百姓バッパ吉野せいは、夫の死後その友人に小説を書くことを勧められ、鍬(クワ)に親しんだ手にペンを持った。70才になっていた。




勧めたのは近郷の詩人、草野心平である。その心平をして、「これは単なる農民小説でも記録でもない。恐ろしい文学である」と言わしめた。





せいは夫で詩人である吉野義也(三野混沌)とともに、阿武隈山脈の南はしの藪野を開拓して50年作物を作り続けてきた。




 


「土に書いた言葉」と表現した人がいたが言いえて妙である。




今回の東北旅で、その菊竹山の開墾地をどうしても見ておきたかった。





しかし唖然とした。




そこはもう住宅が立ち並び、狭い畑が僅かに存在しているだけの場所である。




吉野せいが開拓し奮闘した跡地は見られない。道路の端にわずかに竹やぶの跡が残っていた。





落胆し、草野心平資料館に向かった。









【写真】昭和45年4月11日他界した詩人三野混沌(吉野義也)を常に尊敬して止まなかった草野心平。昭和47年4月のみぞれ降る日、混沌を忍ぶ詩碑除幕式に祝辞を述べてくれた草野心平(左)。吉野せい(中央)。




(昭和47年4月 1972年)大塚一二氏提供


 





思わぬことに、期間限定でミニ企画展示コーナーが設置されており、そこに吉野せい生原稿が展示さていた。




土を引っ掻いたような筆圧の強い文字を予想していたのだが、女性的というのではないが意外と柔らかいのだ。




彼女は網元の娘として生まれ、しばらく代用教員をしていたのであるが、やはり繊細な知性を感じさせる文字である。




この生原稿を見れたことは、吉野せいを敬愛する私には大きな喜びだった。


 







洟をたらした神 (中公文庫)



  • 作者: 吉野 せい

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社

  • 発売日: 2012/11/22

  • メディア: 文庫








 


それじゃ~また