宮本輝著「流転の海」第9部「野の春」その2 [お勧め本]
宮本輝著「流転の海」第9部「野の春」で私が印象に残った部分を紹介します。
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◆議論で勝とうとしてはいけない 人は議論で負けたからといって、従おうとはしない、 代わりに深い恨みを抱く。
◆また、先の見込みのないつまらない男と結びついてせっかく得たものを失っていくのだ。
どうしてそれがわからないのだろう。どうしてそのように愚かな方へ愚かな方へと歩いて行くのか。
◆ああこれが私の宿命だと気づいて、自分の意志でそれを乗り越えようとせいへん限り宿命には勝たれへん。宿命っていうのはものすごいて強い敵や、命に宿るって書くんやもんね。逃げても逃げても離れへん 自分の影と同じや。
◆ 自分の命に宿っているもんを追い払うにはどうしたらいいん。そんな宗教じみた因縁話を私は決して信じていないと、房江は心の中で否定するのだが、否定しきれない何かが常に残るのだ 。
あまりにも多くの不幸を見てきたせいだと房江は考えて、自分に言い聞かせた。
宿命なんて考えてもわからないし、目で見えるものでもない。今日を最後に宿命という言葉を私は中から消す。二度と思い浮かべない。
◆尼崎の蘭月ビルの夏の暑さと冬の冷たさと共に、あのアパートで暮らしていた人々の顔が凄まじい勢いで心をよぎったが、それは一瞬のことで、何もかもが 変わり続けているのだ、変わらないものなど何も一つないのだという感慨の中に入って行った。 それは不安やよるべなさとは全く異質の勇気を伴った覚悟をもたらしてきた。
◆気が利かないというのも持って生まれた才能で,どうしようもない
それは誰でも出来るようなつまらない雑用させてみればわかる。雑用が満足にできない人間はどんな良い大学を優秀な成績で卒業していても使い道がないのだ。
◆丹下甲治の遺言
「私はあの辺り生まれた子供らが、まっとうに世の中で生きていけるようにと骨を折ってきました。戦前のあのあたりには、子供の頃から力仕事で金を稼ぐ以外にない家庭が多かったのです。
そうやから、そんな親に育てられた子も同じ生き方しかできません。港湾での労働が嫌で、くりから紋々の世界へと入っていく子も多かったんです。私は一生をそんな子を生業につかせるために使いました。 それでも曲がっていく子は曲がっていきます。あーあの時もっと違う言葉で諭しておけばよかったと後悔することも多いです。 私は私がその時できることは全てやりました。丹下甲治に悔いなし、です」
「 曲がって行った子も 丹下さんのことは忘れちゃおらんですよ」
「あれだけ不幸な家庭に育ったらたていの子が曲がっていきます」