左手のピアニストの館野泉さんの著書をご紹介します。



 


私的に、抜粋加工してご紹介します。


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左手のコンチェルト―新たな音楽のはじまり



  • 作者: 舘野 泉

  • 出版社/メーカー: 佼成出版社

  • 発売日: 2008/03/01

  • メディア: 単行本






左手の演奏に、不自由も不足もない。左手だけで音楽を表現できないことはない。


 

僕が左手でピアノを弾くようになってから「 左手だけで不自由でしょう」「右手が早く使えるようになるといいですね」「今まで生きてきた膨大なレパートリーが脳溢血で一瞬に消え去ってしまって、さぞ悔しいでしょう」と言われることがあります。


 

僕はそんなことは全く思いません。左手だけになって不自由や不足もないし音楽の表現をするのに何の不満もありません。


 

左手だけでは表現できないと言うことは何もないのです。不自由とか不足があると言うのは先入観の問題ですね。


 

これまでの蓄積がなくなったわけではない。


 

今まで弾いてきた膨大なレパートリーがなくなったとも思いません。


 

確かに現実には演奏できないけれど、今まで 弾いてきたものは自分の血となり肉となり呼吸となって脈々と息づいているのです。失くしたわけではありません。何の不足があるのでしょう 。


 

左手の演奏が右半身の回復につながる。


 

左手で演奏するようになってから、右手も回復していくのを感じるようになりました。右手だけではなく右半身とも言うべきでしょうか。


 

もちろんそれは 蝸牛(カタツムリ)の様な歩みで、目に見えるような目覚ましいものではありませんが、でも焦らず急がずゆったりと見ていれば、確かに少しずつ良くなっているのです。


 

しだいに神経が通い、身体の動きがわずかではありますが円滑になっていきます 。その状態を確認する時、何とも言えない、愛おしいという感情に近いと思いますが、それを感じます。


 

普通半身不随の人には、自由になる方は使わずに、不自由な方を使いなさいと言います。僕のしていることは全く正反対です。ピアノを弾くのは指で弾くものではありません。体全体を使って弾くのです。


 

呼吸が全身を 楽に回っていなければなりません。どこかが硬くなっても良くないのです。力はお腹の中心部にあればいいのです。


 

左手で弾けるようになって、また生きがいを見出した。この気持ちが脳の活性化、身体の回復に繋がっている。


 

そういう風にして左手で弾いていますから、きっと良い影響が右手にもあるのだと思います。 そして何より左手で弾けるうになって僕はまた生きがいを見出しました。生きていてよかったと思えるようになったのです。この気持ちが身体の回復にもつながっていないわけはないでしょう。脳も活性化するのだと思います。


 


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 私も仕事もやめた一時期、何もかもなくしたのだと、悲観的な思いがありました。


しかし我々は片麻痺なったからといってこれまで人生で蓄積してきたことが無駄になっているわけではないのです。





私は、発病から6年も経過したころ、同病で、同じ時期リハビリした、同い年の友人の死をきっかけにブログを書き始めました。そこで書いたり、あるいは、同病の方やその家族のお書きになられたブログを読んだりする中で、実はすべての能力失くしたわけでなかったことに、徐々に気が付きました。


少々手前味噌かも知れませんが、観察し調べ、考えたりすることの力が徐々に戻ってきたと感じ始めました。つまり全て無くしてたいたわけではないのです。


 

それと、動かない麻痺手に過度にこだわらず、健手でやりたいことを、まず始めれば良いと気づきました。


 


生き生きと暮らす自分を取り戻すことがまず第一なのです。


 


杖歩行など移動できるスタイルで移動し交友を広げ、世界を広げればいいのです。かっこよく健常者風に歩けても、狭い世界に閉じこもって交友が広がらなければ、結局どうしようもないのです。


 

それじゃ~また。