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お金奮戦記(その8) まとめ・・奮戦から心の解放に向かって<1> [脳卒中で廃業から、老後資金作り]

 

 

 

 

現在の状況

 

子供は全て独立し、私の父と母も無事見送った。

あとは、義父が老人ホームの生活に慣れてくれれば良し。


まだまだボンヤリとはできないが、少しほっと一息ついている。


思えば、脳卒中になってこの10年。誰にも頼れず、どケチ女房と二人で知恵を絞って生きてきた。


それでも、関西人らしく深刻にならず、大笑しながら過ごし、時に大声で怒鳴り合う。


回復期病棟での思いつめた暗い時からすれば、隔世の感がある。



なぜ苦境から脱出できたのか

 

苦境から、どうして脱出することができたのであろうか。幾つか理由がある。

 

第一は、女房の力である。

 

ネット販売をある程度軌道に乗せていたこと。これは宅配業者の集荷時間以外で、時間に縛られることがなく、しかも1日2~3時間で済む。だから介護、家事・子の世話と並立させられた。

 

そして教育資金を貯蓄してくれていたことも大きな安心につながった。

 

また、私も女房も幼い頃から三十代後半まで、お金で苦労し続ける経験値があったこともベースなった。貧窮生活のノウハウを身につけていたのだ。たまたま倒れる前の十数年が良かっただけだ。


それは小さな鉄工所を経営し、創業から長い間にわたり、苦労して設備投資を続け、借入金の返済が済んだ頃に、思いがけない大きな果実手にした両親の姿と重なる。


母は反動のようにお金を使ったが、我がドケチ女房は、手にした小さな果実を消費しなかった。これに助けられた。

 


また、収入のポケットが、いくつかあったことも大きい。一つ一つは少額でも合わせれば生活できる額となった。

 

さらに売掛債権が全て回収されたこと、母が生命保険に3大疾病特約をつけていたという幸運にも助けられた。

 

 

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続きは次回に。

 

 


 

 

 

 

それじゃ~また 


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お金奮戦記(その7) 年利5~7%のリターンなら獲得できる(株式投資の話あれこれ) [脳卒中で廃業から、老後資金作り]

 



 


 


【年利5~7%のリターンなら獲得できる】


 


 話題沸騰した本「21世紀の資本」の著者ピケティは、過去2000年の人類の歴史からして資本(土地や金融資産)収益率は年5%程度が標準だと指摘した。


 


 


また名著「株式投資」の著者ジェレミー・シーゲルによると過去200年の米国株の投資リターンは実質年率6.8%である。


 


 


つまりこの投資リターンなら、投資プロでなくても長期投資の場合は可能だとということだ。


 


私が株式投資で最も信頼するのは、この数値だ。


 


これまでも、株式投資に関して、あれこれ記事を書いてきた。それをここで改めて紹介したい。


 


60歳近くの年齢で、片麻痺障害のため就労できない。そんな失敗できない状況で、株式投資にどう挑んだのか、ご興味があれば、是非お読みください。


 





【株式投資のお話】





(1)投資する前にまずライフ・プランを考えることが大切。


 

(2)投資戦略の基本はライフプランによって決まる。


(3)いくらに投資金額を定めるか


(4)投資を学ぶ 基礎編


(5)アセット・アロケーション何にいくら投資するか


(6)投資の鉄則そのて7ヵ条


(7)私の投資戦略


(8)リスク許容度


(9)私のアッセット・アロケーション


 


【成果その他】


 


脳卒中後の株式投資の成果2019年


 

年末に投資信託の一部を売却しました。その理由は二つあります。


 

地獄へ行く道を避けるには地獄へ行く道を熟知するのが一番 


 


長期投資 アセットアロケーションとポートフォリオ分析を使いこなせ 


インデックス型投信への妄信、アクティブファンド等の選択 


投資関連の本棚


転んでもただでは起きたくないない・・。その2 気が付けば杖をつかんで起き上がっていた


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お金奮戦記(その6)投資を始めるべく奮闘するも・・ [脳卒中で廃業から、老後資金作り]

 


 


幸運にも投資の資金を手に入れた


 


顧客からの回収資金に加え、思いがけず幸運なお金が入ってきた。


 


元々母親が私に掛けていた生命保険があって、結婚を機に受取人を女房に変更し、私が掛け金を支払うことにした。その保険に何と母が三大疾病特約を付けていたのだ。


 


私は、そんなことに気づかず、二十数年毎月保険料を支払ってきた。そして、退院して初めてその特約の存在を知ったのだ。


 


保険会社に連絡すると、すんなり給付金を受け取ることができた。これまでの掛け金合計に多少利息を加えた程度が戻ってきたことになる。


 


この二つの資金を合算し、株式投資することにした。


自分が働けない分、お金に働いてもらおうということだ。


 


 


 

株式投資の勉強をはじめたが・・


 


まず5年計画を立てた。最初の3年は、ひたすら株式投資について勉強する期間だ。その後実際に投資を開始し、2年間で一定額投資する。


 

 


 

だが脳の損傷のせいで、最初から大苦戦した。本のページをめくる先から前のページ内容をすっかり忘れてるのだ。


 

1日10数ページがやっと、それでも「株で億万長者」などと夢を振りまくノウハウ本でなく、名著と評される分厚い翻訳本にしがみついた。


 

解らん!さっぱり解らん!


 

若かりし頃「資本論」を読んだとき、自分の頭の悪さに絶望し、我が頭脳を呪ったが、その時以来の悲惨な感覚だ。


 

投資で成功したと噂の高校の同級生


 


そんな悪戦苦闘が、2年程続いた頃、高校の同級生で、投資で小型飛行機やヨットを買ったという男がいると聞いた。


 

高校時代、比較的会話した記憶があり、早速連絡を取り、教えてくれと頼み込んだ。


 

「やめておけ。たった2年程度勉強したぐらいで、何になる。失敗するのがおちや」


 


と嘲笑された。


 





彼は、スイングトレード(数日から数週間単位の取引)が主。ただ栄華は今は昔で、現在も取引は継続しているが、大した資産は持っていないどころか、貧しているようにさえ思われた。離婚もしたらしい。


 

彼は反面教師だ。参考にしてはいけない。逆をやるのがいいだろう。


 


 


 


それじゃ~また


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お金奮戦記(その5)仕事を廃業したが、心から納得できた [脳卒中で廃業から、老後資金作り]

 



 


無念!脳力が元に戻らず廃業


 


退院してから1年半、常に違和感を感じながらも無理くり仕事を続けていた。収入は病気前の5分の1程度に落ちた。


 

しかし、以前と比べて身体だけでなく、脳力も大幅に劣っている、元に戻らないのだ。このままでは、顧客に大きな迷惑をかけることになるかもしれない。


 

廃業を決意した。幸い発病から1年6ヶ月が経過し、後遺障害の程度からすれば、障害年金をもらえる可能性もある。


 


 

長年の顧客が、気持ちをすっきりさせてくれた

 


廃業と感謝の気持ちを直接顧客に伝えた。


 

その時、長年にわたり溜まり溜まった売掛金が数社で300万程あった。


 

でも、私はもう回収は諦めていた。毎月請求してもスンナリとは入金せず少しづつ脹らんでいったお金だ。


 

これから一切、付き合いはなくなるわけだから、今更お金を振り込んでくれることはないだろう。全て中小・零細企業で、払わないのではない払えなかったのだ。


 

感謝の気持ちから、もうあげたつもりになって挨拶した時には、そのことには一言も触れなかった。これまでの受注総額からすれば僅かな額だ。





ところが驚いたことに、それから2ヶ月程度で、数社300万円の売掛金が1円残らず全て振り込まれてきたのだ。


 

私はあっけにとられた。必死で回収しようとした時には回収できずに回収を諦めた時に全てが回収できた。お金・人・商売の不思議である。


 

奥の奥に隠していたお金があったのかもしれない。それでもそのお金を引っ張り出してくれたのだ。


 

そしてこのことが、私の気持ちをすっきりさせた。


 


門前の小僧から40数年、大した成果を残さなかったけれども、やはりこの仕事を続けてきて良かったと心から納得できた。顧客には本当に感謝だ。


 

私は、この貴重な回収資金を、株式投資することにした。


 


 


 


それじゃ~また





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お金奮戦記(その4)関西ドケチ女房が女神に見えた [脳卒中で廃業から、老後資金作り]


この泥が あればこそ咲け 蓮の花(蕪村)


 女房のひそやかな収入

 

女房には一人暮らしをしている父親がいた。3年前に、脳梗塞を発病し不自由な生活を送っていた。


子供は女房一人だけ。自分の子供が中学生になって多少時間的余裕ができた時、女房はパートに出たいと言ってきた。多分父親の老後のためのお金を稼ぐつもりだったのだ。


私はパートの様な時間を切り売りする仕事でなく、ノウハウが溜まっていくような仕事の方がいいと伝えた。

 


それで女房はインターネット販売を始めたのだ。倒れた後で知ったが、これが月収10~15万円程度になっていたのだ。

 


これが私の病後生活を支えてくれた。私の5分の1程度になった事業収入に女房のネット収入、他に知人の会社の非常勤役員報酬もわずかにあった。これで、生活費が何とか賄えたのだ。




女房と子供名義の預金

 

思えば、30代の中頃、私が独立開業したことにより、私たちは貧窮生活を送ることになった。女房は妊婦検診にも行けず怒られたそうである。

 


その後事業が軌道に乗り始めた頃に、また運悪く阪神淡路大震災。

住んでいた家が半倒壊、受注量も3割程度にまで落ち込んだ。

 


このような暮らしの中で、私は毎月の生活費を必要最低限しか渡すことができなかった。

その代わり年に2~3度、資金に余裕がある時は、ボーナス代わりに50~100万のお金を渡していた。

 


十数年間、そんな臨時収入を、女房はほとんど使わずに、女房と3人の子供名義(笑)で預金していたのだ。


私は震災以降、単身赴任生活となり、そんなことは全く知らなかった。

 

これで子供たちの教育費は全てまかなえる。

 

これには、教師になりたかったのに、経済的な理由で、大学進学出来なかった女房の強い思いがあったと思う。

 

 

 

人生、何がどこで役に立つか、逆転するか分からない。


割引食品ばかり買う関西ドケチ女房が、女神に見えた。

 

それじゃ~また

 

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