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29年前、阪神淡路大震災で実家に避難しました。 [片手で使う道具・住宅改修]

 


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▼元々私たち家族は  阪神淡路大震災までは、兵庫県伊丹市に住んでいました。ところが地震で借りていた家が 見るも無残に壊れたのです。

近くの避難所になった小学校に一旦行きました。しかし、次男は生まれてまだ3週間の赤ん坊です。避難所生活は、高齢出産後の女房や、生まれて間もない赤ん坊にはきついだろうし、周りの人にも赤ん坊の泣き声は迷惑だろうと、急きょ私の実家に連絡して、一時避難を願い出ました。

 

▼ それでしばらく家族は私の田舎で暮らすことになったのですが、 これ幸いと私の両親はさっさと離れの隠居屋敷に移動し、それで私たち家族が、実家に住むことになったのです。

 

当初はすぐに戻るつもりでしたが、様々な事情が重なり、これからどこに住むのかを考え直さねばならず、悩みに悩みました。結局私だけが仕事のため単身赴任という形で戻ることになりました。

 

 ▼わたしの実家は、 築20年の鉄筋コンクリート造り2階建ての家です 。鉄骨建築の会社を営んでいた両親が自ら建てました。

 

ですからやたら頑丈な反面、 田舎の家の典型で部屋数は多いのですが、各部屋は狭い、暗い、寒いと三拍子そろっており、住みにくい家です(泣)

 

▼そこで、必要な場所からリフォームすることにしました。ポイントは三つです。将来を見越してバリアフリーのフラットな部屋にする。家族が集まれる広い空間を1か所作る。生活の基本となる水回り(キッチン、風呂、トイレ)の改修をする。この三つをまず実現することを目標にしました。

 

子供の部屋は、成長に合わせて考えると言うことで、手をつけませんでした。

 

正直、自営業の私は地震で仕事などの先行きの見通しが全く立たず、大きなお金は使えなかったのです。

 

▼結果的に、このリフォームのおかげで、私が片麻痺となった後も大きな住宅改修はせずに済みました。床も車いすでも移動できるようにフラットですし、お風呂も低く(浅く)長いユニットバスで、手すりも何か所かに付いています。トイレも洋式トイレを2か所に設置していました。

 

回復期で退院する前、リハビリ医と理学療法士、作業療法士の3人で自宅の調査に見えたのですが「住宅に関しては、明日退院してもかまわないくらいや」とのお墨付きをえました。

 

▼それでも自宅での片麻痺生活を数年続ける中で、手すり、トイレ等小さな改善、私の部屋のリフォームなどが必要になりました。古い家に住み始めた時、年を取り体が不自由になることは当然予想していましたが、左片麻痺になることまでは予想していませんでしたので、対応が必要でした。

 

▼阪神淡路大震災から今日で29年たちました。当時の7人家族は2人になりました。

雨漏り等の修理を重ねながら、今もこの家に住んでいます。本当に感謝です。

 

お亡くなりになりました方々へ 黙祷

 

 

 

それじゃ~また。

 
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 【同病の三本松のおじさんの一言】
今回の能登半島地震で数々の不幸な境遇と困難に遭遇されている人々から特に老いと障害者の立場からフォーカスすると身につまされる場面がありました。
それは床に直接寝ておられること、仮設トイレが運動場の脇にぽつねんと置かれ、夜になるとトイレの中はもとより周囲は闇の状態にあることです。
水、食料は草の根をかじるぐらいの気持ちがあれば3日~1週間、10日は何とかなりそうだが、床での生活、夜のトイレは直接体にこたえる。簡単な室内トイレ、段ボールベッドの常備一定数の確保を各政令指定都市にはお願いしたい。

【返信】
ホント、同病の高齢者の方々心配です。自分だったらどうだろうと考えると恐ろしくなります。床からの立ち上がりにまず手間取りますから段ボールベッドは是非お願いしたいです。後遺症でトイレも近い(涙)
 
 
 

 


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