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木喰(もくじき)の里 [片麻痺でも旅がしたい]

ls-木喰の里05.jpg

◆正に 陸の孤島であった。


 こんなとこ 車で登って行けるのかと思ったが、 看板が出ている。

 

 幅はもう 車1台がやっと。降りてくる車があれば、どうすれ違うのか?! 落石があればもう逃げられない。

 

◆木喰(もくじき)は江戸時代の遊行僧である。聖(ひじり)とも呼ばれ、寺に属さない民間の僧である 。全国を旅しながら民衆の為に作仏した。


江戸時代の僧は大きく二つに分けられる。

一つは寺に属し、国の保護のもと、ひたすら、お経を唱え仏教を学ぶ学僧と呼ばれる僧。社会的地位は高い。


もう一つが、寺に属さず全国を旅し修行する聖(ひじり)と呼ばれる僧である。

 

江戸時代はキリスト教対策として幕府による檀家制度が確立した。一方で新たな宗派設立は禁止された。

 

だから寺に属していれば安楽であるが、游行(ゆぎょう)の聖には厳しい時代だった。

 

 

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◆聖の修行(活動)は、古くから民衆の為に善をなす代表的な三つの活動があったと思われる。


一つは、社会的な善。人とお金を集め、道路、池や水路等の土木工事を行う。それに祈禱である。雨乞いや病気を治す霊力を獲得するため 山伏(修験者)として奥深い霊山に入り命がけの行をした。


もう一つ は芸術的な活動である、作仏や作歌である。

民衆の為に神仏を彫り、神仏と交信するため歌を詠む、その動機は現代人と全く違うのである。

 

近年、この作仏が発見され、有名になったのが、木喰と円空である。


三つめが、教化である。仏の教えを伝えることである。その中で念仏を唱えながら踊る踊念仏が熱狂的に流行り、 芸能の元ともなっていったのであろう。




◆民衆の圧倒的支持を受けた聖


このような活動を通し、放浪の聖が民衆に圧倒的に支持される。民の厳しい暮らしに入り込み、役に立ち、安心できるもの、熱狂できるものを提供するのだから当然だ。逆にそうでなければ食べられない。

 

国の保護のもと衣食住を保障され、寺にこもって お経を唱え 学んでいるだけでは民衆の支持は得られない。

 

ただ聖は、多くが 歴史の中に埋もれてしまって 日の目を見ることがなかった。乞食とみなされることも多かった(実際、食い詰め僧侶の恰好だけした人間も多かった)。


近年、円空仏や木喰仏が発見されたことにより江戸期の聖の活動が明らかになるのである。

 

 

◆なお苦労してたどり着いた「木喰の里 微笑館」は残念ながら休館日だった。

 

しかし木喰仏は全国様々な場所に残っている。また訪ね歩く楽しみが出来た。

 

それじゃ~また
 
 
 
 

同病の三本松のおじさんの一言


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