きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱(たづな)をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志(こころざし)明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆(しょうそう)のみの悲しみや
憧れに引廻(ひきまわ)される女等の鼻唄を、
わが瑣細(ささい)なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌(いさ)める、
寒月の下を往きながら、
陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった。
【中原中也】
この詩に初めて出会ったのは、はるか昔の10代の終わりでした。
しかし日々の暮らしの中で、噛みしめ 反芻(はんすう)したのは、社会人になってからです。
きらびやかでもない1本の手綱を放さず。冬の時を、いたずらに嘆かず、陽気でたんたんと生き、しかも最後に己を売らない。
この言葉を、いつもそばに置いていたからこそ、葛藤も衝突も多かった社会人生活を乗り越えられた面があります。そんな経験が重度の中途障害者になっても、何とか精神的に持ちこたえられた一因にもなったと思います。
「手綱」は中也にとっては「創作(詩)」ということだと思いますが、私もささやかな手綱を、この先も一生放さず生きたいと思っています。
それじゃ~また
難しい詩ですが何か心に響くものがある詩ですね。
もうすぐ65歳にならんとしてシニア社員(定年後の再雇用の呼び名)も、もうすぐ終了となる今、54歳で卒中で倒れ、2年後片麻痺のまま復職し、10年、よく働けてきたなとつくづく思います。
1本の手綱を必死でつかんできたんだと思います。1本の手綱が何だったのか色々思いつきますが、前出の「こころの強さ」だったんでしょうか。
祖父、父、兄と同じような病で亡くなり、この病に対し精神的な「馴れ」みたいなものがあって、それが「こころの強さ」でいられたのかもしれません。
だから左手だけの水泳で何Kmも泳ぎ、左手だけでピアノも習い、そして仕事もやって・・・
この詩とmeganesaru707のコメントで、改めてこんな思いになってしまいました。
ありがとうございました。
by ネロ (2019-02-15 09:23)
前の記事「ジョゼと虎と魚たち」で、心の強さをテーマにしたのですが、今回はその関連で、中也の「寒い夜の自画像」を取り上げました。一本の手綱は、一つの「覚悟」でもあると、ネロさんのコメントから感じました。ありがとうございました。
by meganesaru707 (2019-02-15 10:12)