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 【福井・若狭おおい(大飯)町・若州一滴文庫】水上勉の蔵書 [小さな美術館、博物館巡り]



 

京都の綾部から福井・若狭のおおい町に抜ける細い山道をたどって若狭側に入った狭い谷に水上勉の若州一滴文庫はある。


決して豊かそうでないこんな山奥の、乞食谷(こじきだん)と呼ばれる地で生まれた子が、水上勉という作家になりえたことは、奇跡の様に感じる。



水上勉(1919年生まれ)に比べ、一世代前の太宰治(1909年生まれ)や坂口安吾(1906年生まれ)、中原中也(1907年生まれ)らが何れも大金持ちのおぼちゃまであったことを考えると、本当に驚きだ。



水上勉は、ここから9歳の時に京都の叔父の元へ送られ、10歳の時にの同地の禅寺に修行に出された。

 

とにかく水上の蔵書の数に圧倒される


試しに2~3冊引き抜いてめくってみたのであるが、やはり読んだ感じがある。


プロフェッショナルになるにはこれほどまでに本を読んでいなければならないのか!?


もちろん質の問題もあるだろうが、でもやっぱりこの数には圧倒される。


私も、自分の仕事関連の専門書を数千冊は持っていたが、テンデ比較にならない。


もし小説家になろうと思われる方がおられるなら、一度訪ねられることをお勧めする。

 

私が、水上勉を最初に知ったのは映画『飢餓海峡』(きがかいきょう)だったと思う。私は小説の熱心な読者ではなく、著書は「金閣炎上」くらいしか読んでいない。



ただ、京都祇園の寿司店で修行していた頃、そこの店主がジャケット姿で店に戻ってきて、「水上勉とかいう作家とクラブで一緒に飲んでいたんだが、しょうもない男だった」と吐き捨てたことを覚えている。


 多分料理のことで、何か言われたのだろうが、今となればその言葉を聞いてみておけばよかった。

 


それじゃ~また

 

【追記】障害を持つ我が子のために「拝啓池田総理大臣殿」の手紙

 

水上勉さんには、重い障害を持つ娘さんがいた。脊椎破裂と水頭症という障害を持ってこの世に生まれてこられたそうである。

 

 

その娘さんのために昭和38年「中央公論」6月号で,重度障害児をもつ親の立場から「拝啓池田総理大臣殿」を発表し,時の政府に訴えた。

 

これに対して、池田総理に代って黒金官房長官が同誌7月号で「拝復水上勉様」を発表し今後、重度障害児の問題の解決に努力するという返答をした。

 

これは異例の事であり、これにより重度障害児の間題がクローズアップされるきっかけになったそうである。

 

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【同病の三本松のおじさんの一言】
不勉強で水上勉の小説は一冊も読んではいませんが、飢餓海峡が週間朝日で連載されていたころから飢餓という題名が気になっていていて、数年後テレビで放映された際、夢中で見ました。記憶として娼婦左幸子の三国連太郎の爪を切る、いじらしいほどの、けなげな真心に胸が熱くなり救われた感じが残った記憶があります。
【返信】
最高のシーンです。また娼婦の生い立ちと故郷の情景。水上勉氏の生誕の地を訪ね、ストンと腑に落ちました。

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