◆私の幼馴染で、高学歴にも関わらず、仕事がうまくいかず引きこもりになった人間がいた。


 

引きこもって何年か経つと、自分の親に対して「感謝」の気持ちが足りないと強く攻撃するようになった。「親に感謝の気持ちが足りないから、子供の私が上手くいかないのだ」と、あきれた責任転換するのだ。


 

結局、何年かして被害者妄想が激しくなって入院。退院後しばらくして縊死(いし)した。






◆【正義」がゆがめられる時代】片田珠美著によると





自分が仕返しや復讐のために誰かを攻撃しているということは誰だって認めたくない .


だからこそ、それを覆い隠すための便利な隠れ蓑として正義がしばしば用いられる。


当然、正義を声高に訴える輩ほど、往々にして疚(やま)しさを抱えている。


 

 このことを肝に銘じておけば、自分自身が正義を振りかざして猪突猛進するようなことは恥ずかしくて出来ないはずだ。


 

また正義を声高に叫ぶ人を疑いの眼差しで眺められるので、そういう人にも振り回されずに済むだろう。


 

 とにかくもっともらしい正義こそ要注意である。歴史を振り返るとどんな攻撃でも何らかの正義を口実にして開始されたのだということを忘れてはならない。


 





「正義」がゆがめられる時代 (NHK出版新書 516)



  • 作者: 片田 珠美

  • 出版社/メーカー: NHK出版

  • 発売日: 2017/05/08

  • メディア: 新書








◆ブログ村の脳卒中カテゴリーで、やたら「感謝」という正義を振りかざして他人を批判する人間がいる。


 

もし本当に感謝の気持ちを根底に持っているなら、数十回にわたり連続して他人を攻撃したりはしないはずだ。


 


同じ障害者に対しては、もっと共感や励ましの感情が自然に沸き出ていると思う。


 

結局、実人生で何の実績上げられず、居場所も見つけられないから、その腹いせに同病者に対して「正義」を持ち出して攻撃しているにすぎない。本当に「かわいそうな人」なのだ。


 


 


世の中上手くいかないことだらけ、特に障害を持った暮らしはそう。だからといって腹いせに他人を攻撃するのは、自らの破滅に向かって転がり落ちている様なものだ。
構図的には、
相模原障害者施設殺傷事件の犯人と同じである。


 


 それじゃ~また


 


 


追伸:「日本は正直になれ!」お隣の儒教の国の大統領の言葉です。この場合の「正直」は、あくまで他人を攻撃するときの言葉で、自らを省みる言葉ではありません。義・礼など儒教的な説教する人は、こんな人が多い。昔からいいます「論語(儒学)読みの論語知らず」と。皆さんお気をつけてあそばせ。