▼私は、 宮本輝さんが 同世代の中上健次さんと比べると、そこまでの天才だとは、正直思えない。失礼ながら駄作も多い気がする。


 


ただ素晴らしい出会いに、恵まれているのである。




▼作家として世に出る前に、池上義一氏(同人誌を主催)と知り合い、この人の会社で働きながら、文学修行を続け、池上さんの文学界を知り尽くした老獪な戦略により世にでて、作家としての地位を築いたのである。





さらに、 歴史に残る作品を残した。それは「流転の海」である 。37年の歳月を要して書き継がれた全九巻。昭和を代表する圧巻の名作だと思う




▼これは 宮本さんの実父である 熊市さんをモデルとした宮本一家の激動の小説である。




50過ぎて初めて授かった息子の正仁(宮本輝)が、神経患うほど繊細な感受性で見聞きしたことを書き上げたものである。


いわば、親子2代で書き上げた昭和を代表し、歴史に残る名作であると思う。




私は、脳卒中回復期の病棟で、壊れた脳で必死に読み返し、生きる力がよみがえった。




▼このように必ずしも天才でなくても、出会いにより天才以上の作品は生まれるのである。




プロフェッショナルになれる人は、こういった出会いが必ずある。私はそう確信している。多くが師匠に恵まれるのだ。


 


孤灯の人は、独りよがりで生涯埋もれてしまう。




▼類は友を呼ぶは人間関係の真理であると思う




結局はその人の努力が人を呼び込むのだ、宮本輝さんは池上さんを呼び込んだのだ。そんな宮本さんを育てたのは、流転の海でもまっとうな努力を重ねた両親だ。




もちろん逆もある。うまい汁吸おうとする人間は、結局、一枚上手に吸いつくされる。


 


それじゃ~また


 




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 【同病の三本松のおじさんの一言】

中上健次さんは枯木灘、宮本輝さんは泥の河と流転の海の半分程度の読書量では、批評すらできませんが、振り返ると私の人生の中で生きる指針となるような先生に巡り合えなかったと感じます。それは巡り合うチャンスがなかったのか、又自分が積極的に求めようとしなかったのかと問われると、やはり求めなかったと思います。残念な気がします。



【返信】

運に恵まれると言いますが、誰に出会うかということに関しては、何をどう求め足掻(あが)いたかが、大きい気がします。


誰もがプロフェッショナルになる必要はありませんが、それを渇望した場合は、圧倒的な技術に加え、人との出会いが必要に感じます。