特別養護老人ホームまでの長い道のり(4)希望の火が見えてきた [障害者として生きる]
■無事に小規模多機能型居宅介護施設に入居
Yケアマネージャーが義父が入院している病院にまで事前面談に行ってくれることになった。義父の反応は悪くなかった
この小規模多機能型居宅介護は、自宅から比較的に近く、しかも女房(義母)の生家のすぐ近くだった。
ここでは「ロングショートステイ」という何やらややこしい名の方法で、長期入居する予定である。
「ロングショートステイ」とは、本来は短期宿泊サービスであるショートステイを長期利用することをいう。
月何度かは自宅で過ごせるし、帰ろうとすれば直ぐに帰れる。義父はそう考えたのだと思う。いきなり拒否されるのではないかと心配したが、面談も無事終了した。
ケアマネージャーもスムーズにS君からYさんへ変更された。YさんはS君も良く知っており、事情を察し苦笑いされていた。
ただ、義父は認知もかなり入り始めていたんだと思う。退院の日Yマネージャーが車を出して施設の車で迎えに来てくれたのだが、その時は自分の家に帰るつもりでいて、自宅を過ぎると、いったいどこへ行くんだと不安げだったという。
施設に入ると、世話してくれる人の感じは良く、年は違っても同じ町の人間同士で共通の話題も多い。部屋には早速「私、あなたの奥さんと小学校の同級生だったのよ」という女性が訪れ、義父は嬉しそうだった。
■「帰りたい」病が消えた孫の魔法の言葉
ただし、一か月も経つうちに、やはり「帰りたい」病が出た。自宅が近いだけに「わしは、歩いてでも帰るんだ」とえらく強硬姿勢となった。
直ぐに女房に連絡が入り、飛んで行った。
そこで、何気なく、東京に住む長女に入居を伝えた話をした。
『「これでもうおじいちゃん家の外で、一人ぼっちで長い間、倒れたりしていることはなくなるね。もう安心だね。わたしホッとしたよ」そう言ってものすごく喜んでいたよ』
義父は初孫である長女をものすごく可愛がっていた。この言葉を伝えると「そうだ、わしはここにいれば安心なんだ」と妙に納得したような顔になった。
それ以来、義父は帰りたいと言わなくなった。
孫の言葉は魔法の言葉だ。
■ようやく、希望の火が見えてきた
一か月程、その施設のお世話になった時にYケアマネージャーが、やはりこの状態で、要介護2ではおかしい、再度、区分申請してみようと提案してくれた
それでその施設で見てもらっている医者に依頼し、再判定をお願いした。
1か月経って結果が出た。なんと今度は要介護4になっっていた。
ようやく希望の火が、ほのかに見えてきた。
それじゃ~続きはまた