SNSの知人は旅を豊かにする [片麻痺でも旅がしたい]
と言っても SNS で知り合った方たちと、実際に出会い交流するというわけではない。 まあSNS での知合いと言っても、時々コメントを交わすぐらいの淡いお付き合いである。でも何年か経つと、どの地方のどの町に住んでおられるか、どのように暮らされているのか、風貌なども徐々に分かってくる。 だからといってその町に行った機会に連絡を取ってお会いしようとは思わない。 私も重度の障害者で思う場所に自由に行ける訳ではない。また知り合いの多くは私と同病の方が多く、出かけられるのは容易でない方も多い。 ただその町を通り過ぎる時に、その方を思い浮かべ、町の匂いを感じ、この町のどこら辺りにお住まいになっているのだろうと想像する。そして、これからも良き日々をお過ごし下さいと心から念じる。 東北旅行の際は、会津若松のOさん、仙台のTさん、青森のRさん、秋田のYさん、酒田のゲンさんと次々思い浮かべながらその町を通りすぎた。 見知らぬ街でも、これだけで大変親しみが湧いてきて、旅を豊かにする。SNS で多くの方と お知り合いになっていて本当に良かったなと思うのだ。 |
それじゃ~また
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【同病の三本松のおじさんの一言】
旅を豊かにすることについて、私流にひそやかな流儀みたいなテーマがあります。①電車に乗れば窓から外を見る。②川の流れ、山並みを見る。③道の駅で物産を見る。④町の居酒屋でいっぱいやる。⑤郷土館、歴史館をチェックする。⑥極力高速道路より地道を走る。⑦昼飯は地元のラーメン、そば、うどん屋さんです。結局発見、喜び、学ぶの大人の課外授業なんです。
【返信】
我が女房「この熱心さが学生時代にあればなあ~、あんたは遅すぎるねん!」とため息ついています。
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最後の瞽女、小林ハルさん永眠の地 [片麻痺でも旅がしたい]
東北旅の終わりに、最後の瞽女、小林ハルさんの永眠の地を訪ねた。 小林ハルさんについて以前書いた記事はこちらである。 障害を生きる最後の瞽女小林ハルさんと鉛筆画家木下晋さんの出会いそれにしても胎内(たいない)と呼ばれる町の観音様のすぐそばとは。
ようやく母の胎内に戻り、観音様の側で安らかに小林ハルさんは眠っている訳である。 とてつもなく過酷な人生であったが、最後はこの地で30年の穏やかな暮らしがあったのだ・・。本当に良かった。 105才で永眠されるまでの29年間を過ごされた老人ホーム「胎内やすらぎの家」は視覚障害者の方への専門的な支援行う老人ホームであり、この施設内にハルさんのお墓もある。 新潟の長岡や高田の瞽女なども多く入居しており、施設のイベントでは、仲間たちと一緒に演奏し歌った。また弟子に教えたりもしていたそうである。 施設内へ立ち入ることはできなかったが、近くで車を止め手を合わせた。 障害を持つ事は、直接的な富の生産性を持たない。故に日本における身分制度では、貴賤の区分の賤と見なされた。 しかし、日本の文化を支えたのは、間違いなく賤(庶民)の人たちである。河原者と言われた芸人、浮世絵画家、仏像彫刻師、庭師、刀鍛冶など全てそうである。 何れも苛酷な修行の果て、その道を極めたのだ。現在、日本が世界から称賛される文化は、支配者層の宮廷文化でなく、何れも庶民の中から生まれ成熟したのだ。私は、これを本当に誇りに思う。 |
それじゃ~また
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【同病の三本松のおじさん】の一言
泣きの16、短い指に、息を吹きかけ越えてきた。
三味が折れたら両手でたたけ、撥がなければくしで引け。
鍋のこげ飯、袂で隠し。
極貧の環境と失明のハンデを背負いつつ、けなげにたくましく生きる人達にそっと心を寄せ続けたい。
【返信】 お~こんなぴったりの曲があったのですね。確か、北島三郎の「風雪ながれ旅」でしたっけ。
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豊かな会津盆地から下北半島へ [片麻痺でも旅がしたい]
会津地方、なんて落ち着いたいい町々であろうか。 高速道から初めて眺めた会津の町。周りを山々に囲まれた盆地。その中に豊かな田園地帯が広がっている。猪苗代湖の豊富な水系がもたらすのだろう。 そして山々の中で一段と、神々しくそびえ立つ磐梯山。 |
こんな町では、ひとは、日々落ち着た心持で暮らせるように思う。 だから古く会津藩の時代から、教育に熱心で、その成果も上がっていたのだろうと想像させる。 こんな豊かな土地から戊辰戦争に敗北したことにより、米の取れない極寒の青森県下北半島に藩ごと移封させられたのである。斗南藩である。 大きな落差のある暮らしに、人々の嘆きはどれほど大きかったであろうか? それを確かめるべくここ会津若松から、青森県下北半島に向かおうと思う 。 |
それじゃ~また |
「男女5人京都物語」の終わりに [片麻痺でも旅がしたい]
明石家さんま、大竹しのぶなど7人の若手俳優が出演して大ヒットした。こんなシチュエーションの青春を過ごされ方、実際多かった思う。 どん底大学で出会った男3人に、女2人(看護学生とOL)。そこから2組のカップルが誕生し夫婦になった。私は1人余った(涙) どん底の男たちは、もう無茶苦茶で、だれもまともに就職できなかった。そんな男をこの女性2人は見捨てなかった。 ▼あれから40年、女性1人は50代の初めに亡くなり、先日男の1人が亡くなった。気がつけば5人のうち2人が既に亡い。もう1人の女性もガン闘病中だ。 ▼今回の旅でルート変更したことで、もう1人の男の住む山口市を通ることとなった。どうするか迷った。 何度かの転職の後に、山口で地方公務員になった事を隠していた彼。以降交流は少なくなっていた。 十数年前、奥さんが亡くなった後に一度官舎を訪ねたきりだった。その時すっかり公務員の管理職らしく鷹揚(おうよう)になった彼に白けた。 ▼通り過ぎるつもりだった。しかし京都で仲間だった彼の奥さんの仏壇に線香をあげていなかったことに気づいた。 早朝電話をして住所を聞いて訪れた。 数百キロ離れた町から、突然朝の8時半に現れた私に、「相変わらずやな」と彼は苦笑いした。 退職して数年経っていた彼からは、公務員臭さは消えていた。京都時代のように自由な感じがし、久々話が弾んだ。 ▼それでも 、二人の仲間の死で、青春からの一つの時代が終わった事を自覚した。
ただ、終わりは始まりでもある。友との別れを惜しみつつ老いの時代の始まりだ。
▼さらば友よ!ひょっとしてもう会うことはないかもしれない。でも今回会えて本当によかった。 |
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】 竹馬の友高校時代の友人を亡くした時は、その時代の濃厚な思い出に幕が下りたようでしたが、大学時代の友人を亡くした時は哀しみに包まれました。今後残りの人生益々このような悲しみが、心の領域を占めてくるようです。
【返信】 年を取る悲しみは、こんなところにあったのですね。それも思っていた以上に早くやってくる。願わくば女房より先に逝きたいと思いますが、それもままならないのでしょう。
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山奥に迷い込んだ!万事休す(NO-3) [片麻痺でも旅がしたい]
一人旅の2日目、鳥取県の岩美から京都府丹後半島まで、日本海沿岸を、のんびりと走ろうと出発した。かって知人から落ち武者伝説に出てくるような海岸線の土地だと聞いていて、興味をそそられてもいたのだ。
たが、兵庫県の浜坂を過ぎしばらく行くと突然通行止めの標識に出くわした。 迂回路の案内はなかったが、南の山間部に迂回路はあるだろう、と安易に考えたのが、そもそもイケナかった。 その後は、行けども行けども山の中、TV番組のポツンと一軒家に向かうような車一台がやっと通れる道になり、そのうち民家もぽつりぽつり。 冬場はどうやって暮らしているのだ、と思っているうちにその民家も途絶え、未舗装の狭い道に。 |
そういえばTVのドキュメント番組で、新温泉町のどん山奥の禅寺(後で調べると「安泰寺」でした。上記写真)が取り上げられていた。交通手段は徒歩。バス停まで徒歩2時間、JR浜坂駅まで確かトータル4時間かかると言っていた。それここらあたりの山じゃないのか・・?と、ますます嫌な予感がしてきた。 山道を1時間以上走って、ふとカーナビをみると位置は表示されているが、道路がない!もはやどこに向かって走っているのかもさっぱり解らない。 そして、ついに行き止まり ・・・万事休す。 もしここで、ぬかるみにでもタイヤとられ動かなくなったらレスキューの車も入れないだろう。障害のある身体で、この悪路を徒歩で民家まで助けを求めにもいけないだろう。 慎重に、慎重に何度も切り返し方向転換した。バックカメラに大いに助けられた。 だが・・・。そもそもここが但馬地方のどこらあたりで、どこに向かえば、このどん山奥から脱出できるのか、それが全くわからない? 半ばやけくそで、カーナビの目的地を自宅にしてみた。すると現在地からの経路がしっかり表示された。これで脱出できる。 カーナビの案内を頼りに、30分ほどかけて何とか県道らしき道にたどり着いた。ヤレヤレである。
昔の歩き旅では、道に迷えば、行き倒れも覚悟しただろう。ほんの僅かだが、その気分を味わうことが出来た。
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それじゃ~また |
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【同病の三本松のおじさんの一言】
道といえば、今では舗装された単に効率だけを考えたようないわば道路を日頃利用しているわけだが、ふと車で旅をしていると、幹線道路からつかず離れずに、くねくねと寄り添うように並行する生活感ただよう街道を見つけると、次のインターで下りたい衝動になるが、ただし迷い道にもなる味もそっけもない林道だけは、御免こうむりたいものです。
【返信】
同感です。ただし世の中、オフロードバイクやジムニーでの野宿ツーリングを趣味とされている方々がおられるそうです。健常ならこちらをやってみたかった気がします。やっぱり熊が恐いか(笑)
野宿ツーリング |