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魚肉ソーセージの頃(NO-4) [片麻痺でも旅がしたい]




旅の昼食にナポリタンを作った。保存がきくだろうと魚肉ソーセージを持参していた。


思えば魚肉ソーセージを食べるのは本当に久しぶりだ。前に食べたのは 20年以上前だったかもしれない。


最も魚肉ソーセージを食べたのはやはり学生時代である。


小腹がすいたらパクリ、酒のつまみにパクリ、飯のおかず入れたり、とにかくやたら毎日食べていた。当時は両端がアルミ止め具だった。そんな時代を旅空の下、思い出した。



あの五流大学の頃が懐かしい。普通に受験勉強していたなら知らない大学、いや知る必要がない大学である。


そこには様々な人間がいた。年齢も様々、雑多な集まりだった。働いている人間も多かった。


こんな大学に入るのでは、親も学費を出さない。将来の役に立たないからだ。学費を出してもらえるのはぼんくら坊主の息子くらいである。



私は夜8時から朝の5時まで飲食店の仕事をしていた。正社員扱いだった。

他には、深夜タクシーのドライバーをしてた奴。週末に競馬場で予想屋をやって稼いでいた奴。インド放浪旅から帰ってきた哲学科の彼は、20代の半ばでもう老人の様に枯れていた。こんな奴がネクタイ締めて働く姿などとても想像できなかった。


深夜スナックの店長だった奴は、明け方、京都先斗町の私の勤め先に頻繁に現れた。愛車は暴走族を卒業した女の子から譲りうけた改造車で、それから二人で飲みに行くのである。


ちなみにタクシードライバーは、その後その体験を書いて作家デビューした。深夜スナックの男の職業は恐ろしくてとても言えない。

 

インド放浪の奴はいつの間にかいなくなっていた。その彼が生まれ育ったのが、この丹後半島の小さな町なのだ。ひょっとして、そこら辺り歩いていないだろうか・・・。


年を重ねても一流大学だ、二流大学だ、と言うのは、大概そこに所属していた奴だ。我々のように五流大学など、最初から学歴社会から弾かれているから、そんなことは誰も言わない


ちなみに後年、ひょんな偶然から、超高学歴の奴や、大学教授と仕事で付き合うようになった。ある時は同じプロジェクト内の仲間、ある時は受注を競うライバルである。とある学会にも出入りするようになった。彼らは、総じてどこの大学の何学部を卒業したのかをひどく気にする。私は当初、嘲笑されていた。


そうした中でつくづく感じたのは、総合的な頭の良さというのはそんなに変わらないということだ。五流大学の年齢不詳の同級生たちも、生きていく知恵はものすごく持っていた。


ただし、同じ人間かと思うほど超頭脳の持ち主は、東大や京大の中で一握りいる。そしてそんな凄まじく頭がいい奴が、ホンの僅かながら一般社会にも、裏社会にもいるのだ。


高学歴でないからと、そこら辺のおばちゃんだからと、人を侮るとひどい目に合う。学歴自慢、会社自慢、知識自慢の方々、お気をつけあそばせ!

 

それじゃ~また

 

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