私が小学生の頃、テレビが爆発的に普及しました。東京オリンピックが開かれるからです。




期待に胸膨らませた東京オリンピック陸上競技では、惨敗つづきでシュンとなりました。




ただ一人、最終種目のマラソンで、円谷選手がメダルを取ったのです。歓喜しました。




円谷選手は首を傾け本当に苦しそうに走るのです。アベベに次いで、競技場に戻ってきた円谷選手は、そこで一人の白人選手に抜かれましたが、何とか銅メダルを獲得しました。





私もこれに大いに刺激を受けて、「円谷選手のようにオリンピックに出る」と人生初の目標を立て、毎朝走るようになりました。円谷選手は私のヒーローでした。






何年か後、あの円谷選手が自殺したという衝撃のニュースが飛び込んできました。


 


「なぜ?」という疑問は脹らみましたが、それでも毎朝一人で走ることは止めませんでした。




家族に宛てた遺書を知ったのはそれから10年も後です。


 









父上様 母上様 とろろ美味しゅうございました


 


敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました


 


勝美兄姉上様、ぶどう酒、リンゴ美味しゅうございました 


 


~~


 


父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません


 


何卒お許し下さい


 


気が安まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません


 


幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました




何者かに成るということは、こんなにも苦しいかと涙が止まりませんでした。


 


それにしても、今読み返しても、この純真さには、心が痛みます。






 


 

40年後、ようやく訪問した「円谷幸吉記念館」。何と数日後に「円谷幸吉メモリアルマラソン大会」が開催予定で、のぼりが旗めいていました。


 


地元(福島県須賀川市)とはいえ、円谷さん冠マラソン大会が今も続いているなんて、本当にうれしいことです。





 

また、この町の「円谷ランナーズ」からは、2020年東京オリンピック一万m代表の相澤晃選手も輩出しました。生きていれば、円谷さんどんなに喜んだことでしょう。


 




 


 それじゃ~また


 




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【同病の三本松のおじさんの一言】

今の時代の男性が、持ち合わせていないような古武士然とした風貌、グランド内でもう少しのところでスッと抜かれた悔しいオリンピック、そしてしばらくたってからの悲しい自殺、何だか愛おしい気持ちにさせる選手でした。


【返信】

父親の「次は金メダル取らせます」発言。親を敬愛し、生真面目な円谷選手はスランプに陥り本当につらかったと思います。