障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会い [障害者として生きる]
障害を生きる 最後の瞽女小林ハルさん
小林ハルさんは幼少期に視力を失いその後壮絶な人生を送った。瞽女とは、盲目の旅芸人で、通常2〜3人で組んで、農閑期に農村部を回り、瞽女唄を披露して収入を得るのだ。
いくぶん目が見える者を先導に、裏日本(日本海側)の新潟を中心にその周辺地域
の豪雪地帯の山奥の村もめぐる壮絶な旅の日々だ
ハルさんは、目が見えなくても日常生活や針仕事ができるように、実母から厳しく仕込まれた。瞽女となって生きることを決めた子供時代てからも、プロの寒声を作るために、寒風の吹き荒む中、大声を張り上げる厳しい修行をした。また金銭も絡む、厳しい徒弟制度の中で瞽女唄が継承されており、 親方との旅は一層辛いもので、年重も行かないおさない弟子が、親方の荷を担ぎ、親方は宿に泊まっても、弟子は近くの神社での野宿のこともある。
親方は 弟子が修行を中途挫折すると、その依頼者である実家から違約金をせしめられるので、それを目当てに激しいいじめを行った また先輩による 激しいいじめなどにも耐えてきた。
さらに、二十歳を過ぎて養女とした娘にまで死なれた。
その後も自分の 弟子の結婚相手に収入をほとんど吸い上げられるなどさらに 苦労を重ねるのである
【木下晋 作】
一方、新しい表現を模索する中で、ハルさんに運命的に出会い、鉛筆により作品化したのは画家の木下晋氏である。
木下さんの人生も壮絶なものである。
母親に捨てられ 貧困の中で弟が餓死する。 幼少期は天才と称されたが、絵で生活を立てることは、困難であり、ニューヨークで、画廊に売り込みを計るも、個性がないとの理由でことごとく断られ失意にくれ、帰国していた。
そんな木下さんが、 小林ハルさんと偶然に知り合うことができ、 鉛筆画家として 再スタートするのだ。それが上記の作品である。二人の壮絶な人生が交差して、新しい表現が生まれた。
それじゃ~また
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