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プロフェッショナルへの道(2) 顧客志向マーケテイングの弊害  [その他(ブログ等)]



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▼顧客志向のマーケティング戦略。その過剰さの弊害が最も出ているのは テレビ業界であろう 。

それは「売れりゃ何でもいい」のである。内容関係なし。

 

だから売れるタレント、そのタレントを提供する会社に媚びへつらう。ジャニー問題などもここに端を発している。


▼作家も認知されれば、顧客志向のみで豊かな生活は可能である。が、しょせん流行作家、中間小説の書き手の域を出ない。

 

そんな人が大御所と云われ文学賞の選考委員に祭り上げられ、出版社の戦略と相まって実力不足の新人を次々生み出し、あっという間に使い捨てる。


▼大御所の中には大学理事長に祭り上げられた末、醜態さらす輩まで出てくる。

 

そもそも社会生活の経験知など持っていないのだ。注目され収入は高みで安定するが、不得意分野ゆえに失敗する愚を犯す。

男性作家でも、政治家のように晩節を汚す人も多い。


▼だからこそ戦略シフトし、自分の書きたいもので キャリアアップし、心身ともに充実させ、あわよくば後世に残る作品をものにする。

 


▼もちろん戦略を軽々と越える天才もいる。

 

以下、私見ではあるが、代表は漱石、芥川龍之介であろう。近代では中上健次である。他にも「楢山節考」の深沢七郎、画家では山下清などがいると思っている。


次回は、プロフェッショナルになるための偶然の要素(運)について考えてみたい。

 

それじゃ~また



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プロフェッショナルへの道 (1) 顧客志向で世に出る [その他(ブログ等)]


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▼芸術や資格独立、自営業など何かの分野でプロフェッショナルとなり食べていく、さらにキャリア・アップし個人的な名声と地位、お金まで手に入れる。

俗に「世に出る」と言われますが、今回この点についてシリーズで考えてみたいと思います。アマチュアとプロとは、雲泥の差がある。

 

▼まず初期に必要不可欠なのは「マーケティング戦略」です。


つまり取引先、多くのお客様の認知・支持を得るための顧客志向の戦略です。それがなければ、食っていけない。


▼作家の宮本輝さんは、「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞した。これは文学の師匠である池上義一氏(同人誌を主催)と共にデビュー前に、既に念密に練られた戦略であった。その後の道頓堀川」で「川」三部作を完成させ、多くの読者を得て、文壇での地位も獲得した。

 

▼今の芥川賞受賞者の多くは、このような戦略がないように思われる。だからほぼ数年で文壇から消え去る。


伝統ある文学賞の受賞で、一時の名声を得たが、 その後書けなくなくなってしまう人が多いのだ。

 

本来なら、その受賞を機に、時流に乗り地位を確保した後に、本来書きたいテーマを書くという戦略にシフトしキャリアアップすべきなのだが、肝心の書きたいものが何も無いのである。


つまり若い人が、目の前のうっとうしいハエを追って、時代の寵児となる。若くみずみずしい感性と一定の書く力も持ち合わせている。が、ハエがいなくなれば、もう書く動機もなくなる。


▼次回は、なぜ戦略シフトが必要かもう少し詳しく述べてみたい。

 
それじゃ~また
 
 
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脳卒中片麻痺を生きる(最終) 鶴見和子 もう後には戻れないから、前に向かって切り開く [障害者として生きる]

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障害はまさしく新しい世界との出会い


◆そうですとも。異文化としての新しい体験ができるのだから喜ばなくっちゃ。

私はまったく新しい文化を今、生きている。


もう後には戻れないから、前に向かって切り開く


◆それとこの病気は、どんなにリハビリを重ねても元通りには戻れない。だから「回復」ではなく「回生」なんです。回生って何かと言うと 、もう後には戻れないから、前に向かって切り開くしかないということ。前進しかありません。老いもそうですね。 決して二十歳には戻れない。だから死ぬまで前へ前へ、人生を拓いていくんです。

 

 

ーーーーーーーーーーーー


もちろん鶴見和子さんは恵まれた生い立ちであり、職業が学者ということで、脳卒中片麻痺となっても比較的仕事を継続しやすかったと言えると思います。

 

ですけれども、その思索(しさく)は、人生の途中で突然、脳卒中片麻痺になった人間に、指針と勇気を与える素晴らしいものだと思います。

 

(終わり)

 
 
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【鶴見和子】


1995年12月に脳出血で倒れて左片麻痺となり]、車椅子生活を送りながらも]、これまで書かれた著作をまとめた『鶴見和子曼荼羅』(全9巻)や、生涯の中で関わりのあった様々な人物や学問上の関心が照応する相手との対談をまとめた『鶴見和子 対話まんだら』というシリーズを藤原書店より刊行。
2006年7月31日に大腸がんのため88歳で没した(ウィキペディア)

 

それじゃ~また

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【同病の三本松のおじさんの一言】
回生っていい言葉ですね。なんだか前向きになれる。障害を背負った当初は、負の側面を受容できず気負いが全面に出て、多少尖っていたような気がしますが、今となっては老いも障害も素直に受け入れられるようになった来たようです。

【返信】
それは、すごい!私は、まだまだ受け入れる段階に達していない気が。元々そんな人間なのかもしれませんが気負いも残っています。まだ修行が足りません。

 


 

 

 



 

 

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29年前、阪神淡路大震災で実家に避難しました。 [片手で使う道具・住宅改修]

 


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▼元々私たち家族は  阪神淡路大震災までは、兵庫県伊丹市に住んでいました。ところが地震で借りていた家が 見るも無残に壊れたのです。

近くの避難所になった小学校に一旦行きました。しかし、次男は生まれてまだ3週間の赤ん坊です。避難所生活は、高齢出産後の女房や、生まれて間もない赤ん坊にはきついだろうし、周りの人にも赤ん坊の泣き声は迷惑だろうと、急きょ私の実家に連絡して、一時避難を願い出ました。

 

▼ それでしばらく家族は私の田舎で暮らすことになったのですが、 これ幸いと私の両親はさっさと離れの隠居屋敷に移動し、それで私たち家族が、実家に住むことになったのです。

 

当初はすぐに戻るつもりでしたが、様々な事情が重なり、これからどこに住むのかを考え直さねばならず、悩みに悩みました。結局私だけが仕事のため単身赴任という形で戻ることになりました。

 

 ▼わたしの実家は、 築20年の鉄筋コンクリート造り2階建ての家です 。鉄骨建築の会社を営んでいた両親が自ら建てました。

 

ですからやたら頑丈な反面、 田舎の家の典型で部屋数は多いのですが、各部屋は狭い、暗い、寒いと三拍子そろっており、住みにくい家です(泣)

 

▼そこで、必要な場所からリフォームすることにしました。ポイントは三つです。将来を見越してバリアフリーのフラットな部屋にする。家族が集まれる広い空間を1か所作る。生活の基本となる水回り(キッチン、風呂、トイレ)の改修をする。この三つをまず実現することを目標にしました。

 

子供の部屋は、成長に合わせて考えると言うことで、手をつけませんでした。

 

正直、自営業の私は地震で仕事などの先行きの見通しが全く立たず、大きなお金は使えなかったのです。

 

▼結果的に、このリフォームのおかげで、私が片麻痺となった後も大きな住宅改修はせずに済みました。床も車いすでも移動できるようにフラットですし、お風呂も低く(浅く)長いユニットバスで、手すりも何か所かに付いています。トイレも洋式トイレを2か所に設置していました。

 

回復期で退院する前、リハビリ医と理学療法士、作業療法士の3人で自宅の調査に見えたのですが「住宅に関しては、明日退院してもかまわないくらいや」とのお墨付きをえました。

 

▼それでも自宅での片麻痺生活を数年続ける中で、手すり、トイレ等小さな改善、私の部屋のリフォームなどが必要になりました。古い家に住み始めた時、年を取り体が不自由になることは当然予想していましたが、左片麻痺になることまでは予想していませんでしたので、対応が必要でした。

 

▼阪神淡路大震災から今日で29年たちました。当時の7人家族は2人になりました。

雨漏り等の修理を重ねながら、今もこの家に住んでいます。本当に感謝です。

 

お亡くなりになりました方々へ 黙祷

 

 

 

それじゃ~また。

 
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 【同病の三本松のおじさんの一言】
今回の能登半島地震で数々の不幸な境遇と困難に遭遇されている人々から特に老いと障害者の立場からフォーカスすると身につまされる場面がありました。
それは床に直接寝ておられること、仮設トイレが運動場の脇にぽつねんと置かれ、夜になるとトイレの中はもとより周囲は闇の状態にあることです。
水、食料は草の根をかじるぐらいの気持ちがあれば3日~1週間、10日は何とかなりそうだが、床での生活、夜のトイレは直接体にこたえる。簡単な室内トイレ、段ボールベッドの常備一定数の確保を各政令指定都市にはお願いしたい。

【返信】
ホント、同病の高齢者の方々心配です。自分だったらどうだろうと考えると恐ろしくなります。床からの立ち上がりにまず手間取りますから段ボールベッドは是非お願いしたいです。後遺症でトイレも近い(涙)
 
 
 

 


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脳卒中片麻痺を生きる(3) 鶴見和子 老いや障害に対して自分の持っている可能性を引き出す [障害者として生きる]

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老いや障害に対して自分の持っている可能性を引き出すということが大切


◆私はこれを「内なる埋蔵資源」と呼んでいます。

私の場合回生していく上で、忘れていた短歌に助けられた。同時に娘時代に習った日本舞踊の稽古がリハビリを続ける時にとても有効に働きました。 踊りはアメリカ留学で中断しましたが、60を過ぎてから再開しました。


◆リハビリは10日休んだらもう歩けなくなるほどです。だから毎日繰り返しやることは絶対条件。踊りもまた稽古、稽古の連続で同じことを飽きずに続けることが必要です。この習慣を体で身につけていたからこそリハビリを「つまらない」と考えることなく続けられたんだろうと思います

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埋蔵資源のない人はは一人もいません。


◆「埋蔵資源のない人は一体どうしたら?」、そんな人は一人もいません。

 

◆私の場合、たまたま分かりやすい形で短歌と踊りが表面に出てきましたが、それこそ生命の起源までさかのぼれば、 DNA という形で無限の埋蔵資源が刷り込まれている。その中には元気で活動している時は忘れて奥深くに眠っていたものもあるはず 。それが加齢や病気で自分の内側に目が向くことで、あるいは生理的な回路が変わることで掘り起こされてくるのです。

 

 

ーーーーーーーーーーー

前回も述べましたが、歩行に関して「毎日繰り返すことが絶対条件」という今回の言葉も、「毎日がむしゃらに頑張って歩く」ということとは全く違います。

上田理論は「少量頻回訓練」を柱としています。オーバーワークを何より恐れます。詳しくは下記の記事を御覧ください。 

 

回生を生きるその1 少量頻回訓練の大切さ

 

それじゃ~続きはまた

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【同病の三本松のおじさんの一言】 
自分の中の可能性を発見したり、掘り起こす作業はなかなか一般人にはむつかしい。だとしたらまず、自分の好きなことを見つけ、それを日常生活の中でささやかな楽しみとして終生いつくしむ気持ちでお付き合いすれば、老いと障害を乗り切る糧となるような気がします。

【返信】
まさにその通りだと思います。見る前に飛んでみようじゃないか!です。まず興味の向くまま何でもやってみればいいのです。そのとき思わぬ発見があります。それを大切にすればいいと思います。
 
 
 

 

 


 


 

 



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