人間は自分勝手な 論理を組み立てる 動物である [お気をつけあそばせ]
人間は自分勝手な 論理を組み立てる 動物である( 山田風太郎)
病室では、これを実感するケースに よく出くわします。
今回、 テレビを イヤホンなしで小さな音で聞いている人がいました。これでも結構気になる時があります。
「そんな小さな声でしたら聞きにくいでしょう。イヤホンお貸ししましょうか?」 と尋ねると 「私はイヤホンをするのが嫌いなんです 。 前の病室では、みんなイヤホンせずに 、大きな音で自由にテレビを見ていたのです 」と、あたかも今の状況が不自然なようなものの言い方です。
最初は周りの反応を伺っていたこの人、他の方が文句を言わないとなると、 ボリュームがだんだん上がります。他の二人は車椅子生活で活発に生活やリハビリが出来る人ではないのです。この人、私が通りかかるとバツの悪そうな顔で目をそらします。私は読書に集中する時は耳栓をしたり。音が漏れないイヤホンで音楽聞いたりしますので、実質的には影響受けないのですが、他のイヤホンでテレビを見ている人の本心はどうでしょう。
こんなふうに、長く同じ環境で生きてきた人は、頑固に家での生活を貫こうとします。そのために自分勝手な論理を組み立てます。山田風太郎先生の言われるように困った存在なのです。
今日は、病棟の面談や、食堂に使用する共有スペースでスマホをイヤホン無しで聞いているバカ男に出くわしました。私が多少うるさく感じイヤホンを取り出し音楽を聞きだすと、あわててその場を去っていきました。困ったやつはどこにもいるもんです。
それじゃ~また
オシャレな女性は、お気をつけあそばせ [お気をつけあそばせ]
先日同病者の友人と、共通の知人である同病の女性の話をしました。彼女は私と発病が1ヶ月違い。年は彼女が数年上です。同じ病院で回復期のリハビリしましたので、よく話をしました。明るいひとで「ケセラセラ」が口癖です。病状も比較的は軽く、手の指も多少動き、お手玉程度なら掴むことができます。
彼女は大変おしゃれな人で、退院後1~2年で、装具も杖も外し、普通の靴で歩き始めました。「元のようにオシャレな自分を取り戻すこと」それが彼女がリハビリ取り組む意欲をかき立てていたように思います。
その当時、私達仲間の男性に「あんたら、いつまでそんな、ぶっさいくな靴(装具用のシューズ)や杖ついて歩くつもりや!」と言い放ち、胸はって歩いていました。私達はぐうの音も出ません。ただ無理している分、ぶんまわし歩行になっていました。
その彼女が、病後8年たった今ものすごく苦戦しているのです。2度の大きな転倒・骨折、年齢も70近くなり腰が曲がり始めたらしいのです。
彼女はプライドも高いのでその姿を他人に見られたくないと、引きこもりのような状態らしいのです。腰が曲がると、リハビリにも大きな支障が出る。私も電話やメールで直接彼女から聞きました。
同年代の同病の仲間はずーと杖歩行ですが、さすがにまだ腰が曲がったりはしていない。やはり余程障害が軽い場合以外は、杖は付いたほうが良いというのが同病の男性と先日話した結論です。彼女も私達同様ロボット・リハビリ入院を希望しているのですが、病院側が受け入れてくれるのか、まだ何とも言えない状況です。
脳卒中片麻痺となってもオシャレしたい。女性なら当然の願いです。それがリハビリの強い動機付けになっていることもよく理解できます。でも長い目で考えると、それがリスク(危険)要因になっているかもしれません。装具つけ、杖をついて長期間安全に、それなりにきれいに歩くことも是非ご検討ください。
それじゃ~また
苦労話にお気をつけあそばせ [お気をつけあそばせ]
◆脳卒中で入院していると、時に、様々な苦労話を聞かされる場合があります。
貧困、暴力、差別、いじめ、裏切り、借金苦、別離、病気、地震、事故、さすがに戦争体験は余り聞きませんでしたが、それでも壮絶な体験をされた方が多くいます。私も実際このほとんどを経験していますが、現在の日本では、私だけでなく大なり小なりこれらのいくつかを経験されている方は多いと思います。
◆ただ苦労話を他人にする時、俺はこんな苦労して生きてきたんだ。お前こんな苦労なんかしたことねえだろという「優位に立ちたい感」丸出しの人がいます。
要するに「苦労自慢」です。「病気自慢」も見苦しいですが、苦労自慢も本当に見苦しいものです。さらに、苦労話で、同情を引こうとするような人もいます。そこにユーモアのかけらもありません。
「私はこんなに苦労して生きてきたんだ。だから私を無条件に尊重しなさい。逆らうなんてもってのほか。」議論をすると、そんな本音が見え隠れする人もいます。
◆しかし他人には、今、目の前にいる人が全てなのです。
過去に、この人がとんな体験をしていようと、今の日常生活の中で、どんなことをしゃべり、どのような行動をとるのか、それがその人の全てなのです。
苦労が良い方に出ている人もありますし、苦労によって大きく歪んでいる人もいます。大概の人は、簡単に苦労話を打ち明けたりはしません。
ですから、簡単に苦労話をする人には、そこにどんな意図(いと)があるのか、警戒も必要です。
これ高齢者だけではない、若い人の中にもいるのでお気をつけあそばせなのです。
◆逆に、この人はただ者でないと感じさせる人は、何も語らずとも、経験も、苦労も、思慮深さも自ずと感じさせるものです。
苦労しても歪んでない人はいます。そんな人は直接は多くを語らない。苦労を飲み込む度量(どりょう・心の広さ)があるのです。
いいものは、ことさら自己主張しなくっても、そこにあるだけでいいと感じさせる魅力を持っているものです。
それじゃ~また
脳卒中片麻痺、嫌な奴も寄ってくる。 [お気をつけあそばせ]
他人にしてはいけない三つの話 [お気をつけあそばせ]
出版社の経営者にして、稀代のコラムニストであった山本 夏彦さんは、これを「自分が儲けた話」「モテた話」「病気の話」だとされています。名言ですが、これ長く世間を泳いできた人は、実際、誰も知っていることです。こんな話で、嫌な気分になった経験が誰しもあるからです。
「病気の話」に関して脳卒中片麻痺障害者の私の経験にに即して言えば、「死に物狂いで努力したから奇跡の回復を遂げた」「頭脳明晰で、よく学び、よく考えてリハビリをしたから奇跡の回復を遂げた」といった自慢話です。脳の損傷の程度を無視し全てが リハビリの努力、頭の良さのせいだとする乱暴な話です。
まあ私には、三つともあまり縁のない話なのですが、それでも他人様にはできるだけしないように気をつけています。ヘタにしゃべると自慢話に受け取られかねないからです。
ブログに関しても同じです。リハビリの話、お金の話等は、同病の方の少しは役に立つ点もあるのではないかと思い話していますが、それでも同病の方にカチンとくる話をしているかもしれません。汗顔(かんがん)の至りです(-_-;)
しかし脳卒中ブログを見て、正直本当に驚きました。平気でこんな話する人がいるのです。私のブログをお読み頂いている方は、おわかりだと思います。「東大一直線」さんなんかはその典型です。しかしよく読むと他にも同様の方おられるのです。「そう言うメガネさんどうなのよ!?」と反撃食らうかもしれません。「お気をつけあそばせ」です。でも一度くらい「モテた話」でっちあげようかな!?経験ないから化けの皮すぐ剥がれて恥をかくの自明です(笑)
それじゃ~また