◆ホーキング青山著「考える障害者」の2回目です。
ホーキング青山市氏は、車椅子芸人として活動のかたわら訪問介護事業所の経営もされています。
身体障害者で先天性多発性関節拘縮症という生まれつき手足などの関節が未発達で変形して動かない障害があり普段は電動車椅子に乗られています。
いつものように印象に残った部分を抽出します
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■ 障害者の人は日常生活の中で自分を通じて障害者というものを知ってもらう。それが、障害者を世間に知ってもらう実は一番の近道なんだと思う
日々の暮らしの中で近所の人への挨拶から始まり日常の営みの中で自分を通じて障害者がどういうものなのかを知ってもらっていけば、自然と「感動ポルノ」の被害はなくなるだろう。 その方が密接に関われることができ、より深くお互いを知ることができるだろう。
■やまゆり園事件を考える。
・介護者は天使ではないし、容疑者はかなり極端
・生きていていい理由
「 保護者を疲れさせるだけのような障害者を生かしておく意味はあるのか?」
「職員の瞳から精気を奪うような障害者を生かしておく意味はあるのか?」
「 働くことができず何の通りも生産しない障害者を税金で生かしておくべきか?」
という犯人の挑戦的とも言える問いかけに対し、まともに答えている人がいないのだ。
答えなんて簡単なの。私はそう思っている
「 この人は生きていいのか?悪いのか?」何て問を設定すること自体がおかしい。大体の人は「生まれてきちゃったんだから寿命が来るまでは生きたい」と思っている。 たとえ家族や職員にどんな迷惑をかけても世間からひんしゅくを買うくらい税金を使ったとしても生まれてきちゃった以上は生きたい。
それだけだ。
なのに障害者だけいきなり生き死のことを他人に言われなきゃならないんだよ!
お前が勝手に他人を殺していいわけないだろ馬鹿野郎
■ これまでやってきた抗議運動や、あるいはバニラエア騒動の際の「異議申し立て」のような手法では、権利は獲得できても、結局禍根を残すだけで、障害者と健常者が共存することにはなっていかないと思う。
誤解して欲しくないのは、私はこれまでの抗議運動や「異議申し立て」を否定するつもりは毛頭ないという点だ。 前述した通りこれらの人たちが獲得した権利の恩恵をどれだけ受けているか分かっているつもりだし、感謝もしている。
からこそ、もう対立 するんじゃなくて社会の一員になるために、健常者もだが、障害者こそ心を開くべきだと思うのだ。
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脳性まひの「青い芝の会」はじめ、壮絶な運動があったからこそ、いまのバリアフリー等の社会資本整備があります。私も障害者の一人として様々な福祉の恩恵を受けています。
ただ、バニラエア騒動や虚像「乙武」さんの話に接するたび、次の段階に進むべきと感じます。ホーキング青山さんが最後に述べられている通り、有名人でもない普通の障害者が、心を開き発信する時代。対立から対話への転換であると強く感じます。SNS等、時代は追い風です。
それじゃ~また