お金奮戦記(その2)回復期病棟で [脳卒中で廃業から、老後資金作り]
回復期病棟で脳が徐々に回復してくると、青くなった。こっから先どうやって暮らしていくのかが、頭をもたげてきたのだ。それは直ぐにひどい恐怖感に変わった。
私は、しがない自営業者で何の休業補償もない。自分が働かなければ 1円の収入もないのだ。
一方で、女房に、子供三人(中学生と高校生の男の子、長女は社会人)。それに加え 高齢の両親、 女房の父親と近々 介護しなければならない老人が3人もいるのだ。
その何年か前、郵政民営化で日本中が揺れていた頃、田舎の知人三名が相次いで自殺した。
一人は認知症の母親を道連れに車で練炭自殺した。
一人は幼馴染、もう一人は郵便局職員だった。
3人に共通していたのは、一戸建を新築していたこと。子に中高生の兄弟・姉妹がいたこと。高齢の親と同居していたことだ。さらに失業等の仕事関係の問題を抱えていた。
自殺の真の要因など、他人にうかがい知ることはできないが、その後の子供たちの進路からすれば、その死によって結果的に教育資金が作られた様に私は感じた。
私もそうするしかないのかもしれない。楽天的な私もそこまで思いつめた。
そんな悶々としていたある夜、亡くなった幼馴染の奥さんが漏らした言葉が、ふとよみがえった。
「生きていて、そばにいてくれるだけで、良かったのに」
彼女はそうため息をついたのだ。
これで、我に返った。生きなければならない。
それじゃ~また