実際生き延びてみなければ何がその人に幸いするか分からないのだ
◆片麻痺という重い後遺症が残り、これまでと同じ生活はもうできないことがわかり始めたると、「何もかも失くしたんや!」と極端に悲観的になり落ち込んでしまう。私を含め多くのご同病の方々も一時はこんな状態であったのでないかと思います。
◆しかし時間が経過するとともに、全て失くしたわけでないことが解り始める。最大のものはやはり家族でしょう。
「家族のためには、存在しているだけでもいいんやないか」そんな風に感じられた私はラッキーでした。
◆それに、これまでの生活にはない”豊さ”まで感じられてきました。
私の場合は20年近くの単身赴任生活でしたので、家族と過ごす時間が圧倒的に増えました。時間に追われることなくゆっくり会話できる。好きな本も好きなだけ読める。
自宅の周りを杖を使って必死で歩いている姿を見て、これまでそんな親しくなっかた人までも見舞いに来て自分が愛飲しているお茶などプレゼントしてくれる。 ◆「へ~悪いことばっかりじゃないんや」正直驚きました。
そんな中で出会ったのが、表題の言葉でした。作家乙川優三郎氏の言葉です。
もちろん経済的な面を含めて将来に対する不安が消えたわけでは全くありません。が、とりあえず一息つくことができた。冷静さと気力とをようやく取り戻したということです。
それじゃ~また。
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【同病の三本松のおじさんの一言】
人生いろいろ、禍福はあざなえる縄のごとし、水戸黄門も歌っている「人生楽ありゃ苦もあるさ、涙の後には虹も出る、歩いてゆくんだしっかりと、自分の道を踏みしめて。」失礼つかまつりましたぁ~
【返信】
究極そこですね
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