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年老いて天命を知る [障害者として生きる]

 


◆「自分の天命とは何だろう」
 


こんなこと、考えたことありませんか?


若くから 自分の進路を決めており、 何も迷わずに一直線に進んできたという人もおられるでしょう。羨ましい限りです


高校時代、学校の成績からして落ちこぼれであることは一目瞭然だったのですが「 わしの天命とは何ぞや」と自分にふさわしい道があるはずだと何度も考えていました。


が 、多少予感めいたものはあるものの確信までは至りませんでした。


こんな悪い頭でいくら考えてもムダ!と結局そのまま無自覚に過ごしてきました。


◆高卒後50年、初めて思い当たることが出てきた 。


初老になってあらためて人生を振り返ってみて、私なりにこれが天命だったのではと思い当たる事があります。


高校時代に感じていた思い。50年後に振り返れば天命の暗示だったのじゃないか。

 

無鉄砲に思える決断にもそれなりの理由があった。点と点が、天命で考えるとつながって線になる。


「五十にして天命を知る」


これは「論語」の言葉で、50歳になってはじめて自分の人生についての天命・運命が何であったかがわかるという意味です。


つまり、人生の終わり頃になってようやく 天命を知るということで、若い頃に天命を知り一直線に精進するということではない。


私の場合は、高卒50年にして初めて天命を知ったわけです。


遅ればせながら論語の言葉を知って、えらく安心しました。

 
それじゃ~また
 
 
 
 
 
 
 

同病の三本松のおじさんの一言


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