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健常者の心の闇と障害者解放運動 [障害者として生きる]


健常者の心の闇と障害者解放運動

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「障害者は謙虚でならなければならない」という「脳卒中されど能天気」ブログのニゼックさんの問題提起に端を発し、村内で少々議論が生じ、私も参加しました。


ニゼックさんの狙いもある意味問題を提示し議論することにあると私は思っているのですが、残念ながら議論が少しも建設的な方向に向かいません。つまり脳卒中片麻痺の方々に役立つような議論になってないのです。


そこで今回、視点を変え、視野を広げて考えて見たいと思います。これは「脳卒中されど能天気」のブログにはすでに包括されている視点なのですが、我々が十分読み切れていなかったのです。

まず、こちらの記事から


  「障害者いじめが日常だった頃」


皆さんも学生時代いじめを経験した方もおられると思います。聖人君子じゃなければ普通の人の心にも、弱いがゆえにさらに弱いものをいじめようとする残酷な気持ちはあります。健常者の心には闇が潜んでいます。それは弱い人間をいじめる、差別する残忍な心です。嗜虐性(しぎゃくせい)とも呼ばれ、人や動物に対して苦痛を与えること、むごたらしい行為を好む人間の性癖(せいへき)です


障害者になるという事は潜在的なこのようなリスクに身をさらすことであるともいえるのです。

 

 

 

一方、差別等に対して障害者側からの激しい解放運動があります。脳性麻痺の方々の、青い芝の会の活動は代表的なものです。後編から見る方がわかりやすいと思います。


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街に出よう -福祉への反逆-(後編) 

 

街に出よう -福祉への反逆-(前編)  


これらの運動方法に関して、賛否両論は当然あると思います(青い芝の会内部にも激しい議論がありました)が、ひとまずこのような運動があったことを知っておくことは中途障害者にも大切だと思うのです。

 

それじゃ~続きはまた。

 

 

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 【同病の三本松のおじさんの一言】
個人的な考えを述べます。(障害者は謙虚であらねばならない)。このような一方の側からの二者択一な断定のような意見に独断的なあやうさを感じてしまいます。謙虚さは、健常者、障害者ともに人間として身に着けるべき精神で、自己と他者の関係から芽生えるものと考えるからです。又障害者差別は現在においては一見差別は外見上見えにくくなっている反面、心理の内面においては厳然に存在するのも事実ですし、その差別感の払しょくに取り組んでいる個人並びに運動体に対して、その運動方法のやり方及び是非についての賛否があるにせよ、決して障害者から心を寄せても決して批判はしてはならないと思っています。結局その判断は差別がなくなった時点で検証されるべき事項だからです。
 
【返信】
謙虚な心は、自己と他者の関係から芽生えるというのには大いに賛同できます。差別心も全く同様な面があります。理屈説教人間は、おおむねダメです。
感謝の心も大切です。自営で対人サービス業を長く続けた人たちの中に謙虚な心、差別・憎しみを超えた(と思える)人たちがいます。私は心から尊敬しています。
 
 
 
 


 

 

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