西行最後の歌 [片麻痺でも旅がしたい]
西行は心身共に熱い男であった。常識人からすれば”阿呆(アホウ)”であろう。釈迦と同様、妻子を捨てて出家するなど思考が飛んでいる。 若い頃は、皇室の警護兵(北面の武士)として平清盛と同僚であり、そこで見染めた皇后待賢門院珠子に激しく恋した。 出家の後も、歌を詠むため関東から、東北地方まで広く旅をした。 だが、苦しさは常につきまとっていた。
こんな西行が、晩年にどんな心境に至ったのか。最後に詠んだとされる歌は、比叡山の無動寺(むどうじ)(大津市)から琵琶湖を眺めた作である。 にほ照るや 凪(な)ぎたる朝に 見わたせば 漕(こ)ぎゆく跡の 浪(なみ)だにもなし ※現代訳 朝日に照る穏やかな鳰(にお)の湖(琵琶湖)は、舟の浪の跡さえ無い静けさだった 西行は、こんな静かな心に達した。ほかにも富士山を仰ぎ見て詠んだ歌は、自ら一番の歌(自賛歌)とした。
小一時間この景色を眺めていた。西行の心から遠いが、妙に安らぐ。
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【追伸】
西行が出家した後、妻子もその後を追うように出家した。
そして西行の晩年、吉野で三人で暮らした一時期があった。そんな説があるのだが、これ聞いて、西行ファンの私は、心から良かったと安堵した。
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それじゃ~また |
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