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暮らしの中で、つねにそばに置いておきたい言葉


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▼私は、54才で脳卒中で倒れ、翌年は心筋梗塞を発病し、結局56才で仕事を完全引退することになりました(涙)
 
しかし反面、現役中はできなかった楽しむための読書が思う存分出きる環境にになりました。

▼小説は、現役の時は年1-2冊程度でしたが、まあ、暇だから読んでみるか・・。そんな軽い気持ちで読み始めました。

この年になれば純文学(こんな言葉今あるのでしょうか?)などもう御免です。新聞でちらっと読んだ渡辺淳一先生も”もう堪忍や!”です。

▼それで、藤沢周平、山本周五郎などの時代小説を読み始めました。

そんな中ではっとさせられた言葉、励まされた言葉等を紹介したいと思います。

中途障害を負った自分のこれからの暮らしの
中で、つねにそばに置いておきたい言葉です。
 

☆実際生き延びてみなければ何がその人に幸いするか分からないのだ。(乙川優三郎、さざなみ情話)
 
 
☆マイナスとマイナスを掛ければプラスになる。
小難によって大難をまぬがれる。(山田風太郎)
 
 
☆老いても病んでも芯のある人はおおらかである。(乙川優三郎)

 
 
☆運命を解釈する力こそ人間の力量である(山本周五郎)


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 【同病の三本松のおじさんの一言】

どの言葉も前向きにさせてくれる言葉ですね。

では私からも一つ藤沢周平の”泣かない女”より

足の悪いお才は、ずっと前からいつかこんな風な日(夫の浮気)が来ると思っていたと、黙って家を出て行ったが・・・

あわてて迎えに来た浮気亭主に、「施しをするつもりならやめてね、憐れんでもらいたくないの」お才は声を出して泣いた。お才の泣き声を聞くのは初めてだった 

 

 

【返信】 

”泣かない女”が、泣く話ですね。縁と、人(女性)を見る目。そこに大きな分岐点がありますね。 

 
 
 
 






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お気をつけあそばせ 好き嫌いのはっきりしている人 [お気をつけあそばせ]


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▼当ブログに何度も訪れていただいている方は、記事からすでにお気づきになっていると思います。

実は私、好き嫌いが激しいのです。

▼久坂部羊先生によると、好き嫌いがはっきりしている人というのは、敵意を感じさせる人、反感を買いやすい人らしいのです。

▼また熱心過ぎてありがた迷惑な人間らしいのです。
以下先生のご意見です。

「一見気さくそうに見えるが実は好き嫌いが激しいタイプは、優秀で努力家であり完全主義者で合理主義者である。不要なものを徹底的に排除しなければおさまらない性格と言える。だから、相手は傷つき反発するようになる」
ということらしいです。

なるほど、
現役時代は「優秀」以外は近かった気がします。


▼これは、「頑張れば成功するという受験エリートの習性」らしいのですが、私は「受験エリート」には当てはまりません。少なくとも受験より大事にしていたものがありましたから。

▼いずれにせよ。これから年齢を重ねていくと介護施設などにお世話にならなければならない。

敵意を感じさせる人間が動けなくなってしまったら、どんないじめや虐待にあうのか、想像すると恐ろしい・・・。


▼しかし「好き嫌い」の「好き」の方もあるわけだから、好きを一層大切にすることも大事かなあ、と思ったりもします。好きを通して新たに親密な友人を作る。

▼でも、少なくとも自分は「敵意を感じさせる人間だ」との自覚はこれから必要です。


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 【同病の三本松のおじさんの一言】
残りの人生、たとえ一人になっても自分による自分のために最後まで自分で決める人生を送りたいと考えてますので、今更八方美人として振る舞うより我が道を行きます。だって嫌いな人間多しの世の中、好きな人に接すると幸せ感を感じますもの、それを大事にしたいです。
【返信】
残り人生人と争っても仕方ないとと思う一方、心触れ合う親しい関係も求めたいと思います。それは療養病棟でも可能です。
 
 
 




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【草野心平記念文学館】福島県いわき市 [小さな美術館、博物館巡り]



▼共に東北出身で同世代を生きた偉大な二人の詩人と言えば、草野心平と宮沢賢治です。

 

私は教科書で草野心平の「冬眠」という詩(上記)を読んで?(見て)衝撃を受けました。それ以来草野心平のファンです。


▼もちろん宮沢賢治の詩にも感動しました。特に高校の女性教師が読んでくれた「永訣の朝」は衝撃でした。感動のあまり呆然自失の私に、教師がにっこりと微笑んでくれました。



ですが、宮沢賢治というのは、育ちがいいという感がどうしても拭えないのです。百姓仕事をしたこともないのに、理想に燃えて農学校の教師になる等、少々青っぽさを感じるのです。



草野心平は、家庭を持ち生活に貧窮しながらも創作を続けた。その骨っぽさが好きなのです。

 

▼ちなみに吉野せいの夫で詩人の三野混沌は、詩作に夢中なあまり農作業がおろそかになり、また農地解放運動にのめり込んで、百姓仕事、子育ては全てせいに任せっぱなしだったそうです。私はこんな人物は、はっきり言って嫌いです。

 


▼ところで草野心平は宮沢賢治との間で手紙のやり取りがあり、生活に貧窮した草野心平は農学校の教師をしているのだからと、宮沢賢治に米を無心したそうです(笑)


とにかく家族との生活の為、貸本屋、居酒屋やセールスマン何でも一生懸命にやった。


大陸風の男っぽい、いいい表情をしています。ちなみに中国の広東嶺南大学で学んでいます。

 



▼それにしても草野心平記念文学館の立派な建物と展示。心平さん草葉の陰でビックリしてるだろうな。

 
それじゃ~また

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【同病の三本松のおじさんから一言】
詩を読んで呆然自失、青っぽさより骨っぽさが好きとは、詩に関して不勉強な私はメガネザルさんの生き方そのもののような気がします。

返信
ありがとうございます。口の悪い同級生からは、高校生の時から何も変わっとらん(進歩がない)と言われてます。

 
 

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「男女5人京都物語」の終わりに [片麻痺でも旅がしたい]


 


▼昭和世代の方なら覚えておられる方もが多いのではないか、TVドラマ「男女7人夏物語」。


明石家さんま、大竹しのぶなど7人の若手俳優が出演して大ヒットした。こんなシチュエーションの青春を過ごされ方、実際多かった思う。

▼私にもそんな青春があった。18歳の時京都で出会った5人。もちろんドラマのような美男美女ではない。


どん底大学で出会った男3人に、女2人(看護学生とOL)。そこから2組のカップルが誕生し夫婦になった。私は1人余った(涙)


どん底の男たちは、もう無茶苦茶で、だれもまともに就職できなかった。そんな男をこの女性2人は見捨てなかった。


▼あれから40年、女性1人は50代の初めに亡くなり、先日男の1人が亡くなった。気がつけば5人のうち2人が既に亡い。もう1人の女性もガン闘病中だ。

 

▼今回の旅でルート変更したことで、もう1人の男の住む山口市を通ることとなった。どうするか迷った。


何度かの転職の後に、山口で地方公務員になった事を隠していた彼。以降交流は少なくなっていた。


十数年前、奥さんが亡くなった後に一度官舎を訪ねたきりだった。その時すっかり公務員の管理職らしく鷹揚(おうよう)になった彼に白けた。



▼通り過ぎるつもりだった。しかし京都で仲間だった彼の奥さんの仏壇に線香をあげていなかったことに気づいた。 


早朝電話をして住所を聞いて訪れた。 数百キロ離れた町から、突然朝の8時半に現れた私に、「相変わらずやな」と彼は苦笑いした。


退職して数年経っていた彼からは、公務員臭さは消えていた。京都時代のように自由な感じがし、久々話が弾んだ。


▼それでも 、二人の仲間の死で、青春からの一つの時代が終わった事を自覚した。

 

ただ、終わりは始まりでもある。友との別れを惜しみつつ老いの時代の始まりだ。

 

▼さらば友よ!ひょっとしてもう会うことはないかもしれない。でも今回会えて本当によかった。

 


それじゃ~また
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【同病の三本松のおじさんの一言】
竹馬の友高校時代の友人を亡くした時は、その時代の濃厚な思い出に幕が下りたようでしたが、大学時代の友人を亡くした時は哀しみに包まれました。今後残りの人生益々このような悲しみが、心の領域を占めてくるようです。

【返信】
年を取る悲しみは、こんなところにあったのですね。それも思っていた以上に早くやってくる。願わくば女房より先に逝きたいと思いますが、それもままならないのでしょう。

 
 
 

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「土に書いた言葉」百姓バッパ作家 吉野せい [小さな美術館、博物館巡り]


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▼百姓バッパ吉野せいは、夫の死後その友人に小説を書くことを勧められ、鍬(クワ)に親しんだ手にペンを持った。70才になっていた。


勧めたのは近郷の詩人、草野心平である。その心平をして、「これは単なる農民小説でも記録でもない。恐ろしい文学である」と言わしめた。



せいは夫で詩人である吉野義也(三野混沌)とともに、阿武隈山脈の南はしの藪野を開拓して50年作物を作り続けてきた。


 

▼「土に書いた言葉」とは言いえて妙である。ただし手はごつごつした農婦の手である。

 


今回の東北旅で、その菊竹山の開墾地をどうしても見ておきたかった。



しかし唖然とした。


そこは(写真上)もう住宅が立ち並び、狭い畑が僅かに存在しているだけの場所である。


吉野せいが開拓し奮闘した跡地は見られない。道路の端にわずかに竹やぶの跡が残っていた。



落胆し、草野心平資料館に向かった。

【写真】昭和45年4月11日他界した詩人三野混沌(吉野義也)を常に尊敬して止まなかった草野心平。昭和47年4月のみぞれ降る日、混沌を忍ぶ詩碑除幕式に祝辞を述べてくれた草野心平(左)。吉野せい(中央)。


(昭和47年4月 1972年)大塚一二氏提供

 

資料館では思わぬことに、期間限定でミニ企画展示コーナーが設置されており、そこに吉野せい生原稿が展示さていた。


土を引っ掻いたような筆圧の強い文字を予想していたのだが、女性的というのではないが意外と柔らかいのだ。


彼女は網元の娘として生まれ、しばらく代用教員をしていたのであるが、やはり繊細な知性を感じさせる文字である。


この生原稿を見れたことは、吉野せいを敬愛する私には大きな喜びだった。

 
洟をたらした神 (中公文庫)

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  • 作者: 吉野 せい
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  • 発売日: 2012/11/22
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それじゃ~また
 【同病の知人 三本松おじさん】


ばっぱの意味が解らず、パソコンで調べるほど吉野せいさんにも無知な私ですが、土という一番身近な自然を相手に戦ってこられた生活者の装飾のない言葉は甘ちょろい、安易な生活を送る私の横面を張る力強い言葉なんでしょうね。

【返信】
仰せの通りです。せいは、詩人である夫混沌が農作業の手を止めて、紙に言葉書きつけるのを憎々しげにながめていたと思います。逆に混沌はせいを鬼と呼びました。このギャップは混沌が生きている間は埋められなかったと思います。

せいと混沌、どちらに共感するかと問われれば、私はせいです。言葉ばかりとらわれている歌人は苦手です。
 

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