---------------------------------
■当初はリハビリのスタッフと言えば、我々患者からすればドクターの存在と同様に、ある種「絶対的」に近い存在だと信じていた。しかし、ずっとリハビリを続けてきて、それは必ずしもそうではないのかもしれないと思い始めた。いま自分が感じているのは、私が生きてきた世界とはだいぶ違うのではないかということを実感している。
■もっと言うなら患者に対して、もう少しきめの細かい管理が必要なのではないか。例えば患者や患者の家族を含めたお互いが掲げたハードルの高さを確認し合うこととか、リハビリの進捗状況を確認する際、どこかに落とし穴はないか?など警戒感とか疑問とかを頭に置いておくのである。企業では即金銭的損失につながるからこれは当然である。
■でもここのリハビリスタッフの方はそんな意識はお持ちじゃないのかもしれないね。歩行訓練しない理由を論理的に説明してもらうわけでもないしね。
■一番重要な会社で言うところの結果に対しての収支報告。いよいよ患者さんが退院するとき患者さんもしくはそのご家族が満足できるような気持ちで退院できるかできたかどうか。それは次の責任という段にすごく関わってくると思う。
■でも病院では、あまりそれを感じなかった。何かスタッフの方も淡々とされていて・・。時間が来ました。退院ですっていう感じがした。企業と違って結果が数字になって現れない。だからこそ責任の意識がより必要になってくるんじゃないのかな 。
■どの病院もリハビリ室は広いし設備も整っている。リハビリスタッフも大勢いらっしゃる。なのに、なぜこんなにスタッフの方達との一体感が感じられないのかね。私は感じているのは、スタッフの方々に情熱を感じないのよ。
■直してくれる気があるのだろうかと、疑ってしまいたくなる。 どこかビジネスライクで、商売ならビジネスライクも大いに結構なのだけれど、人間相手にねこんなものかねえ。仕事をする条件の中で「情熱」を除くことはできないと思うのだけど「情熱」とか「ヤル気」とかそんなの感じない。
■私はこれまで経過した病院でのリハビリも含めリハビリと言うトレーニングにとても失望していました。そのリハビリの世界もまた私たちが闘ってきた世界もどちらもメカニズムは同じと思うのですが・・・。スキルで満足している人は多分一生スキルだけで終わるのでしょう。また一方で業をマネジメントまで考える人は、業に対し幅の広い可能性を大いに感じる興味あるものと捉えられているのではないでしょうか。
-------------------------------------------
|