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回復期病棟の夜 [障害と自由句]


 


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生きていて

そばにいてくれるだけで、良かったのに

若死にした友人の奥さんの

つぶやく声がふっと聞こえた

脳卒中回復期病棟の夜

突然、脳卒中になり片側の手足が動かない。回復期になり多少思考もはたらき始めたこの頃、ほとんどの人は心の中で一度は、”死”を思うのではないでしょうか。私もそうでした。その時ふっと友人の奥さんのつぶやきが聞こえた気がしたのです。私の心の回復への第一歩でした。




それじゃ~また

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生食パンがウマイ [片麻痺でも旅がしたい]


 


ポータブル電源の残量が無くなったため、

仕方なく食パンをそのまま、ゆっくり嚙んでいると


塩味が効いていて、何ともウマイ


食パンってこんなに美味しくなっているのか!


毎朝トーストされたものを、十数年年食っていたが、初めて気付いた。


こんな発見あるから旅はいい

 

それじゃ~また
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ケアマネジャーとの関係はずいぶん変わってきました [障害者として生きる]

 


 


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▼以前「突然やってきて玄関でハンコだけもらってはいさよなら」のケアマネージャーの話をしました。

 

彼女との関係は本当に変わりました。彼女は1週間前には必ずメールで予定を聞いて互いのスケジュールを合わせ訪問してくれる様になりました。もちろん必ず私の部屋にまで入ってきて、顔を合わせ、15分程度は話をする様にもなりました。

 

▼話してみれば、彼女は大変熱心な人で、勉強家でもあります。また彼女の故郷、坂だらけ、ネコだらけの町である広島の尾道の話題から、坂の歩行方法や、ネコ、映画などの話題で盛り上がるようにもなってきました。

 

それだけではありません。私がロボットリハビリで入院していた時には、リハビリを見学したいと言うことで、ロボットの横で1時間ずーと私のリハビリを見学していました。

 

さらに私を担当してくれていた理学療法士とも、熱心に話をしてくれていました。そんな経験を通して、私のリハビリにかける思いも多少理解してくれたように思いました。

 

▼最初私が吠えた時(「吠える」とは「大声で怒鳴る」ことではありません「抗議する」ことです。長年の経験により戦術は熟練され高等化してるつもりです)、彼女は本当に驚いた顔をしていましたし、今でもずけずけものを言う私は煙たい存在でしょうけど、私と彼女との関係は大きく変わりました。お互いコミュニケーションが少しづつ取れてきて、信頼も芽吹いてきました。

 

▼もちろんこれからも意見の違いや誤解は生じるでしょう。でもそれらを修復できる基盤が彼女との間には出来つつあるように感じています。

 

ボタンのかけ違いを互いに修復しあうことができる相手かどうか、それが私の信頼度の基準です。信頼している相手から誤解されれば、必死で誤解を解くよう努めます。しかしそうでない相手の場合は、無視するか、場合によっては闘う(攻撃に出る)かどちらかです。

 

 

 

それじゃ~また。

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 【同病の三本松のおじさんの一言】
私の場合転居した関係からとケアマネさんの転職、退職、そして私からの罷免で今のケアマネさんは5代目です。いつどのような事でお世話になるかもしれないケアマネさんとの関係は、相手を理解する。互いに切磋琢磨して信頼関係を築く努力を怠らない夫婦関係と似ているかもしれません。
【返信】
中途障害者になって初めて知った職種がケアマネジャーでした。専門職のようでいて物足りない。ケアプランは毎月同じ。でも10年以上付き合うと、人間性も苦労も理解できるようになりました。
 
 
 

 


 


 

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寺山修司記念館 [小さな美術館、博物館巡り]


 

 

 

知らなかった。

 

三沢には、寺山修司記念館があるのだ。

 

斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。



若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。


映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない




記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。


車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。


そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。


今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。


 

 
そうだ!予定を変更し、秋田に抜けて日本海側を南下して帰ろう。


寺山修司記念館には入らず、すぐに車を出発させた。
それじゃ~また
 
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【同病の三本松のおじさん】の一言
寺山修司が脚光を浴びた時代は、一方では政治の時代でもありました。当時私はむしろそちらに傾斜していたため、底流として流れていた文化的側面を無視し軽視もしていました。しかし友達の下宿には書を捨てよ町に出ようの本があり、雑談の合間に寝転がってぱらぱらとめくった記憶がある程度です。

【返信】
ありがとうございます。政治の季節の中で、一方に寺山修司がいた。遅れてきた世代なので、良く知りませんでした。彼の奇抜さに影響があったのかもしれません。



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「障害受容!?」ほっといてんか! [障害者として生きる]

 
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▼今回のテーマは「障害受容」です。
私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。

1.障害受容に至る過程
通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。

「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。
「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。
信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きました。
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次に、池ノ上寛太さん著の「リハビリの結果と責任」よりこの問題を改めて考えてみたいと思います。以下に抜粋します。

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▼私がお願いすると医師は早速資料を持ってきました。冊子を開くとそこには障害の受容に関する各分野の先生方の意見が「記事」として記載されていました。
傷害を負い心の整理も覚悟もできないまま、苦しみのスパイラルから抜け出せず苦しむ障害者の心理の移り変わりが見事なまでに見抜かれていました。

▼2.精神病理学による3つの次元
読み進んで行くと私はある記事に目を止めさせられました。それはピラミッド状の図で三分野に等分に区切ってありました。
 
一番底辺部が身体的次元で、真ん中が心理・社会的次元、最上は実存的次元とありました。初めて聞く難しい言葉です、が解説を読んでいくと最上の部分に到達して初めて障害の受容ができた状態に相当するのであろうと結ばれていました。

(1)身体的(生物的)次元
一番底辺の部分は面積も大きくつまりこの段階で自分が負った障害で身体の機能が失われたことを激しく悔やみ、絶望感に満ち溢れ、そのことにほとんどの時間が費やされてしまう悲壮な時間帯で、多くの人が多くの時間を悶々とした日々として送っている。

(2)心理・社会的次元
次の次元で初めて社会環境に目が移り、社会に対する不満や怒りなどを感じ、同時に自分が少し何かが出来だし、それに喜びを感じたりする。

(3)実存的次元
そして最上部の実存的次元では、障害を負った自分の役割や自分の将来についての展望を語れるようになる。そんなニュアンスのことが書かれてありました。

▼私は何度もその資料を読み返しました。そして読み返しているうちに人間という摩訶不思議な生き物の中にあって、きっとまだ他の大事なものに目を向けていかなければいけないだろうとずっと私が思い続けてきた疑念への大きなヒントを、そこからもらえたかのように思い始めていました。

▼そしてさらに資料にあった実存的次元の先にはまた違う次元があるのではないか。そしてそれは描いた展望を具体的に現実化し、さらにその質を高めることにより成し得るような気がしています 。
 
リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

リハビリの結果と責任―絶望につぐ絶望、そして再生へ

  • 作者: 池ノ上 寛太
  • 出版社/メーカー: 三輪書店
  • 発売日: 2009/10/14
  • メディア: 単行本
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私(メガネサル)は「障害受容」について次のように考えます。

▼まず第一に、それが過度に「個人の心の強さ、弱さの」の面から議論されてはならないと言う事です。

障害者それぞれに病気に至った状況も、年令も障害の種類も程度も、経済的状況も違うのです。
それを今の「障害受容」の程度といった心理状態だけをとらえて「個人の心の強さ、弱さの」の問題に全て置き換えないことが大切です。
まして障害者本人への批判材料に使うなどあってはならないことです。

▼二番目は心理的変化を引き起こす大きな要因は「時間」と私は考えます。
このピラミッドの中を行きつ戻りつしながら、ある程度の時間が経てば、たいがいの人は「障害受容」できてきます。
逆に哲学者でも回復期に「障害受容」は容易ではないでしょう(笑)
この病気になったら「障害受容は時間が味方である」と本人も家族もゆったり構えておけばいいのです。

▼三番目は「機能回復」ばかり目が行っていた状況からの「変わり目」を経て「障害受容」がなされて行くと思います。

身体機能的リハビリから生活リハビリへの「変わり目」、病院リハビリから家庭での自主リハビリへの「変わり目」、そこから家族や友人知人たちとの人間関係の復活があり「障害受容」がなされていくと思います。

▼さらに、そこからが池ノ上さんが述べられている具体的な「新たな生きがい」などの人間性の回復の道が開かれるのでしょう。
 

何れにせよ「障害受容」の問題は、心理状態に過度に目がいくと、かえって本質や解決への道筋が見えにくくなってしまう気がします。
 

それじゃ~また 

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【同病の三本松のおじさんの一言】

受容とは受け入れる事だと考えた場合は、心の中では願望、期待というものがあきらめに変化したことになるのでしょうか?時々夢に現れる私はいまだにぴんぴんした五体満足で登場します。表面上は認識しているようで、深層心理の部分ではまだ受け入れていないのでしょう。ああ恐ろしや、恐ろしや。


【返信】
ホンマに中途半端な机上の空論です。心なのだから行ったり来たり表だったり深層だったり簡単に位置が固定されるものではありません。
こんなことで患者を振り回す。専門家ならもっとしっかり理論構築しろよと言いたい!

【同病の三本松のおじさんの、もう一言】
そうなんです。決してモルモットではないのです。観察され、分類整理され、学問的?に定義されて、喧々諤々後知らぬ間にゴミ箱へはあまりにも悲しい。

【返信】
医者やセラピストが、人間をわかったような気になるのが一番怖い。若いセラピストには特にその傾向があり、年配の患者を敬う気持ちにに欠け、そばで聞いているこちらがハラハラします。



 





 


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