会津28万石から7千石の米作不適合地への転封 [片麻痺でも旅がしたい]
夜、岩手県から青森県に入った。雨が降り気温もどんどん下がってきた。 青森県の太平洋側(南部藩)に来たのは、戊辰戦争で敗れた会津藩が、いわれなき朝敵と見なされ、藩ごと転封された土地だからだ。 それを斗南(となみ)藩と言う。28万石の会津藩は7千石の地に封じ込められた。その荒野に藩士と家族1万7千人が移り住んで、飢餓に追い込まれたのだ。 その跡地を見てみたかった。最初は八戸市の西側の三戸郡中心に移り住んだのであるが、そこからさらに下北半島へ移動させられた。 八戸市のネットカフェ で一泊し、翌日下北半島の入口三沢を目指した。 三沢は言わずと知れた空港・基地の街である。
ただただ広い平原が広がっているのだが、ここは米作りには全く不向きだ。太平洋からヤマセという冷たい風が吹いて来るからだ。 新政府により豊かな会津盆地からこんな厳しい土地に封じ込められて飢餓と戦わなければならなかった会津藩士。多くの人がここで命を落とした。どれほど無念だったろう。 こんな寒い日は、この地を訪れるのにふさわしい。
※長州藩士は、なぜこれほど酷い仕打ちを会津藩にしたのか。後年、安部総理が、郷里の先輩が行ったこの事について謝罪しましたが、到底受け入れられない多くの人がいた。当然だと思います。 |
それじゃ~また |
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