よく視野が狭いとか言います。脳卒中ブログを読んでいると、書き手の視野の狭さ、広さが端的に出ます。「私」、それも障害ことやだけをブログに書いておられる方もおられます。


 


毎度毎度同じ内容のの繰り返し。あげく、ネタは同病者サイトのパクリに終始する。また、家族や他の人間が、登場しない。さらに、いい大人なのに社会性といった視点が皆無。


 


「なぜ、年齢の割にこんな未成熟なままなのか、どうして視野が広がらないのか」、ネタをパクられた際に、時折考えていました。よく言うように「どう書くか」より「何を書くか」が圧倒的に大切なのです。それなのに他人の考えたネタを簡単に流用する。こんな被害に多くの方々があわれていると思います。




視野が狭い原因は、端的に言って障害というものを関係性(構造)の中で捉えていないからだと思います。




図のように、私の中の核となる部分には「障害」がある。その大きさは人それぞれです。障害の重い人も軽い人もいる。その外に私がいる。私の暮らし、私の趣味とか、生きがい、私の望みとかそういったものです。




その周りに家族がいる。「家族にとって、私や私の障害は、どのような意味を持っているのか」を捉えることで視野が拡がる。




そして家族の周りには住んでいる地域や仕事があります。そこにも障害者が多くいます「住んでいる地域や職場にとって障害者とはどいった存在なのか」。そしてさらにその外側に国や社会があります。




 


障害を、そういった関係性の中で見直すことが、視野が拡がることに繋がっていくと思います。オタクな知識だけではダメなのです。つまり知っている知っていないといった知識の問題ではないのです。




万引き、暴力、ストーカー行為など、暴走老人の実態を知ると、視野が狭く未成熟な老人が何と多いことか!?パクリも万引きと同じですね、「パクリ依存症」ですか!?




視野が狭いから関係性が拡がらないのか、関係性が消滅しているから視野が狭くなるのか。おそらく両方だろうと思います。




「自分とは関係の総和である」とは言い得て妙です。豊かな関係性を築いている。それが成熟した大人なのだと思います。


 


それじゃ~また


 


 


 


【引用とパクリの違い】


 引用は引用元が明確に示されており著作権法で認められていますが、パクリは「あるブログでは」と言って引用元を曖昧しています。