取り上げるのは勢古 浩爾著「定年後のリアル」です。


私は「まれにみるバカ」(2002年)以降、著者の勢古さんのファンです。

勢古さんは「教授」「作家」といった権威を認めないし、常に本音で語るリアリストでもあります。自分を客観視して常にユーモアがある。




定年後のリアル



  • 作者: 勢古 浩爾

  • 出版社/メーカー: 草思社

  • 発売日: 2009/12/22

  • メディア: 単行本(ソフトカバー)






今回も、肩の力を抜いて、あるがままの自分を語られています。

勢古さんは中小企業に属する洋書輸入会社に34年間勤務された後、定年退職されています。定年後のリアルな日常や、定年後の「お金、趣味、生きがい、健康」などに関する思いが書かれてあるのが本著です。以下印象に残った点を抽出します。

■□■□■□■□


■国のみならず、家族、家庭、夫婦、人脈などに「頼る気持ち」を捨てる。高齢者」に優しい社会などないと覚悟する。健康など幻想だ。善意は報われないと諦める。良きことは報われない。愛も報われない、人の思いは通じない。

それで「小さくても素朴な善意」に接することが出来たら踊り上がって喜ぶべきである。


 生きることの大変さと儚(はかな)さを胸に、この1日を感謝して生きていくしかない。諦めながら諦めていないのだ 。


■自我を少しでも縮小したい。余計なことはもう考えない。論を争わない。

それで出来るだけ外の静かな空気を吸う。

老後を生きる人間は、今日一日良ければそれでいい。


■□■□■□■□


「高齢者」の所は、「障害者」に置き換えてもいいと思います。さらに普遍的に「俺」「私」でもいいと思います。「障害者」「俺」「私」に優しい社会などないと覚悟して生きる。そして小さな親切、援助を受けたなら、躍り上がって喜び感謝する。


以前の記事で幸せを感じる力を、私は「幸感力」と呼ばせていただきましたが、まさにこれです。それは「感謝する力」と言ってもいいかもしれません。

私も健常時の己を振り返ってみれば、人に裏切られる等により窮地に陥った時期はその前に「感謝する力」が弱くなっていた様に思います。「感謝する力」が弱くなる。やがて窮地に追い込まれる。そんなパターンだった気がします。


我々片麻痺障害者は家族や他の人々に介護され、援助されることが多くあります。それを当たり前と思わず、本来そんなものは無いのだと思って生きると、感謝の気持ちが出てきます。それが介護する人、援助してくれる人の気持ちをよくし、人間関係が良くなる。そんな循環になっていくと思います。

まず出発点として自分が「障害者に優しい社会はない」と自覚し、覚悟することです。つまり甘えを捨てると言う事です。ただし、もし我々が「障害がある」ことを理由に不当な扱いを受ければ堂々と「吠え」ればいいのです。


私にとって勢古さんのこの本は、無理しなくっていい、ありのままの自分でいいのだとエールを送ってくれる本です。



それじゃ~また。