私はプールで週一リハビリ歩行するようになったのですが、その際、若い知的障害者の方と付き添いのお父さんとよく一緒になるのです。




この知的障害者の方は、プールに入る前後30分ずつ障害者用のトイレにこもられるのです。30分トイレにこもり30分プール、その後30分トイレいった行動で、これは以前から毎回同じですと、私のヘルパーさんもあきれ顔です。この障害者用トイレは、中にシャワーも付いて3畳くらいの広さがあります。シャワーを浴びて着替えもし、トイレも済ませられる快適な場所なのです。




その知的障害者の男性が毎回合計1時間そこに閉じこもるのです。もちろん知的障害ですから身体的な障害はもたれていません。どちらかといえば非常に早く歩かれるので、こちらの方がすれ違う時など、非常に怖い思いをするぐらいなのです。




お父さんがいつも付き添いで来られるのですが、もう心得たもので障害者用トイレの前のベンチでのんびりと小説を読んだりしています。




今のところ一緒になる障害者は、私だけのようです。ですから私は、足元に不安を感じながら仕方なく一般用のトイレに入るのです。


 


もし、車いす等重度の身体障害者が来られた場合、こんな独占が許されるのでしょうか。基本「身障者用トイレ」であると思いますし、街中では、今は「多目的トイレ」になっているところもあり、赤ちゃんを連れた人の利用も当然あります。




自分(子供)は障害があるから何をしてもいい。障害者トイレを独占してもいいのだというお考えがあると思うのです。そうじゃなければ他の方もいるからもっと早く出なさいと父親は言うべきだと思うのです。


普段知的障害者と接しておられるヘルパーさんもこの親子とは以前からの顔見知りらしいですが、完全にあきれ顔です。




このように障害者だから許されるのだという方は、割と多い様に思います。それが他の方の反感を買ってしまう。以前「障害者は謙虚であるべき」という議論がありましたが、逆にいえば「障害者だから許されると」と尊大になってしまう人も多いということでしょう。


 


 


【追記】後日、ケアマネジャーさんに、このことを聞いてみました。


 


知的障害のある人が、大勢の人がいる場所に出かける前や後に「閉鎖的空間」を必要とする場合がある。その空間が精神的な安心をもたらしていると思われる。ただしそこにトイレやシャワー設備は必要でなく、他人がいない自分だけの空間があればよい。


 


とのことでした、確かに障害が自分だけの空間を必要とする場合があるようです。問題はそれが主に障者用のトイレを独占してしまっているということです。


 


このように、身体障害者と知的障害者などが、1つのトイレを奪い合う。さらに1つの公的制度の中でヘルパーさんを奪い合うなど、今後さまざまなケースで起こりえることです。


 


それじゃ~また