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片麻痺でも旅がしたい ブログトップ
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生食パンがウマイ [片麻痺でも旅がしたい]


 


ポータブル電源の残量が無くなったため、

仕方なく食パンをそのまま、ゆっくり嚙んでいると


塩味が効いていて、何ともウマイ


食パンってこんなに美味しくなっているのか!


毎朝トーストされたものを、十数年年食っていたが、初めて気付いた。


こんな発見あるから旅はいい

 

それじゃ~また
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旅ブログを書くことは楽しい [片麻痺でも旅がしたい]


 

 

旅ブログを書くことは楽しい。


第一に、旅を再体験できる。ある旅の一瞬を切り取って、じっくりと味わい直すこともできる。



二番目は、書いたものを読んでくれる人がいることである。少人数でも読者のいることは大いなる喜びであり励みになる。たまにコメントなどいただくと、更に嬉しい。


三番目は読み返す楽しみである。自分の体験したことが写真だけでなく文書で残っていることは、そのときの心情がよみがえってくる。


ブログをお書きなったことのある方はお気づきだと思うが、自分の書いたものは面白いのである。


興味も考え方も同じで、すぐ理解や共感できるから当然と言えば当然であるが、つい熱中して時間を忘れる。


四番目は、いつでも何回も気楽に読み返せる楽しみが残っていく。例え、身体が弱って書けなくても読み返す、あるいは読み上げで聞く楽しみは残る。

 

只、一つ注意すべきは、ブログを書こうと旅しないことである。日記書く目的で行動する人はいないであろう、旅記もあくまで結果である。書けなくてもいい、書ければラッキーである。



SNSの世界では、画像や動画に中心が移り、言葉はどんどん短く削られるが、これからも文書・textにこだわっていきたい。

 
それじゃ~また!
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【同病の三本松のおじさんの一言】

昨今、SNSの普及で誰にでもわかる平易な言葉とコメントでお互いにやり取りすることが多くなってきたようだ。昔はラブレターを書くのも、自分の意見を言うのも一大決心してからでないとできなかったような気がする、便利さ、安易さから人間として思いを巡らすというような、大切な本質の部分が次第に切り捨てられて行ってるように感じることがある。メガネザルさんの旅ブログで切り捨てられつつあった自分のとげとげした心の空間にさわやかな風が吹きとっていくようです。
【返信】
こんなお言葉頂戴するなんて、一人旅をして、その旅記をコツコツ書いてきて本当に良かったです。ありがとうございました。

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片手でもクルーズ・コントロール機能で、楽々旅ができる [片麻痺でも旅がしたい]


 

四国への5日間の旅、走行距離は1350㎞だった。のんびりと余裕のある行程だった。

そのうち4割弱が高速道だったろうか。


地方の比較的空いている高速道では、N-VANのクルーズ・コントロール機能が本当に役に立った。


最高速度を設定しておけば、前の車に合せてくれる。例えば最高速度を90キロに設定しておく。前の車が80 km で走っていればこちらも80 km に自動調整してくれる。前に車がいなくなれば最高速度の90キロまでスピードが上がる。


アクセルペダルを細かく操作しなくてもいいから、大変楽なのだ。

足を床にぺったと置いておけるから疲れない。


私は片麻痺となって、以前に比べ集中力、瞬時に様々な事を考え操作するという点では、少し劣るように思う。同乗者と会話は苦手だ。


だからアクセルに気を遣わなくていいぶん、非常に運転が楽なのだ。多少周りの景色を見る余裕も生じた。


片麻痺の片手運転では、安全機能とともに、このような自動運転等の先端機能が備わっている車に乗るのが、やはりいいと思う。

 
それじゃ~また

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SNSの知人は旅を豊かにする [片麻痺でも旅がしたい]


と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。


まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。



だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。


私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。


ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 


東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん、秋田のYさん、酒田のゲンさんと次々思い浮かべながらその町を通りすぎた。


見知らぬ街でも、これだけで大変親しみが湧いてきて、旅を豊かにする。SNS で多くの方と お知り合いになっていて本当に良かったなと思うのだ。

 
 
それじゃ~また
 【同病の三本松のおじさんの一言】
旅を豊かにすることについて、私流にひそやかな流儀みたいなテーマがあります。①電車に乗れば窓から外を見る。②川の流れ、山並みを見る。③道の駅で物産を見る。④町の居酒屋でいっぱいやる。⑤郷土館、歴史館をチェックする。⑥極力高速道路より地道を走る。⑦昼飯は地元のラーメン、そば、うどん屋さんです。結局発見、喜び、学ぶの大人の課外授業なんです。
【返信】
我が女房「この熱心さが学生時代にあればなあ~、あんたは遅すぎるねん!」とため息ついています。
 
 
 
 
 
 

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最後の瞽女、小林ハルさん永眠の地 [片麻痺でも旅がしたい]


東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。


小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。

 

障害を生きる

最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い 


それにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。

 


 

ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。


とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。


105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。


新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子に教えたりもしていたそうである。


施設内へ立ち入ることはできなかったが、近くで車を止め手を合わせた。 


障害を持つ事は、直接的な富の生産性を持たない。故に日本における身分制度では、貴賤の区分の賤と見なされた。


しかし、日本の文化を支えたのは、間違いなく賤(庶民)の人たちである。河原者と言われた芸人、浮世絵画家、仏像彫刻師、庭師、刀鍛冶など全てそうである。


何れも苛酷な修行の果て、その道を極めたのだ。現在、日本が世界から称賛される文化は、支配者層の宮廷文化でなく、何れも庶民の中から生まれ成熟したのだ。私は、これを本当に誇りに思う。


 
それじゃ~また

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 【同病の三本松のおじさん】の一言
泣きの16、短い指に、息を吹きかけ越えてきた。
三味が折れたら両手でたたけ、撥がなければくしで引け。
鍋のこげ飯、袂で隠し。
極貧の環境と失明のハンデを背負いつつ、けなげにたくましく生きる人達にそっと心を寄せ続けたい。

【返信】
お~こんなぴったりの曲があったのですね。確か、北島三郎の「風雪ながれ旅」でしたっけ。
 
 
 
 
 

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