福井県名田庄村 あこがれの兄ちゃんたち全共闘世代(NO-12) [片麻痺でも旅がしたい]
お~いで皆さん聞いとくれ~♪♬ 僕は悲しい受験生ぇ~♪ 砂を噛むように味気ないぃ~♪♬ 僕の話を聞いとくれ!
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そんな歌が大ヒットした。小学生の頃だ。フォークソングというジャンルを初めて知った。 歌っていたのは高石ともや、受験とはこんな大変なことなのかと、勉強嫌いの私はもう怖気ついた。 その高石ともやのバンド名がナターシャーセブンである。住んでいた名田庄村から名前が付けられたと後日知った。 今夜の車中泊は、名田庄村である。夜、道の駅でぽつんと一台だけだった。
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この歌を聞いたおかげで高校時代の私は、スポーツ一辺倒、余暇は女の子のお尻をひたすら追いかける豊かな青春を過ごした(笑)
それが良かったか悪かったのか!?
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私は団塊の世代から10年ほど遅れてきた世代であるが、お兄さん世代はあこがれ対象だった。 あさま山荘連合赤軍の事件も小学生の時だ。読売新聞の特集記事で「総括」の様子を熱心に読んだ。リーダー森恒夫はともかく、永田洋子はどうしても理解できなかった(女性というものを知らないガキだったのだ) ほどなく岡林信康を知った。私は井上陽水や吉田拓郎のリスナー年代なのであるが、貧しい自営業者の子であったので、「山谷ブルース」や「チューリップのアップリケ」の方が生活実感に近かった。
後年、京都で岡林信康コンサートに行った時に、近くに田舎風のおじさん集団が座っていた。違和感あるなあと思っていると「今日は俺の村から来てくれてるんだ」と岡林さんが紹介した。災害時に村の橋をわざと壊す歌が大いに受けていた。 四当五落(4時間睡眠で合格、5時間も寝れば不合格)の厳しい受験戦争をようやく潜り抜けたと思えば。矛盾に満ちた社会が広がっている。義憤とマルクスレーニン主義とやらでいきなり革命だと学生運動に情熱注いだが、東大安田講堂であえなく粉砕、挫折。結局、山の中の暮らしを求めた。そんなイメージをなんとなく持った。 実際には、新聞TV等マスコミ大企業や教職を得てしていたことも知った。 何はともあれ、若狭に隣接する京都山間部の農村地帯は、兄ちゃん高石ともや、岡林信康の暮らした町である。
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65を過ぎて、この歌がやたら胸にしみる。親しい人に、自分の無能を詫びる気持ちと、せめて別れまでの残りの時間を大切にしたい。そんな思いが強くなる。
考えてみれば、青春の始まりに「チュリップのアップリケ」で目覚め、初老に「きみに捧げるラブソング」で、眠ろうとしている。
お兄ちゃん世代の歌、フォークソングに私は大きな影響を受けた。この年になっても、今なお慰められている。
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受験生ブルースが大嫌い
我が女房、この歌が大嫌いである。教師になりたかったのに経済的な理由で大学進学を諦めさせられたのだから当然だ。
岡林信康の元妻で女優の吉田日出子は「彼は自分の歌を裏切っている」と言った。
全共闘の弱点は、高度経済成長期に育ったため、おボッチャま、お嬢様であったことである。だから思想と観念で頭でっかちになる。
それを克服した人も、無自覚にそのまま年を重ねた人もいる。
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