◆私が生まれ育った田舎は、お百姓さんの子供たちが多く、低学年から農業の手伝いをしていた。機械化されておらず子供も貴重な戦力だった。
また、公共工事が地方で盛んになったこともあり、農閑期には、地元の土木建設会社で土方として働く父母が多くいた。
父は農家の四男坊だった為に田畑をもらえず、家業は鉄骨建築屋だった。私は小さい頃より、塗装やコンクリート打ちなどを手伝った。
昭和30年代生まれ、幼馴染の男達の原点は肉体労働だ。
◆後年知り合った、都会育ちの知人達の多くは、肉体労働の経験はなく、小学校低学年から塾通いということを知り 唖然とした。
◆ある時、SNSで、偏差値で人物評価するというのがあり、偏差値30は欲望のまま行動する層、偏差値40は分かりやすいものに飛びつく層とあって仰天した。
自分の偏差値など覚えていないが、まず40台だろう。この記事を書いた方はおそらく60以上だろう。
◆私の幼馴染の多くは落ち着いて勉強する環境にはなかった。
だが、自然相手の百姓はバカではできない。用水などで争いも起こりやすく、人間関係も鍛えられる。何事もじっくり観察し他人の言うことを簡単には信じない。
田舎もの、どんくさい、ダサいと見下げられても何とか社会を泳いでこれたのも、肉体労働でつちかった粘り強さが一つの要因でもあると思う。
◆機械化等により肉体労働から解放された子供世代では、50数戸の村でも、東大や京大に合格する子がでてきた。
高偏差値・高学歴を基準としても、三世代見ないと、本物のバカかどうかはわからない。
また、高学歴の子が、その祖父や親より賢いかどうかも、もうしばらく見ないとわからない。
わずか数年間のお勉強偏差値で、人間性をランク付けし、優越感を感じたりするなど、人間がひどく幼い。
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