障害者であるをことすっかり忘れている。





そんな時が、一日の中でけっこうある。と、ふと気づいた。たとえば、私の場合を考えてみると




・ベッドで寝てるとき・・7H


・お気に入りイスに座ってpcや読書・・7H


・ベッドの背を立てテレビ見てるとき・・1H


・ヨーガマットで瞑想してるとき~1H


・ベッドでボディースキャンの瞑想してるとき~1H


・女房とご飯食べたり喋ったりしているとき〜1H




合計18H。一日の4分の3は障害のこと忘れて生活していることになる。




「ある時は△△、またある時は××、しかしてその実体は〇〇(本名)」




と7つの顔を持つ男は、多羅尾 伴内だ(昔の映画で、実際見たことはないがセリフだけは有名で知っている)





つまり、もうこの時間割合からして障害者としの私は、7つの顔の一つに過ぎないんじゃないかと思うのだ。





人生の途中で突然脳卒中を発病し、片麻痺障害と言う後遺症を負ったわけであるが、そのショックの大きさから、どうも、このことを大きく考えすぎている面がある。私もその傾向にある。




「しかしてその実体は~」は病気前も病気後も変わらない、〇〇という名の人間なのだ 。




夫、父親、△社の社員、ペットの△ちゃんの飼い主、と同様、障害者としての私も、七つの顔の一つに過ぎないのではないか。




今日、明日の命という、差し迫った病気ではない。毎日の動作は苦行だが重く考え過ぎるのは良くない・・10年過ぎて、そんな風に感じ始めた。





 それじゃ〜続きはまた