気持ちにさせる選手でした。
【返信】
父親の「次は金メダル取らせます」発言。親を敬愛し、生真面目な円谷選手はスランプに陥り本当につらかったと思います。
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2017年3月28日に神戸新聞にこんな記事が載りました。 たまたま長女が生まれた病院だったので目にとまったのですが。 こんな場合はどうすればいいんでしょう。内部犯行ならお手上げです。 私も脳卒中急性期の病院で、尿が出ず痛風を再発した足を、鋭い目つきの女性看護師に深夜、何度も触られ悲鳴を上げました。 ひょっとして、つめの間に針を差し込んだのか・・?本当に痛かったでしょう。 「メガネさん 、飴玉あげますから、あ~んして」「なんじゃこれビー玉やんけ!」などと言い返せないでしょうし。 どうするか!?録画、録音がまず考えられる対策ですが、これは寝たきりの場合協力者が必要です。寝たきりで外来が少ない場合、悲惨なこのようなケースが多いのか!? では、こんな施設を事前に見極められないのか、こんな一文を見つけました。 ■職員のモラルを下げる主な要因は、毎日同じ仕事の繰り返しと、障害者に対して優位な立場に立つことの二点である。 ■これらを一度に防ぐ方法は、担当をつけないことである。障害者に対して特定の職員を担当として 張り付けると、仕事に変化がなくなると同時に両者の関係が固定化し上下関係に結びつきやすくなる。 ■そこで担当者をローテーション化し、1人の障害者をいろいろな職員が見るようにするのである。このローテーション方式は職員による虐待を防ぐ意味でも効果がある。仮にある職員が虐待をしたとしても、別の職員が入浴介助などをすればすぐに見つかるだろう。 ■施設を外部の目にさらすこともモラル低下の防止には有効である。施設見学者やボランティアの受け入れなどがそれである。見学者は一時的に外から見るだけなのだが、ボランティアは実際に施設内の仕事に関わるため職員の仕事ぶりにも目がいきやすい 。「障害者の経済学(中島隆信)」 施設入居時のチェック項目として、「職員のローテーション化」「ボランティアの有無」ぜひ覚えておきましょう。 さらにどうすればいいのか、しわの少なくなった脳でこれからも考え続けたいと思います。 じゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
虐待を受けた自分にあてはめた場合は、病院に対して声をあげる(一部にせよ良識を持った人は必ずいる)。病院の体質に関してはご指摘の担当のローテーション化、教育と思われます。悪貨は良貨を駆逐する。いえるのは教育をおろそかにする職場は必ず怠慢とモチベーションの低下を招くのではないでしょうか。
【返信】 良識を持つ方が存在する事は間違いないと思います。ただ深夜など人のいないところで行われることが多く、また精神的に病んでいる人もいます。
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この国は、なぜこんな虐待社会を招いたのでしょうか、その要因はは色々あると思いますが、私なりに主に次の三つにその要因があると考えます。 1.初めて経験する超高齢化社会 第一が初めて経験する「超高齢化社会」です。2017年の日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81歳で、ともに過去最高です。そこには痴呆等の病気や障害を持つ老人の増加、老人介護の増加があります。 老人の側も、健常であっても、思ったような老後が過ごせず孤立感等から万引きや暴力といった問題を引き起こしています。 2.生活から余裕を奪う社会 二番目が、主に経済的な側面から「生活から余裕が奪われてしまう社会」です。 高度成長期はとうの昔の話で、経済成長が止まり、成熟期から衰退期の危機にある日本の経済環境です。そこでは、企業における長時間・低賃金労働、少ない人数で仕事を回さざるをえない人手不足の労働環境が、生活から余裕を奪ってしまう。老人も予想以上に長生きの為、老後の蓄えが減り続ける。さらに、引きこもりの息子や子連れの娘が、高齢の両親に経済的に依存するケースも増えています。 3.コミュニケーション能力不足 三番目が、現代人の「コミュニケーション能力不足」です。SNS隆盛の時代、何を言っているんだと思われるかもしれません。
しかし私は、以前よりコミュニケーション能力が向上したとはどうしても思えないのです。
特に、人同士で面と向かった直接的な会話能力は後退しているように思います。大声ではしゃぎあったり、頻繁なSNSなどで、会話出来ていると勘違いしているのです。静かにじっくりとコミュニケーション取ることには慣れていないのです。 それには、幼いころから、兄弟も少なく直接的に身体を触れあったり会話交わしたりの経験がとぼしいのが原因ではないかと思います。動物は、互いに毛づくろいし合ってコミュニケーションを深めます。
まだまだ、この問題を考えていきたいと思います。特に相性が悪い相手や、コミュニケーションが苦手と思しき相手と、どうコミュニケーションをとるかは、他人の介護を必要とする私には大きな問題です。
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
ご指摘の虐待要因三つをヒントにして、集約すると底辺にあるものとして孤立と貧困という重いテーマがありそうです 【返信】 庶民にとって、弱り目に祟り目で、だんだん生きにくい世になってきた様に思います。
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虐待社会の2回目は介護側による高齢者虐待の実態に触れてみたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー JOINT「介護ニュースサービスサイト」によると ■「介護職員が加害者となったケースが510件、親族や同居人などが加害者となったケースが1万7078件。ともにこれまでで最も多くなっている。相談・通報の総数も3万1938件で最多だった。虐待かその疑いで亡くなった人は28人。」 |
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■介護職員が加害者となったケースをみると、特養(30.4%)や有料老人ホーム(21.6%)、グループホーム(14.3%)といった施設・居住系での発生が目立っており、訪問介護(3.1%)や通所介護(6.7%)より多かった。
虐待を受けた高齢者は約7割が女性。認知症の症状が深刻化しているなど、状態の重い人ほど被害を受けやすい傾向にあることも報告されている。虐待をした介護職員の54.9%が男性。
介護サービスの担い手には女性が多いことを踏まえると、やはり男性の方が加害者になりやすいと言うことが言えそうだ。
■虐待が起きた要因では、「教育・知識・介護技術などに関する問題」が60.1%で最多。以下、「職員のストレスや感情コントロールの問題」が26.4%、「倫理観や理念の欠如」が11.5%、「人員不足や人員配置の問題、関連する多忙さ」が7.5%などと続く。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように圧倒的に親族等による虐待が多いのである。 介護職員による虐待は親族などの虐待に比べると3%程度である 。ただ、男性が加害者になることも多く、亡くなるようなひどい虐待や複数人への虐待が特徴であると思われる。 知識は、主に「痴呆」に対する知識不足だろう。 介護する家族は、突然の思わぬ事態に直面し混乱する。
頭ごなしに否定しない。邪魔しない、怒鳴らないことなどが疾患への知識であろうが、 家族だから余計に感情的になる面があると思う。
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
この歳になっても感情のコントロールが制御できず、夫婦喧嘩に発展するケースは度々だ。いわんや親族間での介護現場においておやだ。まだまだ人生、勉強することたくさんありそうだ、
【返信】
いやぁ~全く同感です。友人関係もそうです。男は頑固になるというか、身の回り30cmしか見えなくなっていく輩が多い気がします。付き合いもしんどくなる。人生最後まで、修行ですねぇ~
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今回からシリーズで介護の現場における「虐待社会」について考えていきたいと思います。虐待は、介護側からも、利用者側からも頻繁にみられます。 | |
この記事で使われるハラスメントは、本来「嫌がらせ」の意味ですが、ここでの行為は、嫌がらせ程度ではなく、全て立派な虐待です。 精神的暴力は攻撃的な態度や大声、人格・能力の否定などのですから立派な精神的虐待です。この中でも訪問看護では半数以上の職員が利用者からハラスメントを受けていたということになります。 ▼私も訪問看護を受けた初期の頃、どうして二人で来るのか不思議で仕方なかったのですがやはりこういうことだったのですね。
一度二人で様子を見て、虐待等の問題なければ、次からは一人という形をとっていたのですね 。 ▼『ハラスメントが発生する原因については43%が「利用者家族がサービスの範囲を理解していない」と答え、最も多かった。』ということです。
本当に原因がこれに特定されるなら、解決方法もあると思うのですが、ただこれだけではないような気がします。介護時間がひっ迫する中、コミュニケーション不足から人間関係のこじれが生じている気がします。実際お茶を飲んで話をする暇はないのです。
それじゃ~続きはまた
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【同病の知人 三本松のおじさん】
介護現場は生身の人間同士のぶつかり合いみたいな所があるような気がしますので、まず自分は謙虚と感謝を心がけるつもりです。
が、実際なかなか一筋縄ではいかないところがあるのでしょうね。今のところ知らんけどです。
【返信】
仰せの通りです。これまでの経験を総動員して良好な関係築きたいと思います。一定の我慢の末の見切りも必要です。
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【同病の三本松のおじさんの、もう一言】
間違いなくもう少し長生きすれば、お世話になるのは必至です。ですからお世話する人、される人の相互の関係を、いい関係にするためのヒントが発見されるといいなあ~、今から準備しておくと怠りなし。
【返信】
おとなしく穏やかな爺さんが理想ですが、認知などで我が出た時が心配です。
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茨木のり子さんは、1926年に大阪で生まれ。49歳のとき夫に先立たれ、以降31年間一人暮らしを続けました。一人暮らしを始めて2年後発表したのが『自分の感受性くらい』です。 | ||
□■□■□■
〇自分の感受性くらい 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
□■□■□■
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片麻痺になってから思い通り体を動かせず、ストレスと一緒に暮らす日々。 やはり苛立ち、気難しくなってしまう。それが、ひどくなって自分の気持ちを持てあます時、自戒を込めて時々読み返します。
この年代の女性はどうしてこんなに強じんなのでしょう。 感性のみずみずしい頃(「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のりこ)に戦争を体験された世代です。
「晩節を汚す」男性(作家、政治家)が多い中、この成熟ぶりは驚嘆させられます。
お三方とも歳を取られた写真見てもとてもお綺麗です。「覚悟も意志も」持って人生を全うされた美しい女性たちです。
それじゃ~また。
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【同病の三本松のおじさんの一言】
人生に負けても、一人で老後を淋しく送らなければならなくなっても、自分自身の一線としての感受性を錆び付かせることなく人生をまっとう出来る自信ありといえるように、近ずく努力はしてゆきたいです。
【返信】
同感です。独善的にならず、周りの人の良いところ見つけられる感性は持っていたいです。
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▼私は、54才で脳卒中で倒れ、翌年は心筋梗塞を発病し、結局56才で仕事を完全引退することになりました(涙)
しかし反面、現役中はできなかった楽しむための読書が思う存分出きる環境にになりました。
▼小説は、現役の時は年1-2冊程度でしたが、まあ、暇だから読んでみるか・・。そんな軽い気持ちで読み始めました。 この年になれば純文学(こんな言葉今あるのでしょうか?)などもう御免です。新聞でちらっと読んだ渡辺淳一先生も”もう堪忍や!”です。 ▼それで、藤沢周平、山本周五郎などの時代小説を読み始めました。
そんな中ではっとさせられた言葉、励まされた言葉等を紹介したいと思います。 中途障害を負った自分のこれからの暮らしの中で、つねにそばに置いておきたい言葉です。 ☆実際生き延びてみなければ何がその人に幸いするか分からないのだ。(乙川優三郎、さざなみ情話) ☆マイナスとマイナスを掛ければプラスになる。
小難によって大難をまぬがれる。(山田風太郎)
☆老いても病んでも芯のある人はおおらかである。(乙川優三郎)
☆運命を解釈する力こそ人間の力量である(山本周五郎)
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【同病の三本松のおじさんの一言】 どの言葉も前向きにさせてくれる言葉ですね。 では私からも一つ藤沢周平の”泣かない女”より 足の悪いお才は、ずっと前からいつかこんな風な日(夫の浮気)が来ると思っていたと、黙って家を出て行ったが・・・ あわてて迎えに来た浮気亭主に、「施しをするつもりならやめてね、憐れんでもらいたくないの」お才は声を出して泣いた。お才の泣き声を聞くのは初めてだった
【返信】 ”泣かない女”が、泣く話ですね。縁と、人(女性)を見る目。そこに大きな分岐点がありますね。 |
▼当ブログに何度も訪れていただいている方は、記事からすでにお気づきになっていると思います。 実は私、好き嫌いが激しいのです。 ▼久坂部羊先生によると、好き嫌いがはっきりしている人というのは、敵意を感じさせる人、反感を買いやすい人らしいのです。 ▼また熱心過ぎてありがた迷惑な人間らしいのです。 以下先生のご意見です。
「一見気さくそうに見えるが実は好き嫌いが激しいタイプは、優秀で努力家であり完全主義者で合理主義者である。不要なものを徹底的に排除しなければおさまらない性格と言える。だから、相手は傷つき反発するようになる」 ということらしいです。
なるほど、現役時代は「優秀」以外は近かった気がします。 ▼これは、「頑張れば成功するという受験エリートの習性」らしいのですが、私は「受験エリート」には当てはまりません。少なくとも受験より大事にしていたものがありましたから。 ▼いずれにせよ。これから年齢を重ねていくと介護施設などにお世話にならなければならない。 敵意を感じさせる人間が動けなくなってしまったら、どんないじめや虐待にあうのか、想像すると恐ろしい・・・。 ▼しかし「好き嫌い」の「好き」の方もあるわけだから、好きを一層大切にすることも大事かなあ、と思ったりもします。好きを通して新たに親密な友人を作る。 ▼でも、少なくとも自分は「敵意を感じさせる人間だ」との自覚はこれから必要です。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
残りの人生、たとえ一人になっても自分による自分のために最後まで自分で決める人生を送りたいと考えてますので、今更八方美人として振る舞うより我が道を行きます。だって嫌いな人間多しの世の中、好きな人に接すると幸せ感を感じますもの、それを大事にしたいです。 【返信】
残り人生人と争っても仕方ないとと思う一方、心触れ合う親しい関係も求めたいと思います。それは療養病棟でも可能です。
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▼共に東北出身で同世代を生きた偉大な二人の詩人と言えば、草野心平と宮沢賢治です。
私は教科書で草野心平の「冬眠」という詩(上記)を読んで?(見て)衝撃を受けました。それ以来草野心平のファンです。 ▼もちろん宮沢賢治の詩にも感動しました。特に高校の女性教師が読んでくれた「永訣の朝」は衝撃でした。感動のあまり呆然自失の私に、教師がにっこりと微笑んでくれました。 ですが、宮沢賢治というのは、育ちがいいという感がどうしても拭えないのです。百姓仕事をしたこともないのに、理想に燃えて農学校の教師になる等、少々青っぽさを感じるのです。 草野心平は、家庭を持ち生活に貧窮しながらも創作を続けた。その骨っぽさが好きなのです。
▼ちなみに吉野せいの夫で詩人の三野混沌は、詩作に夢中なあまり農作業がおろそかになり、また農地解放運動にのめり込んで、百姓仕事、子育ては全てせいに任せっぱなしだったそうです。私はこんな人物は、はっきり言って嫌いです。 |
とにかく家族との生活の為、貸本屋、居酒屋やセールスマン何でも一生懸命にやった。 大陸風の男っぽい、いいい表情をしています。ちなみに中国の広東嶺南大学で学んでいます。
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それじゃ~また
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【同病の三本松のおじさんから一言】
詩を読んで呆然自失、青っぽさより骨っぽさが好きとは、詩に関して不勉強な私はメガネザルさんの生き方そのもののような気がします。
【返信】 ありがとうございます。口の悪い同級生からは、高校生の時から何も変わっとらん(進歩がない)と言われてます。
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明石家さんま、大竹しのぶなど7人の若手俳優が出演して大ヒットした。こんなシチュエーションの青春を過ごされ方、実際多かった思う。 どん底大学で出会った男3人に、女2人(看護学生とOL)。そこから2組のカップルが誕生し夫婦になった。私は1人余った(涙) どん底の男たちは、もう無茶苦茶で、だれもまともに就職できなかった。そんな男をこの女性2人は見捨てなかった。 ▼あれから40年、女性1人は50代の初めに亡くなり、先日男の1人が亡くなった。気がつけば5人のうち2人が既に亡い。もう1人の女性もガン闘病中だ。 ▼今回の旅でルート変更したことで、もう1人の男の住む山口市を通ることとなった。どうするか迷った。 何度かの転職の後に、山口で地方公務員になった事を隠していた彼。以降交流は少なくなっていた。 十数年前、奥さんが亡くなった後に一度官舎を訪ねたきりだった。その時すっかり公務員の管理職らしく鷹揚(おうよう)になった彼に白けた。 ▼通り過ぎるつもりだった。しかし京都で仲間だった彼の奥さんの仏壇に線香をあげていなかったことに気づいた。 早朝電話をして住所を聞いて訪れた。 数百キロ離れた町から、突然朝の8時半に現れた私に、「相変わらずやな」と彼は苦笑いした。 退職して数年経っていた彼からは、公務員臭さは消えていた。京都時代のように自由な感じがし、久々話が弾んだ。 ▼それでも 、二人の仲間の死で、青春からの一つの時代が終わった事を自覚した。
ただ、終わりは始まりでもある。友との別れを惜しみつつ老いの時代の始まりだ。
▼さらば友よ!ひょっとしてもう会うことはないかもしれない。でも今回会えて本当によかった。 |
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】 竹馬の友高校時代の友人を亡くした時は、その時代の濃厚な思い出に幕が下りたようでしたが、大学時代の友人を亡くした時は哀しみに包まれました。今後残りの人生益々このような悲しみが、心の領域を占めてくるようです。
【返信】 年を取る悲しみは、こんなところにあったのですね。それも思っていた以上に早くやってくる。願わくば女房より先に逝きたいと思いますが、それもままならないのでしょう。
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やはり 庶民の暮らしには「祈り」があります。
それは世界に共通するように思います。
邪悪な人には欲望はあっても、暮らしに「祈り」はない。
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それじゃ~また
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【同病の三本松のおじさんの一言】
日々の暮らしに感謝する気持ちがなければ、義父さんさんが
されたような事は出来ないように思います。
見習いたい心境です。
【返信】 ありがとうございます。近所の草刈り、ゴミ拾いをしても
他の人には言わない。
それが積み重なってご近所に慕われていったと思います。
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経験や 人との交流が 少なく 言葉だけがフワフワと 達者になっていく その言葉を持って 野や街に出てみたらどうか 若き人よ 語るのは、それからでもいいんじゃないか 小さな生活の破片に やはり君の真の姿は現れる。 その破片を拾い集め 苦い思い噛み締めて 静かに語るのだ。 |
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今回は五行で収まりきれませんでした。
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
残念ながら、最近の若者風情を見るに、素直に、無邪気に思いとか感情を言葉でぶつけてくるような若者が少なくなり、むしろ何もかもわかったような?こましゃくれた若者が多い気がする。スマホを捨て町へ出ようだ!
【返信】 二十歳の頃、全てがわかった気がする。そんな思いを持つものだと思うのですが、そこから社会に出て、現実には決断できない自分と向き合う。一般論、格言など何の役にも立たない。知っているだけじゃアカンことに早く気付いてほしいですね。
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▼以前、心の底に「無念だという思い」があると言いましたが、その一方で、やれるだけのことはやったとの思いもあります。
生活をかけて、時に震えながらでも、逃げずにチャレンジしたといった思いも持っているのです。
▼もちろん、 仕上げの段階で脳卒中により挫折して、結局完成形を見ずに終わった。刈り取りの時期を逃したという苦い後悔もあります。
ですが、もう数年続けていても完成も果実を手にすることも、結局なかったかもしれません。もういっぱい、いっぱいになったから倒れたのですから。 とにかく私の職業人生のステージは終わり、重度障害者としての次のステージが始まりました。 ▼半分燃え尽き症候群ですから、新しいステージに際して、肩肘張って何かにチャレンジするという気負いはありません。かといって、これからの長い人生、時間消費だけの生活もなんだか寂しい。 そんな思いで、ブログ書いています。ここでも自分の生活記録残すだけではつまらないとの思いがあります。 「そんなお金にもならん事、熱心にやってどうするの!」女房や、友人達に、よく冷やかされています(苦笑) ▼ランキングサイトで上位に行くなど今更そんなバカバカしいことを目標にするつもりは毛頭ありませんが、出来れば、多くの同病者の方々とそのご家族に読んでいただいて、「少し役に立った!」、「面白かった!」と思っていただければうれしいですし、さらにネット上で交流できたら楽しいだろうなあ~、との思いがありせっせと記事書いています |
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
今や無念の思いを乗り越え、残された環境のもと、表現者としてのツールを最大限に利用して、自己実現への道を読者と共に考え、共感し、助けになろうと発信されている姿勢に頭が下がります。
【返信】
ありがとうございます。最高のお褒めの言葉です(涙)
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魅力的な老後をすごすため必要なこと 城山三郎 サライインタビュー 作家の城山三郎さんはホンダの創業者本田宗一郎様をはじめ様々な経営者の方と交流をもたれてきましたその中で感じられてきたことを述べられています 魅力的な老後を過ごす人達の共通点 一、まずいつも生き生きしていること
二、現状に満足せずにあるべき理想の姿を求めていること
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老後を迎えるためにはどんな姿勢が必要か 一、広い意味でのボランティア活動をすること。
二、人間に対する興味や好奇心を持つ。
三、老いの意識を持たないこと。
四、最後に勉強家であり続けること。
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ーーーーーーーーーーーーーー 皆さんいかがでしたでしょうか!? 現役時代は、様々な手段を費やし競争してきたとしても、老後は潔(いさぎ)よく、清々(すがすが)しく行きたいものです 。 ブログ世界でも相変わらず、他人のテーマをパクってばかりのご老人がいますが、こんな人を「生涯卑しい人」と言うのでしょう。
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【同病の三本松のおじさんの一言】
世間体、対面にとらわれず、人間の姿を楽しむ、老いを意識しない、常に自分を新しくする。のフレーズは人生を通して肝に命じておきたい姿勢です。 【返信】 仰せの通りです。
下り坂、別離も増えてくると思いますが、時に大いに悲しみ・感謝し、人に興味を失わず、時々を楽しみたいものです。
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それじゃ~また
島根県大田市の三瓶山の西駐車場に着いたのは早朝だったので、時間の余裕ができた。 シベリア抑留のの絵画、玩具の人形。前々から香月泰男さんのファンだったので、その作品を直接見る事は念願だった。
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そこからは急な坂道で、おまけに車止めがある。 しかし「車両乗り入れの必要な方は右側のインターホンをご利用ください 」との看板がある。「助かった!」とインターホンを押した。 しばらく待っていると女性が坂道を降りてきた。受付の方というよりも学芸員の雰囲気だ。 「今日は造園屋さんが伐採工事しており、途中にトラックが止まっているのでここから入るのは無理です」とつれない言葉。 |
「ちょっと先にもう一箇所入るところがあります」 「目印がありますか」 「看板が出ています」 「どのような看板ですか」 「小さな看板です」 質問をしてもめんどくさそうに、短い返事だけ。 仕方なくその小さな看板を目指した。宗教の家らしい案内板だった。 それで、ためらったのか。 しかしそこも急坂で、車が入るにはもうぎりぎりの幅しかない。 注意して何とか上がったが、民家が一軒あるだけで、その先の道はない。 私の間違いかと、30分余り周辺をウロウロした。そのうちさっきの女性が顔見せてくれないかと少々期待したのだが・・。 多くの来館者の一人にすぎない障害者のために時間を割くのはおそらく迷惑だったのだろう(当日は広い駐車場には車2台だったが・・・)
何より、香月泰男の作品を見てもらいたい、という熱意が全く感じられないのだ。 |
この美術館も丘の下に大きな駐車場があるが、そこから高齢者や小さな子供がこの坂を上るのは少々しんどいだろう。 人も施設も、人に優しい香月 泰男の作品世界に反していると思う。
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
以前美術館の建物で、機能性より吹っ飛んだような奇抜なデザインに違和感を持ったと書かれましたが、考えまするに、芸術というものは生活の身近にあってふっと安らぎを感じるものと定義すれば、かたや崇高なもので、身構えて鑑賞しないとお前たちにはわからんぞという傲慢さを感じさせてしまうところがありそうだ。
【返信】
この学芸員とおぼしき人、まさにそんな傲慢さ感じる人でした。仰せの様に、芸術は特異な才能のアピールの場ではなく、あくまで普通の人が共感できるものであってほしいと思います。香月さんの作品はそんな作品なだけに残念でした。
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▼何とも色気ある傑作です。鮮やかな情景が浮かび上がります。 さとうみやこさんホントうまいなあ。私には100年たっても詠めそうにない。 |
▼宮尾登美子原作の映画「寒椿」 昨秋、何かと話題を集めた南野陽子さん、彼女の「硬い(幼い)色気」ある演技が良かった。恋も知らない子供の時に身を売られた女の実らぬ想い。熱演でした。 西田敏行さんの男気ある存在感も抜群に良かった。私は西田さんの「硬派の男」の演技が好きです。三国連太郎さんと、こんなシリアスな映画で是非共演してほしかった。 |
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京都の綾部から福井・若狭のおおい町に抜ける細い山道をたどって若狭側に入った狭い谷に水上勉の若州一滴文庫はある。 決して豊かそうでないこんな山奥の、乞食谷(こじきだん)と呼ばれる地で生まれた子が、水上勉という作家になりえたことは、奇跡の様に感じる。 水上勉(1919年生まれ)に比べ、一世代前の太宰治(1909年生まれ)や坂口安吾(1906年生まれ)、中原中也(1907年生まれ)らが何れも大金持ちのおぼちゃまであったことを考えると、本当に驚きだ。 水上勉は、ここから9歳の時に京都の叔父の元へ送られ、10歳の時にの同地の禅寺に修行に出された。 |
とにかく水上の蔵書の数に圧倒される 試しに2~3冊引き抜いてめくってみたのであるが、やはり読んだ感じがある。 プロフェッショナルになるにはこれほどまでに本を読んでいなければならないのか!? もちろん質の問題もあるだろうが、でもやっぱりこの数には圧倒される。 私も、自分の仕事関連の専門書を数千冊は持っていたが、テンデ比較にならない。 もし小説家になろうと思われる方がおられるなら、一度訪ねられることをお勧めする。 |
私が、水上勉を最初に知ったのは映画『飢餓海峡』(きがかいきょう)だったと思う。私は小説の熱心な読者ではなく、著書は「金閣炎上」くらいしか読んでいない。 ただ、京都祇園の寿司店で修行していた頃、そこの店主がジャケット姿で店に戻ってきて、「水上勉とかいう作家とクラブで一緒に飲んでいたんだが、しょうもない男だった」と吐き捨てたことを覚えている。 多分料理のことで、何か言われたのだろうが、今となればその言葉を聞いてみておけばよかった。
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【追記】障害を持つ我が子のために「拝啓池田総理大臣殿」の手紙
水上勉さんには、重い障害を持つ娘さんがいた。脊椎破裂と水頭症という障害を持ってこの世に生まれてこられたそうである。
その娘さんのために昭和38年「中央公論」6月号で,重度障害児をもつ親の立場から「拝啓池田総理大臣殿」を発表し,時の政府に訴えた。
これに対して、池田総理に代って黒金官房長官が同誌7月号で「拝復水上勉様」を発表し今後、重度障害児の問題の解決に努力するという返答をした。
これは異例の事であり、これにより重度障害児の間題がクローズアップされるきっかけになったそうである。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
不勉強で水上勉の小説は一冊も読んではいませんが、飢餓海峡が週間朝日で連載されていたころから飢餓という題名が気になっていていて、数年後テレビで放映された際、夢中で見ました。記憶として娼婦左幸子の三国連太郎の爪を切る、いじらしいほどの、けなげな真心に胸が熱くなり救われた感じが残った記憶があります。
【返信】
最高のシーンです。また娼婦の生い立ちと故郷の情景。水上勉氏の生誕の地を訪ね、ストンと腑に落ちました。
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