【写真は宮沢賢治です】



寒い夜の自我像  中原中也





きらびやかでもないけれど、



この一本の手綱(たづな)をはなさず



この陰暗の地域をすぎる!



その志(こころざし)明らかなれば



冬の夜を、我は嘆かず、



人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや



憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、



わが瑣細(ささい)なる罰と感じ



そが、わが皮膚を刺すにまかす。



蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、



聊(いささ)か儀文めいた心地をもって



われはわが怠惰を諌(いさ)める、



寒月の下を往きながら、


 


陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、



わが魂の願うことであった。


 


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【中原中也】


 


この詩に初めて出会ったのは、はるか昔の10代の終わりでした。


しかし日々の暮らしの中で、噛みしめ 反芻(はんすう)したのは、社会人になってからです。


 


きらびやかでもない1本の手綱を放さず。冬の時を、いたずらに嘆かず、陽気でたんたんと生き、しかも最後に己を売らない。


この言葉を、いつもそばに置いていたからこそ、葛藤も衝突も多かった社会人生活を乗り越えられた面があります。そんな経験が重度の中途障害者になっても、何とか精神的に持ちこたえられた一因にもなったと思います。


「手綱」は中也にとっては「創作(詩)」ということだと思いますが、私もささやかな手綱を、この先も一生放さず生きたいと思っています。


 


それじゃ~また