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小さな美術館、博物館巡り ブログトップ
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寺山修司記念館 [小さな美術館、博物館巡り]


 

 

 

知らなかった。

 

三沢には、寺山修司記念館があるのだ。

 

斗南藩観光記念村の帰り寄ってみた。直ぐ近くなのだ。



若い頃には、寺山修司の著書も映画にも一通り触れていた。


映画「田園に死す」で、線路を歩く八千草薫の美しさに度肝ぬかれた。私は未だあの時の八千草薫以上に美しい女性を知らない




記念館に着いたのがやや早く開館まで1時間ほど時間があった。


車の中でパンフレット眺めて、ぼんやりとしていたのであるが、今の私は寺山修司に大して興味がない・・そんな気持ちが段々とわき上がってきた。


そうなってくるとこれから十和田湖を経由し花巻や平泉を訪れようとした気持ちも萎んできた。


今は、権力者の富の証の金色堂にも、宮沢賢治にも興味はなくなってきているのだ。


 

 
そうだ!予定を変更し、秋田に抜けて日本海側を南下して帰ろう。


寺山修司記念館には入らず、すぐに車を出発させた。
それじゃ~また
 
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【同病の三本松のおじさん】の一言
寺山修司が脚光を浴びた時代は、一方では政治の時代でもありました。当時私はむしろそちらに傾斜していたため、底流として流れていた文化的側面を無視し軽視もしていました。しかし友達の下宿には書を捨てよ町に出ようの本があり、雑談の合間に寝転がってぱらぱらとめくった記憶がある程度です。

【返信】
ありがとうございます。政治の季節の中で、一方に寺山修司がいた。遅れてきた世代なので、良く知りませんでした。彼の奇抜さに影響があったのかもしれません。



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土門拳記念館の困難 [小さな美術館、博物館巡り]


 

私が山形県で楽しみにしていたのは酒田市の「土門拳記念館」を訪れることだった。


原発投下後の悲惨な人々の写真、九州の炭鉱の子供たちの写真、仏像の写真など、私は土門拳の写真のファンなのである。




ところが、著名な建築家が設計したと言うこの記念館、身体障害者には非常に厳しかった。




障害者用の駐車場があるのだが、これが遠い。一般の駐車場の方が入り口に近いのだ。


それから私は歩行器を押して入り口に向かったが、これが大きな鉄の扉で、片手の力ではどうにも開かない。


幸い、外を掃除をされていた職員の方がおられ、入り口を開けくださった。


帰りもこの扉を開けようと、苦戦していると、見かねた受付の職員の方が、わざわざ出てきてくれて開けてくれた。身体障害者だけでなく高齢者や女性も開けるのは厳しいと思う。


館内の売店にも階段を使わないと行けない。




設計の主題は、「この美しい自然環境と建物をいかにして協調させるかを最も重視し、その協和する響きの中に、土門拳の芸術空間をより高純度に熟成すること」だそうだ。


土門拳は2回の脳卒中により車椅子生活であった。その困難の中で撮影を続けた。


土門は、この土門拳記念館に、自力で入ることはできなかっただろう。


写真を通し、彼の弱い者への温かい視線を知っているだけに、腹立たしかった。


建物のデザイン重視で、入場者の事を考えていない美術館や博物館。これ全国に結構あるのだ。


私は美術館や博物館には、建物でなく、展示品を楽しみにに行く。


建物に求めるのは、デザイン性でなく、アクセスが楽で、展示品が見やすい機能性である。


それじゃ~また
 
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 【同病の三本松のおじさん】の一言
土門拳さんの写真私も大好きです。レンズを通して彼の人間に対する優しいまなざしが感じられます。
又私はむしろ物の購入にあたって、品質、機能と同等ぐらいデザイン性を重視しますが、ご指摘の障害者にやさしくない建物はどれだけデザインにおいてすばらしいものであっても、利用する構造物として全く失格です。
設計者の勝手なエゴだけで設計図を通しての優しいまなざしがないようです。土門さんを見習えです。そしてこのような地域の風景に溶け込んでこない、奇をてらう構造物を作るのを容認する人たちの文化の低さを感じます。
【返信】
自らの作品重視で、入館者の事など全く頭にない建築家。行政がなぜこのデザインを止められなかったのか、本当に怒りを感じます。
 
 

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「斗南藩記念観光村」会津藩士の再起 [小さな美術館、博物館巡り]


下北半島の元会津藩士の過酷な暮らしを救ったのは意外にも明治政府による「廃藩置県」であった。


これにより藩はなくなり移動も自由になった。ある者は会津に戻り、またある者は東京に出た。


しかし引き続き下北に残り、ここで暮らしを立て直すべく奮闘した人々もいた。代表は、元会津藩士・旧斗南藩少参事であった広沢安任である。


広沢は、当地が古くから南部藩最大の馬の放牧場であったことに目をつけ、貧困に苦しんでいた旧会津藩士のため政府に上申し、土地を無償で借り受け近代的な牧場を開いた。

 

地域の特性を生かして暮らす、そんな基本を怠って硬直した江戸幕府の政策失敗のツケは結局、弱い庶民に回ってくる。

 

全国一律に稲作に固守しなければ、地方の特徴を生かし多様な道が開けるのだ。 


しかし元会津藩士たちの聡明さが、ついに再起に繋げたのだ。

どんな時代でも生き抜くことが出来る三要素、知識と知恵と精神を幼い頃より身に着けること。このことの重要性を痛感する。会津藩にはそれがあったのだ。


ここは現在「斗南藩記念観光村」となっており、多くの地元民の憩いの場となっている。


訪れた日は連休の初日ということもあり、イベントの準備に多くの人が朝早くから準備で忙しそうであったが、天気も良く、過去の苦悩が報われた様な晴天の景色だった。




それじゃ~また
 
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 【同病の三本松のおじさん】の一言
30万石から3万石の痩せた下北へ、しかもそろばん、鍬も持ったことのない士族集団、ピンチをチャンスという華々しい転回ではなく、しぶとく、たくましく生抜くすべを身に着けていったのですね。このあたりが東北人の粘りが出るのですね。関西人はちょっと無理かな?
【返信】
そうですね。会津藩(斗南藩)の士族は学問と知恵と精神力の三拍子そろっていた様に思います。
 
 
 
 

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東北地方、太平洋側の農民の惨事 [小さな美術館、博物館巡り]



 

奥羽(東北地方の太平洋側)の北部(岩手、青森)の農民は、日本の歴史上、本当に凄惨な暮らしを強いられた。


本来は、縄文時代の古墳が発見されるなど、漁業を中心に畑作、山の幸を加えれば、豊かな土地であったにもかかわらずだ。


全ての不幸の始まりは、武士による年貢取り立て。その土地に不向きな米作を強要されたことだ。


ここは太平洋側からの冷たい風である山背(やませ)が吹いて、南国産の米作など元来不向きな土地なのだ。

山背、冷害、凶作のパターンで農民は飢餓にあえいだ。


最近、Yu-Tuber歴史家が「農民は飢餓の年は、藩により備蓄米の放出があり幸せだった」と物知り顔で、平然と言うのを聞いてぶったまげた。


歴史上、そんなレベルでは全くないのだ。数年に一度は、ここそこで、餓死が当り前の様に起こるのだ。


それでも盛岡藩は年貢を強制し続けた。

 
 
 

江戸時代後期、ついに(現)田野畑村の農民たちは盛岡藩に対し二度の一揆を起こした。これが三閉伊(さんへい)一揆である。地域人口の20~30%、一万数千人が立ち上がった大規模な一揆である



加賀の一向一揆は浄土真宗という宗教をベースに集結していたが、ここはただただ年貢の苦しさからだ。


日本の歴史上、大名(武士)である支配者層の残酷さには、本当に身の毛がよだつ。それ程ほど恐ろしい。


実際に田野畑村を訪れてみても海岸沿いからすぐ山間部で、広い平野部は少ない。三閉伊(さんへい)一揆では、首謀者はお咎めなしということだった。つまり誰が考えても、それほど状況は悪かったのだ。



 農民が奴隷の様に扱われた歴史を鑑みると、現在の日本は非常に恵まれていると思う。支配する側とされる側、隣国の中国やロシア、北朝鮮では今もこんな残忍なことが行われているのだ。もしこんな国に侵略されれば同じことが起きるだろう。 

 
 ★この素晴らしい切り絵は、田野畑村立沼袋小学校の長根正樹元校長先生が作成され、田野畑村民俗資料館に寄贈されたものです。
 
 
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 【同病の三本松のおじさんの一言】
学生時代に数限りなく歌ったインターナショナルの歌を今でもそらんじて歌えます。((起て飢えるたるものよ、今ぞ日は近し,さめよ我が同胞、暁は来ぬと)この世に貧困と不平等、戦争がある限り歌い続けられることでしょう。

【返信】
10年遅れた世代ですが、実は聞いたことも歌ったこともありません。我らは岡林信康の「友よ」でした
この間、時代が大きく変わったのですね。熱狂は冷え、連帯意識も高揚感もない。ただ社会矛盾に対する怒りは大いにありました。労働者よりもっと悲惨な人間がいる。人は環境が変われば、あっという間に豹変する。それらが思考の原点でした。

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宮城県塩釜市 ガロ編集長長井勝一漫画美術館 [小さな美術館、博物館巡り]


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▼NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」が再放送されており、私も女房も楽しみに見ている。

 

「ガロ」は水木しげるさんと関わりの深い雑誌である。水木さんと編集長の長井勝一さんとは、売れない頃からの長い付き合である。

 

▼高校を卒業した頃、「漫画には小説や詩と同じように大人が読むものもある」ということを教えてくれたのが、漫画雑誌「ガロ」でした。


つげ義春さんの「紅い花」,永島慎二さんの「フーテン」夢中になって読みました。


▼編集長であった長井勝一さんの「まんが美術館」が塩釜にあると知って訪ねました 

 


▼入場者は私一人で、普段見ることのない漫画の生原稿をじっくりと味わうことができた。やはりみんな恐ろしくうまい!


ガロは紙質が悪いこともあり、なんだか下手に見えた作品も、生原稿を見るとやはりスゴイ!プロもどきは生き残っていけない厳しい世界だと、実感させられた。


作家の息遣いを感じる生原稿はやはりいい。

 
 
仙台の先にある塩釜という街、初めて訪れた者には何とも走りにくい街でした。

交差点も、右斜め上、左斜め上にも別れていてカーナビを拡大にしてもよくわからない。何度も迷いました。

しかし神戸ナンバーのよそ者の車を、地元の車は親切に横から何度も入れてくれました。

親切なドライバーが多い!そんな印象を持ちました。

 

 


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【同病の三本松のおじさんの一言】
幼少の頃杉浦茂(猿飛佐助)氏に初めてギャグ漫画の超ばかばかしさに触れ、私の性格に今も多少残っている軽重不惑さにおおいに影響を与えました。その後、赤胴鈴之助、月光仮面、怪傑ハリマオ、鉄人28号、に夢中なり巨人の星、おそ松くんになると散髪屋さんで見て、しばらくしてからカムイ伝のリアリズム溢れる革命的時代漫画に感銘を受けました。それらの多くの漫画が我が人生のよき伴走車だったと思っています。

【返信】
やはり、白戸三平「カムイ伝」ですか、全共闘世代に10年遅れて来た世代ですので、時代の空気感じることができず、単なる農民が出てくる忍者漫画くらいにしか思いませんでした、残念です。
でも暮らしに、漫画と音楽が共にあった時代は一緒ですねえ。

 
 
 

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