私は関西の北の田舎町で生まれ育った。


 


これまでの65年の人生の約半分をここで過ごしている。残り三十年少しは、京都や尼崎といった関西の京阪神の都市で暮らした。




脳卒中片麻痺となって故郷に舞い戻った。身体障害者で行動範囲は限れ、これからもこの田舎町での生活が続くだろう。





世間も狭く、さえない田舎もんだろうとおそらく皆さん想像されると思う。





しかし、私が思うに、広く世間を知っているとは、空間的、時間的に広く知っている事だ。つまり横軸にも縦軸にも広いことだ。


 


実際、大都会にも世間の狭い人間は多くいた。 その多くは、「田舎者」と人にレッテルを貼り付け嘲笑する。


 


 


 






(1)経済活動の中心は東京


 








◆田舎の勉強好き程度ではどうしようもない




現在の日本を知るにはまず東京だ。特に経済活動は東京を知らないと始まらないとよく聞く。ずーと関西で暮らしてきた私もそう思った時があった。





私事だが、30代に大まぐれで国家試験に合格した後、転職しようと、東京のある事務所で面接を受けた。五流以下の大卒では、地元の小さな企業くらいしか雇ってくれそうになかったから、一発逆転の大勝負に出たのだ。




結果、「田舎の勉強好き程度ではどうしようもない」と一刀両断に切り捨てられた。




確かに「百聞は一見にしかず」だ。法律職でもない限り本で得た知識など何の役に立たないのだろう。その上、無名大学卒、ぼやっとした風貌、とても雇う気にならなかったのだろう。




◆あなたは大丈夫




それで転職はあきらめ、大阪での開業計画を練った。


子供が将来大学に行きたいと言った時にお金で断念させたくなかった。




迷ったが職業関連で多くの著書がある先生に、計画書を書き送り、一度相談に乗ってもらえないだろうかとお願いした。




先生は転職や独立開業にかなり慎重な方だというのは、その著書を読んでいてよく解っていた。




きっとダメだろうけど、この先生に無理と言われれば、諦めも付く。そんな気持ちで東京の先生の事務所を訪ねた。




暫く話していると、先生がこちらの目ををじーと見て「大丈夫ですよ。あなたは、きっとうまくいく。朴訥な話し方もいい」と言ってくれたのだ。




逆にこちらが、ひっくり返る程びっくりした。慎重な先生からのこんな答えは全く予想していなかったのだ。


 


 






◆尼崎市の片隅で開業した











思い切って縁もゆかりも、知り合いの一人もいない尼崎で開業した。 




その後、紆余曲折(うよきょくせつ)はあったものの幸運にも、自分一代で一部上場企業を創り上げた関西の経営者の何人かと知り合う事が出来た。


 


側で見ていても、これから世に出ようとする若い経営者達に、こまかいことは聞かない。学歴など気にしない、人物評価が全て、それが直観的で速い。皆さん、ずーと関西在住だった。




個人的な収入を得る経済活動において東京云々よりもっと大事なことがある。他人に認めてもらえる魅力だ。




ただ、私には万人に認めてもらえる学歴も魅力も無かった。


しかし、たった一人認めてくれる人がいた。田舎の片隅で埋もれていた私が、その人にたどり着いた。それから人脈という仕事の空間が飛躍的に拡がった(ただし先生が紹介してくれたわけではない)


 


 長くなったので、続きは次回に。