【倉敷市大原美術館】ゴーギャンとロートレックが並んで展示されている [小さな美術館、博物館巡り]
▼秋の初め大原美術館を訪れました。以前から、ゴーギャンの原画を見たかったのです。
そこには、思いがけずゴーギャンとロートレックの絵が並んで展示されていました。ロートレックも私の好きな画家で、脳卒中で倒れる少し前、大阪の天保山の旧サントリーミュージアムで開かれた「ロートレック展」で多くの作品を見ていました。 ほぼ同時代、フランス生まれの二人は決して恵まれた一生を送ったわけではありません。これらも不遇の時代の作品です。 ▼それを椅子に腰掛けながら、ほぼ正面からゆっくり眺めることができました。そこは、あたかも自分の部屋の空間です。さすがに、ブランデーは手の中にありませんでしたが・・小一時間の至福の時でした。 ▼しばらく眺めていると、キャンバスに向かう二人の男が現れました。 子供の時、馬から落馬したことで、脚の成長がとまってしまったロートレック。身長は150cmだったといいます。
一方、証券業界から30歳で画家に転身し、上手く行かず妻子とも離別せざるをえなかったゴーギャン。
▼しかし、そんな二人が不遇の時代に、こんな生命力を感じさせる作品を描いているのです。 自然と、目頭が熱くなってきました。 大きなプレゼントをもらった秋の一日でした。 |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
パット見イからの感想ですみませんが、二人の画風から片や情熱的、開放的、一方は内省的、繊細さを感じますが、どちらもお好きだなんて懐が深いです。
【返信】 確かに言われてみればそうです。ただ好きなだけでそこまで考えてませんでした
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震災の時、無償でいただいたお米にびっくり [吠え!吠え!]
長女は私が卒業した田舎の学校に緊急避難で通わせました。
ありがたい!と最初は感激しました。でも、それはとんでもないお米だったのです。「あれ!?この米黒ずんでるやん!」とまずその色に驚きました。気を取り直して炊いてみましたが、これが信じられないくらい 不味い!! のです。 ▼私たち家族も都会暮らしが長くなっていましたので、毎日おいしい米を食べていたわけではありません。スーパーで売られている普通の値段のコメです。特にうまいとかまずいとかは感じていませんでした。 ですが、この米のまずいさはとんでもないレベルでした。こんなまずい米食ったのは生まれて初めてです。 備蓄米として倉庫の奥深くに積まれていた古々古々米で廃棄処分もできない物を、いい機会だと無償提供されたように感じました。多分家畜のえさにもならないものでしょう。 ▼それでも食べ物ですから捨てられず、何度も精米し直したり、もち米を混ぜ炊いてみたりと色々工夫しましたがやはりだめです。震災で落ち込んでいた気分が食事の度にさらに落ち込んでいくのです。これが人の本性か・・。 ▼私は、頂き物のお裾分けなどで、人様に食べ物を差し上げるときには、まず味見する様に女房にはいつも言っていました。まずいものを差し上げるのは非常に失礼ですし、それが人間関係の亀裂を生むと思っていたからです。
不味いものだと侮られたと感じさせる、あるいはこちらがその程度の人間だと思われる危険性もあります。 ▼この米を供出した人は、こんな古いものを善意(無償)で差し出して、いいことした気分になっているのでしょうか!?
何を贅沢なこと言っていると、逆に私たちは叱られなければならないのかも知れません?しかし家族5人で、毎日この米を食べるたび、皆の表情が沈み込んでいくのです、先行きが見通せない不安感の上にさらに気分が落ち込んで行きます。 ▼能登半島地震の被災者の 方々が、おいしいお米食べておられること心から願っています。 |
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それじゃ~また | |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
おっしゃってる話は、一度身に着けたような衣類、又家で不要になった食材を相手が欲しているわけでもないのに、いわば勝手に送り付けるのと似ていますね。相手を考える想像力なしです。最近このような人種が増殖中なのが気になります。
【返信】 今は、災害支援でも、フードバンクでも、品目も賞味期限等も細かく指定されますので改善はみられるようですが、逆に言えばそれしないと収拾がつかなくなるのでしょう。
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【東山魁夷瀬戸内美術館】魁夷の90歳の生命力! [小さな美術館、博物館巡り]
小さな美術館、博物館巡りの旅 [小さな美術館、博物館巡り]
【丸亀美術館と所蔵のミレー作品】 |
息子二人が高校生だったこともあり、生活の目途をつけるため旅行どころではありませんでした。
▼旅行に 最初に出かけたのは 2014年でした。倒れてからすでに4年経っていました。 これは JR で 出かけました その後、2016年に高速道路の運転が再開できるようになって以降、ちょこちょこ と出かけています。 ▼歩行も困難でお酒もあまり飲めなくなりましたが、地方の小さな美術館巡りが楽しくなりました。来館者が少なく、名画を心ゆくまで鑑賞できる。そんな魅力にハマっています。 地方美術館巡りの書籍もありますが、やはり有名なものを網羅しただけのものが多く、小さな美術館、博物館、資料館はほぼ載っていません。 そんな小さな施設を訪れる旅を紹介していきたいと思います。 |
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プロフェッショナルへの道(3)出会いがあるか?! [その他(ブログ等)]
▼私は、 宮本輝さんが 同世代の中上健次さんと比べると、そこまでの天才だとは、正直思えない。失礼ながら駄作も多い気がする。
ただ素晴らしい出会いに、恵まれているのである。 ▼作家として世に出る前に、池上義一氏(同人誌を主催)と知り合い、この人の会社で働きながら、文学修行を続け、池上さんの文学界を知り尽くした老獪な戦略により世にでて、作家としての地位を築いたのである。 さらに、 歴史に残る作品を残した。それは「流転の海」である 。37年の歳月を要して書き継がれた全九巻。昭和を代表する圧巻の名作だと思う ▼これは 宮本さんの実父である 熊市さんをモデルとした宮本一家の激動の小説である。 50過ぎて初めて授かった息子の正仁(宮本輝)が、神経患うほど繊細な感受性で見聞きしたことを書き上げたものである。 いわば、親子2代で書き上げた昭和を代表し、歴史に残る名作であると思う。 私は、脳卒中回復期の病棟で、壊れた脳で必死に読み返し、生きる力がよみがえった。 ▼このように必ずしも天才でなくても、出会いにより天才以上の作品は生まれるのである。 プロフェッショナルになれる人は、こういった出会いが必ずある。私はそう確信している。多くが師匠に恵まれるのだ。
孤灯の人は、独りよがりで生涯埋もれてしまう。 ▼類は友を呼ぶは人間関係の真理であると思う 結局はその人の努力が人を呼び込むのだ、宮本輝さんは池上さんを呼び込んだのだ。そんな宮本さんを育てたのは、流転の海でもまっとうな努力を重ねた両親だ。 もちろん逆もある。うまい汁吸おうとする人間は、結局、一枚上手に吸いつくされる。
それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
中上健次さんは枯木灘、宮本輝さんは泥の河と流転の海の半分程度の読書量では、批評すらできませんが、振り返ると私の人生の中で生きる指針となるような先生に巡り合えなかったと感じます。それは巡り合うチャンスがなかったのか、又自分が積極的に求めようとしなかったのかと問われると、やはり求めなかったと思います。残念な気がします。
【返信】 運に恵まれると言いますが、誰に出会うかということに関しては、何をどう求め足掻(あが)いたかが、大きい気がします。
誰もがプロフェッショナルになる必要はありませんが、それを渇望した場合は、圧倒的な技術に加え、人との出会いが必要に感じます。
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