田舎暮らし15年目に入りました [障害者として生きる]
朝5時頃に起きだし、夜11時には床に就きます。 |
がんばれ!がんばれ!と思わず声が出ました。将来の自分の姿でもあります。ただ、この老婆のように、過去でも未来でも無く、今を懸命に生きたいと思いました。 |
それから読書やブログ書いたりで、まあ趣味の時間です。もう仕事はしていないので、気楽と言えばお気楽なものです。
収入は障害年金と、株式投資。今の様な暴落直後は、多少心乱されますが、投資をやる以上避けて通れないことで、当初の方針貫くだけです。
夕食時には、焼酎の水割(お湯割)り1杯。いい魚が手に入れば、冷酒を1~2杯いただきます。 父母、義父を見送り、子供は全て独立しました。 障害があり女房の手を多少煩わせていますが、特段イヤな顔もされず笑いのある生活です。自然に則したこの様な暮らし考えてみれば幸せなことです。 |
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
夕方からのリハビリ散歩を熱中症予防から7月より朝5時起床しての散歩に切り替え今週いっぱいまでサマータイム実施予定です。20分程度の散歩ですが5~6人程度の顔見知りとの挨拶も朝の新鮮な空気同様清々しき感じられます。後の時間は今は女性作家を中心の読書と趣味の歴史勉強、テレビ、クイズ数独に充てる単調な毎日ですが、時々スーパー、喫茶店、ランチ、図書館で気分転換もする普通の爺ですが、今のところ退屈もしてませんのでまあ良しといったところです。 【返信】
わりと似通った所多い気がします。こんな風に暮らせるのやっぱり良しですよね。
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全国を旅し修行する聖(ひじり) [片麻痺でも旅がしたい]
◆正に 陸の孤島であった。 こんなとこ 車で登って行けるのかと思ったが、 「木喰(もくじき)の里」の看板が出ている。
幅はもう 車1台がやっと。降りてくる車があれば、どうすれ違うのか?! 落石があればもう逃げられない。 |
◆木喰(もくじき)は江戸時代の遊行僧である。聖(ひじり)とも呼ばれ、寺に属さない民間の僧である 。全国を旅しながら民衆の為に作仏した。 江戸時代の僧は大きく二つに分けられる。 一つは寺に属し、国の保護のもと、ひたすら、お経を唱え仏教を学ぶ学僧と呼ばれる僧。社会的地位は高い。 もう一つが、寺に属さず全国を旅し修行する聖(ひじり)と呼ばれる僧である。
江戸時代はキリスト教対策として幕府による檀家制度が確立した。一方で新たな宗派設立は禁止された。
だから寺に属していれば安楽であるが、游行(ゆぎょう)の聖には厳しい時代だった。
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一つは、社会的な善。人とお金を集め、道路、池や水路等の土木工事を行う。それに祈禱である。雨乞いや病気を治す霊力を獲得するため 山伏(修験者)として奥深い霊山に入り命がけの行をした。 もう一つ は芸術的な活動である、作仏や作歌である。 民衆の為に神仏を彫り、神仏と交信するため歌を詠む、その動機は現代人と全く違うのである。
近年、この作仏が発見され、有名になったのが、木喰と円空である。 三つめが、教化である。仏の教えを伝えることである。その中で念仏を唱えながら踊る踊念仏が熱狂的に流行り、 芸能の元ともなっていったのであろう。 ◆民衆の圧倒的支持を受けた聖 このような活動を通し、放浪の聖が民衆に圧倒的に支持される。民の厳しい暮らしに入り込み、役に立ち、安心できるもの、熱狂できるものを提供するのだから当然だ。逆にそうでなければ食べられない。
国の保護のもと衣食住を保障され、寺にこもって お経を唱え 学んでいるだけでは民衆の支持は得られない。
ただ聖は、多くが 歴史の中に埋もれてしまって 日の目を見ることがなかった。乞食とみなされることも多かった(実際、食い詰め僧侶の恰好だけした人間も多かった)。 近年、円空仏や木喰仏が発見されたことにより江戸期の聖の活動が明らかになるのである。
◆なお苦労してたどり着いた「木喰の里 微笑館」は残念ながら休館日だった。
しかし木喰仏は全国様々な場所に残っている。また訪ね歩く楽しみが出来た。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
木喰さんは残念ながら詳しく知りませんが、40~50年ほど前太陽という雑誌で円空特集を見て興味を覚え円空が残した作仏があるお寺まで行きそこで記念として円空もどきの木彫りの仏さん(もどき作だが高価だった)は今でも家にありますが、以前篠山の骨董屋さんで本物とおぼしき円空作の仏さん(店主200万で買った)を拝みましたが、世俗のすべてを捨てて真剣に仏と相対した息遣いが木彫り痕跡に感じられ感動しました。
【返信】
この後、関市の円空記念館に行って円空仏を初めて拝みました。やはり圧倒されました。木喰像は猪名川にまとまってあるようです。
【同病の三本松のおじさんのもう一言】 もし私が仮に聖の生き方を選択していたら、第一のストイックで菩薩のような聖には到底なれそうもなし。かといって第二の芸術的センスで人を引き付ける能力は持ち合わせず、さしずめ第三の民衆の中に交わり一緒になって踊り歌いで、偏固聖といわれる聖を選択せざるを得なかったろうと、ふと頭をよぎりました。 【返信】
親族の言い伝えによると我が祖先は放浪の乞食僧だったらしいです。400年前、食い詰めてこの地に流れ来て住み着いた。何らかの貢献があったのかどうかは、伝えられていません。多分酒飲むくらいしか特技はなかった様な気がします(苦笑) |
片麻痺障害が、私に与えてくれたメッセージとは [障害者として生きる]
▼義父の葬儀が終わってほぼ三週間が過ぎた。全身の力が、どんより抜けたような虚脱感だ。
正直この15年間、緊張感が完全に抜けることはなかった。 思い起こせば脳卒中の回復期病棟「こんな体で、多くの人間をどう養っていくのだ!」と絶望感に打ちひしがれた。 女房と高校生の二人の子、高齢の両親と義父。病院の屋上柵を乗り越えることも考えたが、重度の片麻痺で車椅子、出来るはずもなかった。 ▼それでも、リハビリしている余裕はないと、早期退院を申し出た。 無理やり退院して、仕事量を半分にしても、続けられたのは2年間のみ。結局は仕事も会社もなくした 。
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▼あれから15年、子供たちは皆独立し、私の両親を無事に見送り、この夏、最後の義父も、見送った。鑑(かんが)みると、ピンチを脱したのは、やはり女房の力が大きかったと思う。大きな交通事故に3回も会いながら死ななかったこの人の持つ生命力は恐ろしいものがある。
▼片麻痺障害が私に与えてくれたメッセージ。それは、「最後まであきらめず努力し続けなさい」と「天と人の助けに感謝し、出来る限りお返ししなさい」である。
▼今月には初孫が生まれる。義父の血脈も続いていく。新しい世代の一助になれる様に夫婦でもうひと踏ん張りしたいと思う。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】 突然の逆境から平穏なご家庭を築かれるまで、人には伝えられない御苦労と本人と奥さんの頑張りがあったと推察いたします。後はゆっくり楽しくお過ごしください。 【返信】 ありがとうございます。特定の信仰は持ちませんが、自分たちの持っている力以上の加護があったように思います。今だ「信じられな~い!」という感じです(笑) |
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どうやって自己承認を得るのか [障害者として生きる]
◆過剰な承認欲求 x(旧twitter)やブログでの「いいね」等、他人からの承認欲求が過剰だと思われる人がいる。ランキングサイトでの上位表示も根は同じだ。 裏を返せば、自分に対する承認が弱い人とも言える。 脳卒中で中途障害者になると、後悔からか自分を認めることが出来にくくなる。 だから病後、自分で自分を認めてやる自己承認が、精神的には大切だと思う。 ◆どうやって自己承認を得るのか 重要なのは、他人からの承認でなく、自分で自分を認めるという自己承認だ。
これがあれば、他人からの過剰な承認は必要ない。
では、どうやって、これを得るか。
その前に、まず己を知らなければならない。 自分がどんな奴か分からなければ、承認のしようがない 。
つまり前提は「自己理解」だ。
◆自分の意見を文書化する ある著名なブロガーは自分の意見を日記等に書いてみる。その意見の束の中で自分という人間が浮かび上がってくると述べられている。 自分の意見・考えを文字化する事は、確かに素晴らしい方法だ。 しかし誰でも気楽に取り組めるものでもない。ブログからtwitter、LINEへの流れを見ると、現代人は文書化の能力がものすごく低下している様に思う。
SNSで短文の批判は多いが、オリジナルな意見とは言い難いレベルが、ほとんどだ。
◆非日常に身を置く、楽しい記憶を辿(たど)る 私の場合は、一人旅の運転中、様々な記憶がよみがえる中で、突然閃(ひらめ)いた。 「オレは、万に一人、千に一人といった才能には、ついぞ恵まれなかった。しかし、いくつかの行動や、出来事、分野に関しては100人に1人と認められるものが幾つかあった」と。 それは些細な記憶や突飛な行動など小さなことなのだが。 とにかく自己理解のため、一人旅など非日常空間に身を置くことや、楽しい記憶を辿って行く、そんなことも一法かと思う。
◆他人に認められなくても豊かに生きられる
中途障害を持つ同病の皆さん、精神の安定の為に、自分で自分を承認する自己承認に、取り組まれては、いかがだろうか。
かけがえのない自分を発見できれば(きっと誰でも持っています)、他人に認められなくても豊かに生きられるはずです。 |
それじゃ~また
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【同病の知人 三本松おじさんの方法】 仕事を辞めてから、今までの借り物ようなサラリーマン生活と一線を引きたく自戒の念から日記をつけ始めました。その日の出来事を箇条書きにする程度ですので、何もない空欄には新聞書物で感銘を受けた事柄を赤字で埋めるようにしますと、なんだか手前みそですが自分という人間が解ってきたように感じられ、段々これでいいのだぁ~と
【返信】
なるほど、この方法もいいですねぇ~。肩の力が抜け、じわじわ自己理解が進んでいくという感じですかね。得られたものは確かであるように感じます。
【同病の三本松のおじさんの一言もう】 一人では不安だから、いいね!をたくさんもらって疑似的同一性を共有し、居心地の良い居場所に住みたい人が多くなりました。嫌な渡世だね~ 【返信】
「いいね!」の数で、内容が評価されていると勘違いしている危惧は大いにあります。内容がほぼ毎回同じで、変化が見られない。 |
★☆共倒れにならないために [障害者として生きる]
近所の男性が、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発病し、車イスからあっという間に寝たきりになりました。
この男性は、生まれてから以降、一度も 田舎を離れたことがない。地域社会に於いては、氏族の本家の長とし強烈な力と自負心を持っていました。実家を離れることなど、頭のスミにもありません。 奥さんは、こまりに困ってついに言いました 「このままやったら 共倒れになってしまうよ」 この一言でようやく彼は状況を把握しました。そして病院に入院することを納得しました。
私の周りの田舎の男性でこういう人多いのです。 寝たきりになったら単純に家族が世話してくれると思い込み、 家族がいかに困るかということはツユ程も考えていない。 田舎暮らしの長男タイプや甘やかされて育っている人が多い。 |
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「共倒れにならないための8つのポイント」です。
□共倒れにならないための8つのポイント
1、完璧主義に至らない。
徐々に、お互いに障害というものに慣れていくことが大切なポイント。
2、情報収集は家族の役目
情報を得るには何と言っても仲間が一番。家族も同病者の家族との交流が大事です。本人が直接情報を収集できるようになるまでには時間がかかります。最初は家族の役割と考えましょう。
3、周りの手を借りる
障害が重いと外出もままならず、閉じこもりがちですが、介護保険が使えるならデイケアやデイサービスを利用したり、ヘルパーさんを頼んで自分の時間を作るなど一人で介護を背負いこまないようにする。
4、お互いに一人になれる時間を作る。
介護する人される人がべったり一緒にいるとお互いに疲れます。お互いの時間を持ち、程よい距離をとることが大切と言えます。良い関係を築くには介護者が疲れないようにすることです。
5、相手のペースに合わせると疲れる
介護者の疲れは意外なところにあります。一緒に出かける時、介護者は相手の荷物などを持って歩くことになりますが荷物を持って相手の歩調に合わせて歩くととても疲れる。
自分のペースで少し先まで行き、相手をが来るのを待つようにする。ただし相手を見守れる場所にいること。
6、 かかりつけ医を持つこと
頭痛や肩こりなどちょっとしたことでも再発の不安に襲われます。余計な心配をしなくて済むように気楽に相談できるかかりつけ医が近くにいると安心です。
7、 再発させない健康管理を
脳卒中起こした人は何らかの生活習慣病を抱えています 。食事管理などの家族の協力も欠かせません。もちろん介護者自身の健康にも気をつけましょう。
8、自宅では普通の生活を始める
退院して自宅に戻ったら病院ではない。普通の生活を始めましょう。朝起きたら着替え、洗面、歯磨き、食事をするというように時間がかかっても普通の生活にもっていきましょう。
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
大切な8項目ですが、別の角度から付け加えさせてもらうと、一つは感謝の気持ちを常に声出して伝える。二つは明るい介護を心がける。三つは何でもいいと思うのですが、わくわくするような楽しみを持っているです。病は気からの諺も最近医学的に実証されてきたようですし、頑張りましょう!
【返信】 はい!大切なことばかりですねえ |