ケアマネジャーとの関係はずいぶん変わってきました [障害者として生きる]
▼以前「突然やってきて玄関でハンコだけもらってはいさよなら」のケアマネージャーの話をしました。 彼女との関係は本当に変わりました。彼女は1週間前には必ずメールで予定を聞いて互いのスケジュールを合わせ訪問してくれる様になりました。もちろん必ず私の部屋にまで入ってきて、顔を合わせ、15分程度は話をする様にもなりました。 ▼話してみれば、彼女は大変熱心な人で、勉強家でもあります。また彼女の故郷、坂だらけ、ネコだらけの町である広島の尾道の話題から、坂の歩行方法や、ネコ、映画などの話題で盛り上がるようにもなってきました。 それだけではありません。私がロボットリハビリで入院していた時には、リハビリを見学したいと言うことで、ロボットの横で1時間ずーと私のリハビリを見学していました。
さらに私を担当してくれていた理学療法士とも、熱心に話をしてくれていました。そんな経験を通して、私のリハビリにかける思いも多少理解してくれたように思いました。 ▼最初私が吠えた時(「吠える」とは「大声で怒鳴る」ことではありません「抗議する」ことです。長年の経験により戦術は熟練され高等化してるつもりです)、彼女は本当に驚いた顔をしていましたし、今でもずけずけものを言う私は煙たい存在でしょうけど、私と彼女との関係は大きく変わりました。お互いコミュニケーションが少しづつ取れてきて、信頼も芽吹いてきました。 ▼もちろんこれからも意見の違いや誤解は生じるでしょう。でもそれらを修復できる基盤が彼女との間には出来つつあるように感じています。
ボタンのかけ違いを互いに修復しあうことができる相手かどうか、それが私の信頼度の基準です。信頼している相手から誤解されれば、必死で誤解を解くよう努めます。しかしそうでない相手の場合は、無視するか、場合によっては闘う(攻撃に出る)かどちらかです。
それじゃ~また。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
私の場合転居した関係からとケアマネさんの転職、退職、そして私からの罷免で今のケアマネさんは5代目です。いつどのような事でお世話になるかもしれないケアマネさんとの関係は、相手を理解する。互いに切磋琢磨して信頼関係を築く努力を怠らない夫婦関係と似ているかもしれません。
【返信】
中途障害者になって初めて知った職種がケアマネジャーでした。専門職のようでいて物足りない。ケアプランは毎月同じ。でも10年以上付き合うと、人間性も苦労も理解できるようになりました。
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「障害受容!?」ほっといてんか! [障害者として生きる]
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▼今回のテーマは「障害受容」です。 私は「上から目線のイヤな言葉やなあ~」とずーと思ってきました。障害を負ったこともない医師やセラピストが、冷たい目で我々の心を、物体の様に観察しランク付けするイメージです。
1.障害受容に至る過程 通常の障害受容は図-1のように進むと言われます。「ショック期」からー>「否認」ー>「怒り」ー>「抑うつ」と進んで最後にー>「受容」に至るらしいのです。
「未だ障害受容できてない人」「いまこれぐらいの段階や」と治療側が仲間内で評価しあう。 「ホンマにほっとけや!受容できていようといまいと、余計なお世話じゃ」と毒ずきたくなります。
信頼関係のない患者と医師やセラピストの間で、これほど使い方が難しい言葉もない。実際、私に「吠えられた」OTが私のことを仲間のOTに「障害受容できてない」と言ったのをこの耳で聞きました。
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次に、池ノ上寛太さん著の「リハビリの結果と責任」よりこの問題を改めて考えてみたいと思います。以下に抜粋します。 |
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▼私がお願いすると医師は早速資料を持ってきました。冊子を開くとそこには障害の受容に関する各分野の先生方の意見が「記事」として記載されていました。 傷害を負い心の整理も覚悟もできないまま、苦しみのスパイラルから抜け出せず苦しむ障害者の心理の移り変わりが見事なまでに見抜かれていました。
▼2.精神病理学による3つの次元 読み進んで行くと私はある記事に目を止めさせられました。それはピラミッド状の図で三分野に等分に区切ってありました。
一番底辺部が身体的次元で、真ん中が心理・社会的次元、最上は実存的次元とありました。初めて聞く難しい言葉です、が解説を読んでいくと最上の部分に到達して初めて障害の受容ができた状態に相当するのであろうと結ばれていました。
(1)身体的(生物的)次元 一番底辺の部分は面積も大きくつまりこの段階で自分が負った障害で身体の機能が失われたことを激しく悔やみ、絶望感に満ち溢れ、そのことにほとんどの時間が費やされてしまう悲壮な時間帯で、多くの人が多くの時間を悶々とした日々として送っている。
(2)心理・社会的次元 次の次元で初めて社会環境に目が移り、社会に対する不満や怒りなどを感じ、同時に自分が少し何かが出来だし、それに喜びを感じたりする。
(3)実存的次元 そして最上部の実存的次元では、障害を負った自分の役割や自分の将来についての展望を語れるようになる。そんなニュアンスのことが書かれてありました。
▼私は何度もその資料を読み返しました。そして読み返しているうちに人間という摩訶不思議な生き物の中にあって、きっとまだ他の大事なものに目を向けていかなければいけないだろうとずっと私が思い続けてきた疑念への大きなヒントを、そこからもらえたかのように思い始めていました。 ▼そしてさらに資料にあった実存的次元の先にはまた違う次元があるのではないか。そしてそれは描いた展望を具体的に現実化し、さらにその質を高めることにより成し得るような気がしています 。 --------------------------------------------------------
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私(メガネサル)は「障害受容」について次のように考えます。
▼まず第一に、それが過度に「個人の心の強さ、弱さの」の面から議論されてはならないと言う事です。 障害者それぞれに病気に至った状況も、年令も障害の種類も程度も、経済的状況も違うのです。
それを今の「障害受容」の程度といった心理状態だけをとらえて「個人の心の強さ、弱さの」の問題に全て置き換えないことが大切です。
まして障害者本人への批判材料に使うなどあってはならないことです。
▼二番目は心理的変化を引き起こす大きな要因は「時間」と私は考えます。 このピラミッドの中を行きつ戻りつしながら、ある程度の時間が経てば、たいがいの人は「障害受容」できてきます。
逆に哲学者でも回復期に「障害受容」は容易ではないでしょう(笑)
この病気になったら「障害受容は時間が味方である」と本人も家族もゆったり構えておけばいいのです。
▼三番目は「機能回復」ばかり目が行っていた状況からの「変わり目」を経て「障害受容」がなされて行くと思います。 身体機能的リハビリから生活リハビリへの「変わり目」、病院リハビリから家庭での自主リハビリへの「変わり目」、そこから家族や友人知人たちとの人間関係の復活があり「障害受容」がなされていくと思います。
▼さらに、そこからが池ノ上さんが述べられている具体的な「新たな生きがい」などの人間性の回復の道が開かれるのでしょう。 何れにせよ「障害受容」の問題は、心理状態に過度に目がいくと、かえって本質や解決への道筋が見えにくくなってしまう気がします。 それじゃ~また 毎度恐縮ですが下の にほんブログ村 の文字をぽっちと下されば励みになります。
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片手でくぎを打つ [障害者として生きる]
片手でくぎを打たなければならないこと、時々あります。
そこで、考えたのがこちらの方法です。
(1)家電部品や菓子などについてくる発泡スチロール(あるいは硬いスポンジ)を用意します。 (2)それにまず、くぎを立てます(ねじくぎは回しながら立てます)。端の方がいいです。
(3)くぎを打つべき場所に立ててくぎを打ちます。 (4)くぎが固定されたらスポンジを引き抜く。スポンジは破けます。ですから、最初に端の方に刺しておく方が良いのです。 |
それじゃ~また。 |
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虐待か!?こんな場合はどうすればいいの [障害者として生きる]
2017年3月28日に神戸新聞にこんな記事が載りました。 たまたま長女が生まれた病院だったので目にとまったのですが。 こんな場合はどうすればいいんでしょう。内部犯行ならお手上げです。 私も脳卒中急性期の病院で、尿が出ず痛風を再発した足を、鋭い目つきの女性看護師に深夜、何度も触られ悲鳴を上げました。 ひょっとして、つめの間に針を差し込んだのか・・?本当に痛かったでしょう。 「メガネさん 、飴玉あげますから、あ~んして」「なんじゃこれビー玉やんけ!」などと言い返せないでしょうし。 どうするか!?録画、録音がまず考えられる対策ですが、これは寝たきりの場合協力者が必要です。寝たきりで外来が少ない場合、悲惨なこのようなケースが多いのか!? では、こんな施設を事前に見極められないのか、こんな一文を見つけました。 ■職員のモラルを下げる主な要因は、毎日同じ仕事の繰り返しと、障害者に対して優位な立場に立つことの二点である。 ■これらを一度に防ぐ方法は、担当をつけないことである。障害者に対して特定の職員を担当として 張り付けると、仕事に変化がなくなると同時に両者の関係が固定化し上下関係に結びつきやすくなる。 ■そこで担当者をローテーション化し、1人の障害者をいろいろな職員が見るようにするのである。このローテーション方式は職員による虐待を防ぐ意味でも効果がある。仮にある職員が虐待をしたとしても、別の職員が入浴介助などをすればすぐに見つかるだろう。 ■施設を外部の目にさらすこともモラル低下の防止には有効である。施設見学者やボランティアの受け入れなどがそれである。見学者は一時的に外から見るだけなのだが、ボランティアは実際に施設内の仕事に関わるため職員の仕事ぶりにも目がいきやすい 。「障害者の経済学(中島隆信)」 施設入居時のチェック項目として、「職員のローテーション化」「ボランティアの有無」ぜひ覚えておきましょう。 さらにどうすればいいのか、しわの少なくなった脳でこれからも考え続けたいと思います。 じゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
虐待を受けた自分にあてはめた場合は、病院に対して声をあげる(一部にせよ良識を持った人は必ずいる)。病院の体質に関してはご指摘の担当のローテーション化、教育と思われます。悪貨は良貨を駆逐する。いえるのは教育をおろそかにする職場は必ず怠慢とモチベーションの低下を招くのではないでしょうか。
【返信】 良識を持つ方が存在する事は間違いないと思います。ただ深夜など人のいないところで行われることが多く、また精神的に病んでいる人もいます。
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虐待(3)なぜ、こんな虐待社会を、この国は招いたのでしょうか [障害者として生きる]
この国は、なぜこんな虐待社会を招いたのでしょうか、その要因はは色々あると思いますが、私なりに主に次の三つにその要因があると考えます。 1.初めて経験する超高齢化社会 第一が初めて経験する「超高齢化社会」です。2017年の日本人の平均寿命は女性が87歳、男性が81歳で、ともに過去最高です。そこには痴呆等の病気や障害を持つ老人の増加、老人介護の増加があります。 老人の側も、健常であっても、思ったような老後が過ごせず孤立感等から万引きや暴力といった問題を引き起こしています。 2.生活から余裕を奪う社会 二番目が、主に経済的な側面から「生活から余裕が奪われてしまう社会」です。 高度成長期はとうの昔の話で、経済成長が止まり、成熟期から衰退期の危機にある日本の経済環境です。そこでは、企業における長時間・低賃金労働、少ない人数で仕事を回さざるをえない人手不足の労働環境が、生活から余裕を奪ってしまう。老人も予想以上に長生きの為、老後の蓄えが減り続ける。さらに、引きこもりの息子や子連れの娘が、高齢の両親に経済的に依存するケースも増えています。 3.コミュニケーション能力不足 三番目が、現代人の「コミュニケーション能力不足」です。SNS隆盛の時代、何を言っているんだと思われるかもしれません。
しかし私は、以前よりコミュニケーション能力が向上したとはどうしても思えないのです。
特に、人同士で面と向かった直接的な会話能力は後退しているように思います。大声ではしゃぎあったり、頻繁なSNSなどで、会話出来ていると勘違いしているのです。静かにじっくりとコミュニケーション取ることには慣れていないのです。 それには、幼いころから、兄弟も少なく直接的に身体を触れあったり会話交わしたりの経験がとぼしいのが原因ではないかと思います。動物は、互いに毛づくろいし合ってコミュニケーションを深めます。
まだまだ、この問題を考えていきたいと思います。特に相性が悪い相手や、コミュニケーションが苦手と思しき相手と、どうコミュニケーションをとるかは、他人の介護を必要とする私には大きな問題です。
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
ご指摘の虐待要因三つをヒントにして、集約すると底辺にあるものとして孤立と貧困という重いテーマがありそうです 【返信】 庶民にとって、弱り目に祟り目で、だんだん生きにくい世になってきた様に思います。
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