私事だが、学生時代 スポーツばかりしていたので、勉強に関しては全く劣等生だった。かといって、図抜けた選手でもなく、大学へのスポーツ推薦もかなわなかった。
そんなこんなで 私に誇れる学歴はない。まともに就職もできずぶらぶらしてた頃、人生の師に出会い雇ってもらった。
以来、仕事の必要に迫られ悪い頭で必死こいて勉強した。仕事しながら国家資格も1~3次試験を1年で通過した(必死過ぎて前後の記憶が飛んでいる)
そしてプロの道をスタートさせた。競争に勝ち残って食っていくため、さらに勉強の毎日だ。
こんな人がいる。学生の頃に、一生懸命勉強して一流大学に入ったが、超一流大学にはとどかなかった。
優越感と劣等感が同居していて、いくつになっても出身大学にこだわる。
ある時、某学会での産・学・官交流に推薦されて参加して驚いた。私が普段忘れている出身五流大学の名を、司会者(学者)が皆の前で紹介し云々言っている。
すでに、その道のプロとして飯食っていた私は、ぶったまげた。プロなら結果がすべて、学歴など関係ない。
それなのに、なぜ私の出身大学の話を持ち出し、長々と解説するのか?学界人間の底意地の悪さを感じゾーっとした。
自分の腕一つで世渡りしている職人さんから「一生勉強や」とよく聞かされた。
学歴でなく、社会人になってからも自分の頭で考え広く勉強を続けたかどうか、それが人として成熟するかどうかの分かれ目だと思う。
宮大工の棟梁は、自信にあふれ、かつ謙虚だった。
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