優しさは心に残り続ける [障害者として生きる]
【神戸新聞2021年1月16日】
退院当初、旅行することを目標として、懸命にリハビリしていました。しかし思ったように良くならない。麻痺手などは全く動かないまま、ピクリともしない。
回復を待っていてもラチあかんと、近場から旅行してみることにしました。
そうしますと目立ちますから、他人様に手助けをしていただくことが多く出てきます。
それがきっかけとなって、旅先で会話が生まれ、それが旅の楽しい思い出でになる。
完全を目指さなくても、テキトウなところで、まずやってみればいいのだ、と気づきました。
「見るまえに~♪♪
跳んでみようじゃ~な~いか♪♪」です。
そうすればどんな能力が不足しているのか、どういうリハビリをすればいいのかも見えてきますし、助けていただくという貴重な体験も出来る。
今回の記事、それにしてもいいいいお話です。
それじゃ~また
田舎で暮らす片麻痺障害者、立ちはだかる村の掟(おきて) [障害者として生きる]
■片麻痺障害者に立ちはだかる村の掟おきて
私は脳卒中で倒れたことを機に、田舎の実家暮らしになりました。
このムラは兼業とはいえ農業中心ですので、それに対応する厳しい掟(おきて)があります。
例えば、農業用のため池や農水路は自治会の大切な共有財産です。その管理のため、日役(ひやく)という共同作業の役務(えきむ)があります。他にも自治会が山林や墓地も所有していますので、これらも管理する必要があります。
他にも自宅周辺、所有する田畑の管理もしっかりやっておかないと、隣から苦情が来ます。
特に害虫対策の草刈りなど、厳しい目で村のおばあちゃんたちが常に監視しています。
多忙な一人暮らしの高校野球監督など、いつも激しいバッシングをあびています。
ここの老婆たちは、あっけにとられる程辛辣で、私の母も「あんたが甘やかすから、息子が脳卒中になった」と直に言われました。
私は、身体の不自由さには同情はされますが、役務(えきむ)は免除されません。それがムラの掟です。それは、90才を超える高齢者でも同様です。
自分ができなければ、人に頼むか、半日で3000~4000円の弁償金を出さなければならないのです。この日役が多い月では4回、つまり毎日曜日です。
同じ自治会内では、多くの血族・親戚がいるケースが多いのです。だから万一の場合は近くの親戚が助けてくれます。
しかし、我が家は、父の代で、ここに移り住みましたので、親戚は全くいません。
親戚も少なく、わずかな年金で、つつましやかに暮らす高齢者も少数いますが、その場合は、「都会に住む親族に頼みなさい」と正面切って言われるのです。
「50年住まないと一人前と認めない」村の掟の中で、幼いころ、私はよそ者として、いじめられました。しかし、子供社会の中では徐々に受け入れられ、小学校も高学年になると、立派な村のガキ大将になっていました(笑)
脳卒中の後の私は、草一本も引けない役立たずのどうしようもない人間です。女房も都会暮らしが長く、農作業の経験はありません。
■遠くの親戚より近くの他人
しかし幼馴染達が私を助けてくれるのです。私の知らないところで相談して私の家の前の草を交代で刈ってくれたりしています。
また手間のかかる田畑の草刈りなどの管理は、リハビリ散歩で知り合った人が、やってくれるようになりました。
日役には、それまで農作業など一度もしたことのなかった女房が、代わりに出てくれるようになりました。
これらすべてに、本当に感謝です。
また幼馴染の手による土地のコメや野菜をいつでも手に入れられます。生まれた土地のものは本当においしく感じるものです。
あんなこんなで、頻繁に友人・知人我が家に来てくれ、話相手にもなってくれます。
それで、つくづく感じるのは遠くの親戚より、近くの他人(友人・知人)です。この人たちがいなければ、わたしの田舎暮らしは成り立たせることが出来ません。
SNSでの交流も楽しいのですが、リアルなこの人たちを何より大切に考えています。
人に助けていただくことは迷惑かけることでもあります。が、村の掟、身体の不自由さ故に、心からありがとうの感謝の気持ちが生まれます。そのことが互いの思いやりを生み、豊かな交流となる。まさに「災い転じて福となす」の感があります。
脳卒中で仕事など失いましたが、人との交流という面ではより豊かになったことだけは間違いありません。
それじゃ~また
困ったヘルパーさん [リハビリ、入院・通所]
片麻痺となって、最も苦手なことが、「早く、早く」と急がされることである。
あせると途端に体がこわばり、いっそう動かなくなる。だから何事に対しても早め早めと余裕を持って行動している。
私はプール歩行のリハビリに、交代で二人の男性ヘルパーについてもらっている。一人は私と同年代のベテランヘルパーもう一人は30代の若いヘルパーである。
午後2時開始なのであるが、私は30分前にはロッカーに入って着替えて準備運動をして10分前にはプールの前で待っている。
しかし、ヘルパーが来られるのは2時ギリギリである。「こんにちは」と挨拶されてから着替えられるので、プールに入るのは当然2時を過ぎてしまう。
同じことを私がすれば、2時を15分は過ぎてしまうだろう。そうなると口癖のように「忙しい」と言っているヘルパーの次の予定が遅れてしまう。そう思って我慢していつも待つようにしていた。
ところが若い方のヘルパーが来るのが、2時を過ぎてしまうことが何回か続いた。ついに、自分一人でプールに入ることにした。幸い、気を付けてゆっくり歩けば、自分でも歩行プールに入ることができた。
プールを1周したころ、バツの悪そうな顔をしてやってきた。「もう今日はいいわ、自分一人で歩くでから」と言っても帰ろうとしない。
プールが終わった後、「どうして、いつもそんなに遅くなるのだ」とたずねると「ベテランのヘルパーさんからギリギリ行けばいい(待たせておけばいい)。早く行くと気を使わせるから」と言われていますという驚くべき返事だった。私は忙しいからギリギリになるんだと思っていたのだ。
「障害者はえらく軽んじられてるなあ~」と彼に言うと、「私もそう思います。実は私の妹も障害者なのです」というではないか、 彼がこの業界に転職したのも妹のことがあったのかもしれない。その彼がこんな認識なのだ。
私は、これを機に、2年間続いたヘルプを断ることにした。
ベテランヘルパーは一転、ひどく気にして私だけでなく旧知の私のケアマネージャーにまで考え直すよう翻意の連絡を入れていた。
私は自分の考えを変えるつもりはない時に、その理由を親切に教えたりしない。理由を言えば、相手にも言い分が生まれ、恨みを買う場合も出てくる。
それにしてもだ、私が出会った介護業界の人々の感覚は、自営業で必死で営業していた私には全く理解できない。
少しのミスで長年の信頼を一瞬で失く、仕事が無くなる。そんな緊張感が全くないのだ。自己中心的で、「低賃金を我慢して、やってやってるんだ」という意識である。
一方、私自身もヘルパーに依存し過ぎていたかもしれないと反省した。
それじゃ~また
但馬と淡路の気質の違いは
前回のブログで、兵庫県でも北と南では大いに違っている。神戸阪神間を中心にとした都市部と地方(田舎)とに、ざっくり二つの区分で分けることなどできないと述べた。
兵庫県の北部の但馬地域の豊岡市と南部の淡路島の洲本市では天候も人の気質も大いに違う。今回どう違うかという私見を述べてみたい。
これはあくまで私の主観に基づいているから、両地域の方々は、不愉快に感じられるかもしれないが、ご容赦願いたい。
まず代表的な人物を思い浮かべてみると、兵庫県但馬地域は、作家の山田風太郎氏、冒険家の植村直己さんである。俳優で演出家の今井雅之(いまい・まさゆき)さんもいる。
一方淡路島は、作詞家阿久悠氏、上沼恵美子さん、渡哲也、渡瀬恒彦兄弟、私の好きな俳優キムラ緑子さんや笹野高史さんも淡路出身だ。
これらの方々の印象と、私の友人たちを眺めてみた私見を述べる。
但馬地域は、物静かで、内面を見つめる信念の人が多い気がする。そして物事を冷静に判断する頭の良さを備えていると思う 。まあ総じて言えば内向的とも言えるのだ。友人としては、心を許してもらうまでが大変であるが一生付き合える信頼できる人が多い。
一方淡路島は、言葉が豊富で、頭の回転の速い人が多い気がする。外向的と言えばいいのかもしれない。オープンですぐに打ち解け合える。私の友人に限って言えば博打好きである。
漫才師や俳優には、但馬地域より淡路島の人が圧倒的に向いていると思う。
このように兵庫県と言っても単純に区分し理解できるものではない。
阪神間では、よく言われるように阪急沿線、 JR 沿線、阪神沿線によって気質は違うし、服装も違う。神戸っ子は、ファッションなどにみられるように独特なプライドを持っている。また姫路を中心とする播州地域は、祭りなどで顕著なように、播州地域独自の強烈な個性がある。
これらの豊かな多面性を切り捨て、都市部と地方(田舎)という風に簡単に区分することなど、それこそ田舎もんの発想だ。
個々の人間については、もう少し複合的で多面的だ。地域の気質の特徴はあくまで一つの参考としておくことが大切だと思う。社会や人を恨んでいる悪意ある人間はどこにでもいる。先入観にとらわれ過ぎるとケガをする。
※阿久悠さんは1937年生まれ、明治大学文学部卒業。植村直己さんは1941年生まれ、明治大学農学部卒であり、奇しくも同世代の同窓生である。
それじゃ~また
地方で暮らすと「田舎者」と揶揄(やゆ)されるが
地方に住んでいると都市部で暮らす人から、「田舎者」と揶揄(やゆ)される事がある。
地方出身だと、「田舎もん」と蔑視(べっし)されるのは、田舎しか知らず、視野が狭い人間だと軽蔑しているからだと思う。
私は阪神間の都市と、その北側の小さな地方都市とを行き来しながら30年暮らしてきたが、阪神間の人も田舎もんだなぁと思うことがよくあった。それは東京と対比してのことでない。
例えば、阪神間の人間の移動は基本的に東西への移動だ。阪急、 JR、 阪神の各電車を利用して東の大阪と西の神戸間の移動である。
一方南北の移動を考えると、大阪から堺、岸和田といった泉州地域、和歌山への移動は多いだろうが、大阪や京都から北への移動は非常に少ないと思う。従って北近畿の実情に疎い人が多いのだ。
兵庫県でも北の但馬の豊岡と、南の淡路島の洲本では、気候も人の気質も著しく違っている。
だが、都市部の人で、そんなことを全く知らない人も多い。私(都会人間)と私以外(地方の田舎もん)の二つの区分でしか考えられないのだ。この視野の狭さは、まさに田舎もんである。
JR大阪駅から電車で北へ向かうと、わずか三十数分で、山深い渓谷となる。車での移動となれば高速道を1時間も北へ走れば別世界である。
私も、6時にお疲れさまと神戸市内での仕事を終え、車で六甲山を越え、7時半には自宅の風呂で足を伸ばしていることが、度々あった。この間の距離は約80kmである。
普段東西に移動している人は、休みの日に南北に移動してみればいかがであろう。南北の人は東西に移動するのだ。
関西なら短い移動時間で、思わぬ視野が広がることは請け合いだ。
「もっと障害者の立場にたって考えてほしい」とは私も良く思っていることだが、はたして他者の立場を想像できる視野の広さを自分は持っているだろうかと、時々自問する。
これらの根は同じだと思う。「私」と「田舎もん」、「私」と「障害者」と単純に区分し、レッテル貼りつけ切り捨てる。
その人を多面的に理解しようとはしないのだ。