特別養護老人ホームまでの長い道のり(3)救いの神、次々現る。
■ご近所さんからの助言 小規模多機能型居宅介護施設
片麻痺なって仕事を辞めて、実家の田舎暮らしになった。私がパソコンの操作に多少慣れていることが、自治会内で伝わっていて、操作に困った住民が、時々尋ねに来るようになっていた。
例えば、自治会の費用徴収表をエクセルで作る必要があるが教えてくれとか、スマホのHな動画をPCに保存したいがどうすればいい?(笑)とか、色々言ってくるのだ。
ある日、近所の幼馴染の夫君が来たので、何気に義父の話をした。
すると、その奥さんである私の幼馴染からすぐ女房に連絡が来た。
父が世話になっていた小規模多機能型居宅介護施設が近くにある。その施設の責任者は、非常に親切で、本当に助けられた。一度直接相談に行ってみたらとアドバイスをくれたのだ。
すぐ女房は連絡を入れ、その日の午後に訪ねた。
■小規模多機能型居宅介護施設のYケアマネとの出会い
【小規模多機能型居宅介護 厚生労働省説明図】
小規模多機能型居宅介護とは、介護保険制度で創設された地域密着型サービスの一つで、同一の介護事業者が「通所(デイサービス)」を中心に、「訪問(ホームヘルプ)」や「泊まり(ショートステイ)」を一体的に提供するものだ。
この施設の責任者でケアマネージャーでもある60代男性Yさんは、元は市の社会福祉協議会の職員をされていた方で、とても気さくな人柄であった。
この出会いがその後の道を開いてくれることになる。
「宿泊室が1室空いた。これを利用されてはどうか。自宅へは週1~2度短時間帰ればいい」と言ってくれたのだ。
「ただし費用が毎月15万程度かかる。国民年金の老齢基礎年金だけだと、10万円近く余分に負担しなければならない。大丈夫か?」
女房は、夫と相談し直ぐに返事しますと言って帰ってきた。
■天国から届いたプレゼント
女房には大阪で美容院を経営し、生涯独身を通したおばさんがいた。
女房の母親のお姉さんだが、女房も子供の頃、母に連れられて数度会ったらしい。
そのおばさんが事故で亡くなられていた。おばさんは生前、近くの大学病院に献体するということを申し出ていて、葬儀も行われず我々には全く知らなかったのだ。
しかし、その遺産相続分が、なんと女房にも数百万振り込まれたのだ。
私と女房は相談して義父の毎月の施設利用料を、義父の預金と、それにプラスしてこのプレゼントされたお金の中から出すことにした。
それで100歳まで生きてもなんとかなるだろうと計算したのだ。
しかし、何という幸運であろうか。
思えば、 女房は若い頃から亡き母親の代わりに家事をこなし、正社員で仕事もし、物心両面で家族を支えていた。
結婚してからも、単身赴任で滅多に家に帰ってこない上に収入も安定しない夫を支え3人の子供を育ててきた。そして今、高齢になった父親と障害のある夫を支えている。
そんな彼女に対し、天国のおばさんから大きなプレゼントが届いたのだ。
しかし彼女は自分のためにはこのお金を使わず、父のために使いたいと言うのだ。関西のどケチ人間の彼女に幸あれだ。
それじゃ~また
長い電気コードの処理 [片手で使う道具・住宅改修]
長い電気コードの処理
脳卒中片麻痺障害者になって長い電気コードの処理が 苦手だ。
100均で売ってあるコード巻きか、棒か何かに丁寧に巻いて、結束バンドで処理すればいいのであろうが、何せコードの数が多い上に、私はセッカチときている。
ガムが好きでよく噛んでいるのだが、その容器を利用するこんな方法を考えた。
写真左の様にフタにハサミを入れて、コンセントからのコードの入口とする。一方の機器への接続コネクターを容器の穴から出す。
これだと2~3本程度は、無雑作にぶっこんでおける。
ただ、容器自体が軽いので重石が必要である。
私は鉄ボルトを入れているが、そこいらで拾ってきた小石でもいい。
それじゃ~また
特別養護老人ホームまでの長い道のり(2)退院後の行先の目途が立たない
■緊急入院、介護認定「区分変更」申請するも要介護2止まり
義父は、昨年9月に庭でへたりこんで動けなくなったところを、近所の人に発見されて救急車で搬送され入院した。これで確か3度目になる。
もう一人暮らしは無理になってきていたのだ。それはこちらも分かっていたし、近所の人も日常動作の不自由さに気づいてくれていたのだ。
本来なら特別養護老人ホームに申し込むのだが、要介護1では、申し込みすら受け付けてくれない。
買い物のためセニアカーに乗っていたのがいけなかったのだろう。
ここらあたりが、介護の認定者と我々障害者やその介護する家族のの認識が完全に違う所だと思う。
五体不満足でも改造すれば、車には乗れる。50mの歩行は困難でもセニアカーには乗れる。しかし、これが生活の自立だと捉えられるのだ。
救急で運ばれ入院した病院で介護認定の再審査、つまり「区分変更」の申請をしてもらったが、結果は要介護2止まりであった 。
■義父の「帰りたい」病に悩まされる
困ったことが起き始めた。義父に、この入院時から「帰りたい」病が出始めたのだ。
元々大工をしており職人気質で頑固一徹な人間だ。その義父が、自宅に「帰る、帰る」をうわごとの様に繰り返し看護師さんを、ひどく手こずらせ始めたのだ。
看護師さんから連絡が来て、あわてて女房が駆けつけ、その場は何とか治まるのだが、2~3日経てば、また始まるのだ。
そこで約1ヶ月入院して、その後リハビリ病院へ転院させられた。この時も義父は自宅に帰るつもりでおり、別の病院に転院さられたことに、ひどく怒った。
「もう娘は信用できん。ケアマネのS君を呼んでくれ」
そのSケアマネが頼りにならなくて苦労してることが、本人だけがわかっていない。一応 Sケアマネに 、このことも報告したのであるが、もはや何の関心もないといった感じで、フンフンと聞き流されるだけであった。
■退院後に行く施設なし
そこに2ヶ月間リハビリ入院した。その間、地域包括支援センターなどで、有料老人ホーム等を紹介いただいた。
直接、女房が訪ねていくと「2か月間だけ受け入れます」とのことで、途方にくれた。その先に行くところの目途が立たないのだ。
この入院でも義父の「帰りたい」病は止まず、最初は病院からの連絡で駆けつけていたが、その後コロナで面会も出来なくなってきて、看護師さんにずいぶん迷惑かけたと思う。
私たちは、私のケアマネージャーのアドバイスも受けて、もうSケアマネージャーに頼ることを諦めた。自分たちで行き先を探す決意をした。
それじゃ~続きはまた
重度障碍者用「意思伝達装置ファイン・チャット」
重度障碍者用「意思伝達装置ファイン・チャット」
【神戸新聞2021年2月2日】
多様な入力装置があり、脳卒中後遺症等で言葉の出にくさで悩む人にも大いに役に立って欲しい。
それじゃ~また
特別養護老人ホームまでの長い道のり(1)ケアマネが頼りにならない
脳梗塞後も一人暮らしを続けていた義父の、特別養護老人ホーム入居がようやく決まった。思えば、ここまで長い道のりだった。
義父には、娘である我が女房以外に身寄りがなく、長く一人暮らしを続けていた。
脳梗塞発病後13年、年齢も90才近くになって、身体はどんどん不自由になっており、日常生活はますます困難になった。カーテンの開け閉めさえ出来なくなっているのだが、担当の30代男性のSケアマネージャーは、相談しても、勤務する関連施設の24時間訪問介護を使えというばかりで、全然親身になってくれず頼りにならない。
【神戸新聞2021年1月16日の記事より】
介護認定も要介護1から全然上がらない。そんな中でようやく当初から希望していた特別養護老人ホームへの入居をにたどり着いた。そこは義父が通っていたデイサービス施設を併設しており、皮肉なことにこのSケアマネが勤務する施設なのである。
こんな身近な存在にもかかわらず、そこにたどり着くまで10年以上を要した。
身近な存在故に、そこに勤務するSケアマネジャーが何とかしてくれるんじゃないかと、安易に考えたのがイケナかった。
このケアマネについては、これまで何度かブログで投稿してきたが、決して悪い人でないのと、何といっても入居希望する特別養護老人ホームの施設に勤務しており、なかなかケアマネ変える決断がつかなかたのだ。
それじゃ~続きは次回